陽気の穏やかなある昼下がり。
 空は快晴、遠くの青には鱗雲が大量に泳いでいる。降り注ぐ太陽の光を浴びる関東の大地は、刈り入れの季節も相成り活気に満ちていた。
 そんな民衆達の賑やかな声を見下ろす堅城もまた、秋の過ごし易い日和に当てられたのか和やかな空気が満ち溢れていた。
 兵士達は当直の者以外は、思い思いの場所で久しぶりの平和な時間を楽しんでいた。

 そんな彼らをじっと見下ろしている影があった。

 篭城するために欠かせない栄光門。戦いの際には閉じてしまうその門は開きっ放しで、様々な用事のために行き交う人々の列が耐えない。
 楽しげな声を聞きながら、巨大門の天辺で、小太郎は真っ直ぐとした姿勢を崩さずに佇んでいる。
 決して自身が戻れぬ市井の盛りを見て思うのは、憧憬なのだろうか。戦もなく、任務も与えられていない影にとっては、このような日和にすべきことが見当たらないのが常だった。
 だから彼は観察することを覚えた。
 笑っている人達を、ぼやいている兵士達を、縁側でのんびりと茶を啜る雇い主をそれぞれ眺めながら、温い日差しの中でいつもだったら考えないようなことも考えてみることにしていた。




・・・ 西 に 想 い 馳 せ ・・・





 いつも通りに一通りの人々の様子を見回っていた小太郎は、最初の門の天辺に再び上った。
 ここが一番日当たりが良く、普段空気のように気配を押し殺し続けているためか存在感を失くしていた人並みらしい体温が戻ってくるような気がして。
 太陽が顔を覗かせている時間帯であれば、大抵小太郎はここにいた。
 他人から見れば、お気に入り場所という奴だろうと笑うだろう。生憎小太郎にはそういった思考がまっさらで欠けているため、何となくここがいい、という本能的な直感で選んだだけなので、お気に入りという言葉すら浮かばないが。

 分厚い門は、人一人寝そべるのにも横幅が余るほど。ましてや忍の小太郎が落ちるはずもなく、彼は誰にも邪魔されずに思考に没頭できた。
 青い青い空。流れて行く白い雲。熟した稲穂の音色。風に舞った木の葉。
 何も言わない自然が好きだった。だから今日のような陽気も、することはないが嫌いではなかった。
 それに、と小太郎は思う。
 視線を微かに持ち上げて見れば、眩しいほどの陽光が暗闇に慣れた目を痛いほど刺した。

 輝く、光の輪。

 闇に生きることを定められていた小太郎は、初めて出会ったその鮮烈な光に目を奪われた。
 同じように闇夜の中を走って、同じように紅い血飛沫を浴びながら、それでも小太郎にはそれが自分と同種の生き物だとは思えなかった。

 彼を思い出すから、天気の良い日は好きだった。
 真っ青な空に浮かぶ光。藍色に染め抜かれた夜空に浮かぶ光。昼と夜では全く違うその二つの光が、小太郎の上で見事に咲いてくれるからだ。
 一人ぼっちの時間も暗闇の道も、見守ってくれているような気がして心細くなかった。

 ――き、れ、い。

 もし例えるのなら、これであっていただろうか。
 浮かばせてみた形容詞が妙に自分の中で響いたような気がして、小太郎は微かに首を傾げた。

 言葉を知らない小太郎は、任務や命を出す時に使う事務的な文字しか頭に入っていないため風流な形容など簡単に思い浮かびはしない。
 それでも、小太郎は必死に相手を褒められる単語を探した。
 太陽のように輝いているというのに、欠けては満ちる月のような寂しい背中がどうしても忘れられなかったから。
 喜んで貰えたらいい。笑ってくれればいい。
 ――少しでも、覚えてもらえていたらそれだけで嬉しい。
 ただ一心に想うのだ。



 いつの間にか辺りは夕暮れ。染まっていく朱色の景色を見回し、小太郎はようやく立ち上がった。
 東の空は既に暗くなっている。藍と紫と橙に変わりゆく空の色を見上げれば、遠くの森の上を烏が飛んでいく姿が見えた。眼下の人々は談笑を交わしながらそれぞれの家路を歩いて行く。皆、塒に帰っていくのだろう。
 小太郎は顔を上げて、赤く落ちていく西日を眺めた。
 遠い遠い異国の地に続いている広い空。全てを照らしながら眠りにつこうとしている日輪。
 この景色を、向こうの国にいるであろう彼は今見上げているのだろうか。祈りを捧げているのだろうか。
 見果てぬ西国に想いを馳せながら、小太郎はじっと沈んで行く夕陽を見つめ続けていた。
 もうすぐ闇の時間が来る。今宵は満天の月夜だろう。

「風魔、おるか?」

 光が消える寸前、声がかかった。
 仕事だろうか。少し残念がりながらも、小太郎はすぐさま現在の主の元へと向かった。
 老年の主は姿を現した小太郎に驚きながらも、一つの器を差し出した。そこには忍が口にすることなぞ滅多にないような、上質の餅が数個乗せてある。
 小太郎は黙ったまま首を傾げた。

「中国の毛利殿から菓子を頂いたぞ。御主にもやるように、言伝があったわい」

 遠慮せずに貰うが良い、と主が言い切る前に、小太郎は器の上の物を全て掻っ攫った。その名のように風の如く。
 あっという間に消えてしまった伝説の忍に目を丸くした氏政は、白い髭を掻い摘んで苦笑を浮かべる。

「あやつ、今日も高い所に上って西ばかりを見ていたな」

 ――と。こっそりと笑いながら呟きながら。



 巨大門の上に戻った小太郎は、懐にしまっておいた餅を掌に載せてじっと見下ろす。
 やがて完全に地平へと太陽が隠れそうになった時、そっと頭をその方向へと下げた。深い一礼を終えた後、小太郎は静かに餅を口へと運んだ。
 西の空はまだ明るい。
 自分の声無き礼があの人の所へと通じていればいいな、と小太郎は思った。
 上品な菓子はほろ甘く、初めて食べた小太郎は驚く。
 それと同時に――自分では気付かないくらい――顔を小さく、綻ばせたのだった。



 - END -





...............................................................................................................
創作者さんに50未満のお題・選択式お題(題目:遠い風景)より。
小太郎は喋らないので書きにくいだろうな、と挑んだのですが…。い、意外と動かしやすいことが判明。
何故か一人で小田原城に潜入する(これが本当に謎)元就と出会った小太郎の片思いと思いきや。
……公式で小太郎の休日目撃情報(?)を見た瞬間、こんな二人の関係が出来上がってしまいました;
実は結構好きです、この組み合わせ(笑)
(2006/10/20)


←←←Back