温もりなんていらなかった。
 自分の中に勝手に入ってきて、散々荒らして。
 そうして無言で出て行ってしまう温かさなんて、いらない。

 だからきっと。
 冷たい唇の方が心地良いと考えてしまったのは、必然なのだろうか。











「貴方は、私と同じ匂いがします」

 恍惚めいた表情で、光秀は己の眼下に横たわる肢体をじっと見下ろしていた。
 相手の視線は無表情のまま。きつい眼差しは、光秀をただの物だと認識する冷めた瞳。
 目に映るものが無機質に見えるだろう元就の、硝子玉のように綺麗な双眸。
 そこに自分だけが今映っているという事実に胸が打ち震えた。

「本当に貴方と私は違うものなのですか?」
「何度も言わせるな」

 長く伸びた白い前髪の間から覗く、死人のような赤い眼を元就は睨みつける。
 喉元に黒光りする鎌の刃を当てられようとも、彼の不遜な態度はまるで変わらない。細い喉から漏れた低い声音は、微塵も揺らいだ様子がなかった。

 泣き叫ばない獲物に普段なら不満の一つも覚えるが、光秀は今、酷く満ち足りたような感覚を味わっていた。
 自分ばかりが、異常だと。
 そう言って後ろ指を指していたこの世界の中で、同じ気配を抱く者と同じ時間を生きている。
 何て可笑しいのだろう。
 可笑しくて、可笑しくて。

 一人ぼっちじゃないのだという、いつからか捨てたはずの哀しい希望が湧き上がってきてしまう。

「我は、貴様とは、違う」

 一字一句、吹き込むように――あるいは、己に言い聞かせるかのように――元就は冷淡な言葉を紡ぐ。
 転倒した際に切ったのだろう、唇の端に濡れた血の色が、ゆっくりと上下することを満足そうに光秀は見つめていた。
 そして自らの衝動を抑えることもなく、求めるがままにその赤へと舌を這わせた。
 目の前の、自分とは違って澄んでいるように見える目が嫌悪に歪む。
 血塗れのくせに宝石のように綺麗なそれが、負の感情で穢れる様が心地良くて仕方がない。
 光秀の眼なぞ、生れ落ちたときから真っ赤な血の色なのだから。

 抵抗しようともがく手を押さえつけながら、光秀は笑った。
 違う、違うと元就は言うけれども。
 明確な相違点など、結局は見当たらない。

 愉悦のために命をいたぶる。策のために駒を浪費する。
 自分の味方さえも傷つけてまで、生きなくてはいけないこと。自分の心さえ凍らせて、生きなくてはいけないこと。

 何が違って、何が同じか。曖昧な境界線など、あってもないようなもの。
 一歩道をずれれば、その生き方は歪んで溶け合うばかり。
 違いなどない。
 区別が出来ないほど、自分達は近いから。


 刃が当たったのか、首筋に傷が浮かぶ。その芳香を感じながら、光秀は目を細めた。
 血が通っていないと恐れられた、凍れる貴人。
 狂っているのだと罵られた、死神の自分。
 そのどちらもが、結局は畏怖して罵り叫びを上げる人々と同じ人間でしかない。
 命を駒として見るか、獲物として見るか。
 自分達を恐れ慄く者達にとっては取るに足らない違いだけしか、二人の間には無いのだから。

「同じですよ……自覚しているかしていないかだけで」

 光秀はにたりと笑い、もう一つの鎌が深く刺さった元就の手に体重をかけた。
 赤が零れ落ちる。
 痛みに引き攣った肢体に笑みを深め、もう一度だけ血に濡れた口へ接吻を贈った。

「人間が、怖くて仕方ない。だから認識しようとしない」

 掌から無理やり鎌を引き抜き、光秀は刃に付いた血糊を舐め取った。
 元就はそれをじっと見上げていた。血気を奪われているせいか、どことなく虚ろだった。だが彼は、光秀の面差しを黙って眺めていた。
 光秀は、もう笑っていなかった。
 不気味な笑顔を失うと、その端整な顔は表情を一気に失う。白い髪と肌は、何とも凍てついた色に見えた。

 誰かが呟いた、氷の面。
 元就はそれが自分を評していることを知っていた。だがどんな顔なのかは、知らない。
 きっと。
 目の前の死神が今浮かべている顔が、纏っている空気が、それなのだろうと感じた。

「貴方も私も同じです」

 黒い刃が、もうすぐこの首を狩るのだろう。光秀の顔はもう見えない。
 薄れゆく意識の中、元就は自嘲した。
 もうその言葉に、否定だけを示せない自分がここにいる。

 その事実が、奇妙なほど滑稽に思えた。



 - END -





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創作者さんに50未満のお題・選択式お題(題目:一番怖いもの)より。
お題に沿っているかは微妙なミツナリでした。
狂人ミッツーも好きですが、実は思慮深い(本当か?)な彼も好きです。
もっと殺伐とさせる予定が……何か、違う。
(2007/02/10)


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