世界がサカサマ
ねぇ、世界がサカサマだよ。
赤い。
真っ赤、だ。
命を狩った。人を殺した。誰かを守った。主を守った。
この、手が。
君だけを守れなかった。
霧が晴れた。
視界が広がる。
握り締めた双槍に力を込め、幸村はじっと目を凝らした。遠くへ。遠くへ。
彼がいたであろう場所を見つめるため。
かつては戦国一と呼ばれた騎馬隊が、再び始まった銃撃によって次々と倒れ伏していく。風林火山の旗が、荒れた大地に倒れ伏している。
その合間から覗くのは自軍の兵士達の骸。
赤い甲冑が、敵陣の方向へと列を成して崩れていた。
この中に君はいる。
「お館様」
主を呼んだ声は震えていなかっただろうか。
手綱を引いた指先は震えていなかっただろうか。
幸村は唇を噛み締める。
「行くぞ」
何も言わずとも、信玄には分かった。
隣を見ずとも、幸村が今どんな顔をしているのかは分かっていた。
幸村はただ視線を前にだけ釘付けて見つめていた。武器を手にし、馬上に立ちながらも、赤く染まった原っぱの真ん中を見つめている。
霧が晴れた以上、たった一発の鉛玉で朽ちるかもしれない。上洛を前にして死することは望みはしなかった。けれどそれ以上に、武士としてあの無情な兵器を叩きのめしたかった。
信玄は軍配を上げ、突撃命令を下した。
間髪入れず幸村は飛び出して行った。横切っていった青年のなびく髪と鉢巻を眺めながら、信玄は瞼を瞑った。
泣かない修羅の鬼。
泣けない紅蓮の槍。
彼は今、何を思っているのだろう。
それだけが分からない。
「お主なら理解できたのだろうか」
問いかけた言葉は、血生臭い空気に溶けて消えた。
真っ赤だ。
血の色が取れないんだ。
戦場の真ん中を横切った幸村は、赤い海の中で濁った緑を視界の端に映した。
けれど彼は前を向いたまま。走る足を決して止めなかった。
だってここは戦場だから。
だってここは墓場だから。
だってここは地獄だから。
だってここは――……。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
だってここは、君が笑って死んだ場所だから。
先陣で突っ切っていった幸村の手により、鉄砲隊は半壊させられた。相手の軍は慌てて退いたが、騎馬軍に追撃されて壊滅した。
大将の首を持って、返り血塗れの幸村は本陣へと帰った。
彼の隣には、誰もいない。
「幸村、原の真ん中の木の下じゃ。行くが良い」
首を献上した幸村に、信玄が呟いた。
彼は黙って頷いて、暗くなった戦場跡地へと引き返した。
赤い。
赤いよ。
ねぇ。こんな赤い手でお別れなんて、したくなかったよ。
死者を弔うための簡素な墓がそこらに作られていたが、幸村は見向き召せずに一直線でぽつんと生えている木の側へと歩み寄る。
根元には誰が添えたのか、小さな花が一束。道端で生えているような、名も知らぬ花。赤みを帯びた花弁の色は、彼の人を思い起こした。
自分は今、どんなに凍えた瞳をしているのだろう。
笑いたいのに。好きだと言われた笑顔を浮かべたいのに。
真っ赤なこの手。
大嫌いなこの手があっても、好きだと笑ってくれた君が何でいないの。
嗚呼、神様。
どうして彼が死んでしまったんだ。
世界がまるでサカサマだ。
- END -
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散文くさいお話。きっと両思いな幸佐。
とりあえずは2の長篠銃撃戦で。
お館様は二人の絆を良く知っているけれど、その内情は見ないようにしている、みたいな。
(2006/09/09)
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