- 光冠 -



 古来から物忌の日とされる暗闇の太陽が、青空を影の中へと支配していく。
 中天で欠けていく光は徐々に力を失い、視線の先にある水平の縁はまだ正午前だというのに夕暮れ時かのように赤く色付いている。
 不気味な空模様を仰ぎ見ていた元就は、欄干から手を放して城の奥へと身を翻す。
 弱々しく光を放つ日輪の姿など見たくも無い。自分を温めるのは何よりも勝る強い輝きなのだ。黒く喰われていくのはこの一時であるのは分かっているが、誰にも手の届かない場所に君臨しながらも遥か昔から周期的に闇に呑まれる宿命にある彼方の光を、元就は直視したくなかった。
 信奉する孤高の日輪でさえも、ああして変えられていく。
 ――自分もいつか、ようやく固めた鎧をも誰かに奪い取られていくのだろうか。
 ふるりと戦慄いた両腕を抱きかかえながら、元就は静かに薄暗い自室へと引き篭もろうとした。

「元就殿ーっ!」
「……幸村?」

 騒がしい足音を立てながら名を呼ばれ、思わぬ声の主に元就は驚く。
 彼がこうして訪ねてくるのは珍しくないことではあったが、まさかこんな日に、と信じられない面持ちで振り返る。
 久々に会えた事を素直に喜ぶ満面の笑みを浮かべた青年が、大きな目を輝かせながら元就の側へと駆け寄ってきた。息を切らせているところからよほど急いで城までやって来たことが知れる。

「お久しゅうございます、元就殿! 某、書状を持って参りました」
「火急の知らせなのか?」
「いえ、東国の近況報告にございます。それとお館様からの土産が」

 まだ整わぬ息を飲み込みながら顔を紅潮させて、幸村は懐から書状と包みを取り出す。
 本来ならば客間へ通すなり謁見の場を設けるなりするのだが、嬉しそうに再会を喜ぶ幸村の様子に元就は苦笑しか浮かばず、絆されている自覚を何度も覚えた。

「しかしそれにしては随分と急いできたのだな」
「此方まで長旅を続けていたせいか、昼夜の感覚が曖昧になったのでござろう。今日もとっぷり暮れ始めてしまって慌てて駆けてきたのです」

 大真面目に遅れて申し訳ないと謝る幸村を、まじまじと見つめ返してしまう。
 まだ昼だ。いくらなんでも夏至を少し過ぎたばかりの近頃では、日が暮れるのには当たり前であるが早過ぎる。
 ぽかんとしている元就に対して、幸村は不思議そうに首を傾けた。

「そなた、日蝕を知らぬのか?」
「ええと聞いたことはございます。見たことはありませぬが……」

 そう短期間に何度も起こるものではない。
 歳若い幸村が見たこと無いのも無理はないだろう。
 元就の言葉を聞いてようやく合点がいったようだ。子供っぽい好奇心に幸村の瞳が揺らめいる。

「……付いて来い。よく見える場所がある」

 その目に弱いのだと内心で溜息を吐きながら、元就は先程の欄干へと幸村を連れて行った。
 先程よりも日蝕は進み、細くなった日輪は夜に浮かぶ月のよう。真っ直ぐ見つめても眼がやられるほど眩しくはなかった。
 幸村は嘆息を吐き出して一心不乱に見上げ続ける。
 こんな風に、子供の頃は自分も仰いでいたような気がする。それができなくなったのはいつからだったか。
 元就はしばらく幸村を見ていたが、先程感じていた妙な寒さを感じて一人踵を返しかけた。

 その腕を、幸村の手が掴む。

 先程まで熱心に太陽を見ていた双眸が、今度は元就へと真っ直ぐに注がれる。
 真剣なその顔付きは、前に会った時よりも大人びているように感じられて元就は一瞬たじろいでしまう。
 けれどそれはすぐさまふんわりと和らぎ、愛しい者を見る優しげな面差しが一人で凍えようとしていた痩身を小さく抱き締めた。

「ゆ、幸村?」
「次の日蝕も、二人で並んでいられたら良いですね」

 肩口に柔らかく摺り寄せられた頬が微かに動く。耳元へ入り込んできた幸村の思いがけない言葉に、元就は瞠目した。
 顔を上げた青年は笑っている。
 一抹の寂しさが過ぎった後で、その真意を悟ってしまい、間近で感じる体温と微笑みで無意識の内に元就の体温は上昇する。

 日蝕は十年二十年、下手をすれば半世紀という長い年月の跨いで人々の前に姿を現す。
 戦乱の世、それまでにお互いが生きている保障は何処にも無い。
 けれど――。
 もしもこれからも生を営んでいけるとすれば、このままずっとこんな関係のままでいたいと。
 幸村はそう言ったのだ。

 これでは一生添い遂げると宣言したも同然ではないか――。

 かあっと顔中に熱が集まり、元就は思わず俯いてしまう。
 先程までの震えは何処にいっただろう。纏う鎧を剥がされては堪らぬと思った側から、火照る身体は自らその殻を破ろうと蠢くのだ。
 それが嫌ではないと感じるのは、温める熱が幸村だからなのか。

「……日蝕は忌日ぞ。縁起が悪いと思わぬのか」
「某はそう思いませぬよ。だってほら、あんなに美しいものをこの目で見上げられるなんて幸運ではござろう?」

 幸村の声に促されて恐々見てみれば、真っ暗な昼の空を、白い光が一層強い輝きを放っているところだった。
 眩い光の輪。
 影に覆われるからこそ、ちっぽけな人間の目でも見える幻想的な光景に元就は息を呑んだ。
 その黒い太陽の下で幸村が振り返る。
 徐々に世界は、明るく照らされ始めていた。

「忌むべきものだと他の誰が言おうとも、某は恐れませぬ。あれもまた、貴方の愛した日輪の姿でございましょう」

 強い光が差し込み、僅かばかりに漂っていた肌寒さが急に消えていく。
 顔を出した陽を、けれど元就はもう見ていなかった。
 ただ眼前には穏やかに笑う幸村がいる。
 握られたままの手が熱い。

 誰よりも自分を見つめてくれるこの太陽は、手が届くこんなに近くにいるのだ。
 真っ直ぐとこちらを見つめて温めてくれる。
 打算無く馬鹿正直で――どうしようもなく愛しく想えてしまうのだ。

「ふふ、まったくお前は馬鹿だな」
「ええっ!?」

 彼の焦げ茶色の髪が光を照り返して、淡く輝く。
 戻ってきた夏の日差しの中で、それは日輪が形作っていた光環をもう一度元就に見せてくれた。
 とても綺麗な、冠だった。



 - END -





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皆既日食記念で日記に書いた幸就。
リアルタイムで見られてすごい感動しました。自然の神秘は素晴らしいですね。
(2009/07/22)


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