『……――というわけでこの文が届く頃には甲斐に戻っているものと思われます。何故敵将を屠らなかったのかと非難を受けるのは御尤もだと承知しておりますが、この幸村、己が定めた信念は貫きとうございまする。答えが見つかったその先に何があろうとも、某は虎の和子ではなく一人の真田幸村という男で挑む所存。責任をと申されるのならば喜んで背負いましょう。後ほどの謁見にてどうぞお叱りくださいませ――』
追伸、気になる人ができました。
壊れた箱舟。割れた鏡。肉片が焦げるような熱さの後に、身の内から湧き出す溶岩のような灼熱の焔。
白い閃光と紅蓮の猛威がぶつかり合い、眩い光の洪水と爆煙を最後に全てが崩落するのをこの目で見た――その後の記憶は無い。
ただ。
自分は。自分の槍は、折れなかった。
この信念から噴き出した燃え踊る炎は、はたして彼の人の天まで伸びる蒼い稲光に少しでも届いただろうかと、微かな安堵を伴って全身の力が抜けたことだけは覚えている。
そして、それから――。
ばちりと開いた眼のまま唐突に幸村は飛び起きた。
質素な敷布に横たえられていたことにも気付かない様子で、主人の目覚めに驚いた忍の声が耳に入ってからようやく状況を理解し始める。
同時に鋭く走っていく激痛に、声にならない悲鳴が漏れそうになった。
「旦那、急に動くと傷が……ってもう遅いか」
「さ、佐助か? 甲斐へ行ったのでは」
「行って帰ってきたんだよ。豊臣軍は総崩れ、各地への侵攻も中止、とりあえず一連の騒動は治まったってこった」
軽く言われてはいつものように、そうか、などと頷くだけに終わりそうになった幸村だったが流石に内容が内容だということにすぐさま気付き、先程まで痛がっていたのが嘘のように飛び上がるような勢いで佐助に喰らいついてくる。
背中は全面大火傷、両腕両足は骨折、その他色々と絶賛重傷だというのにこの元気である。やはり武田の男は化け物かと佐助は一人遠い目をした。
「まままま政宗殿が豊臣を仕留めたのでござるか!」
「そーそーだからちょっとは落ち着いてくださいねー」
がくがく揺さぶられる振動に眩暈を覚えつつ、佐助は幸村を宥めた。
肯定されて好敵手への思いを馳せた幸村だったが、そういえばと辺りを見回した。
先程から吹いてくる少し肌寒い風とちらちらと自分を照らしてくる篝火に野営地であるのは気付いていたものの、やけに人の気配が多いことに首を傾げる。幸村が率いていた部隊は最初から数える程度しかいなかったはずだったが、近くの篝火で照らされている範囲だけを見ても蠢いている人間の影はそれよりも多いのだ。
佐助が連れてきたのかとも一瞬考えたが、忍の足だからこそ短期間で西国まで来ることができたのだから彼の部下ならまだしもこれだけの数の一兵卒を率いてこれるはずもないだろうとすぐに打ち消した。
幸村の困惑を知ったのか、佐助は肩を竦めて苦笑してみせる。
そして彼もまた非常に困ったように口元を歪めて、申し訳なさそうに頬を指で掻いてみせた。
「あーその、さ。俺様もよく分からない状況なんだけど……」
「起きたか」
しどろもどろでどう説明しようかと悩む佐助を余所に、玲瓏な声音が闇の中から小さく響いた。
思わず幸村の肩が跳ねる。
それは記憶を失う直前まで耳にしていた、気高さを纏いながら酷く冷たい光を放っていた敵対者のもので――。
「毛利元就殿……?」
語尾がつい上がり口調になってしまったのは、灯りに照らされた細い身体の男が記憶の中の男と一致しかねたからだ。
上半身から下半身まで包帯だらけの幸村が言えたことではなかったが、全身を隠すような具足を脱いで幸村と同じように――添え木だらけで固められている幸村よりはましかもしれないものの――包帯で全身を覆うその肢体は、治療を終えたばかりのように簡単な単を重ねているだけだった。
見慣れない姿は向こうも同じだったようで、髪を下ろして鉢巻もせずに誰かの陣羽織を肩からかけられているだけの虎和子をしげしげと見下ろしている。
額や首元にまで巻きつけられている白い帯が元就の肌の青白さを一層際立てていて、彼の隙の無い冷酷さを物語るようであった戦装束を着ていないためか妙に小さく見えた。
否、実際には元就は幸村よりも頼りない体躯をしているのだ。
見比べればすぐに分かる事実を今頃知って、幸村は心中で少しばかり驚いていた。
「ふむ、貴様はよほど頑丈らしいな」
どうやら幸村の怪我の具合を観察していたらしく、一人で納得すると元就は視線に気付いたようにちろりと目を動かした。
対峙していた時の威圧感はないが、その視線の強さに幸村は少しばかり息を呑む。
だが冷え冷えとした無表情に、次の瞬間浮かんだ感情を見つけ出して思わず呆けた。
「気に入った」
目を細めた元就が、決して朗らかとは言い難い笑みを口の端に滲ませた。
言葉の意味を理解できずに焦っている幸村の代わりに、側に座っていた佐助が盛大な溜息と苦笑を落とす。
「ってわけだ旦那。また妙なのに好かれちゃって大変だねぇ」
「え? え??」
どうすればいいのか彼も反応に困ってしまっているのか、これ以上茶化すような言い草はしなかった。
佐助に目を向け、再び元就を見上げる幸村の頭には疑問符ばかりが踊っている。
それを尻目に元就は伏目がちな眼差しを宙へと注ぎ、暗闇の奥にある大きな建造物を眺めていた。つられるようにそちらを見れば、薄っすらと何かの影が目に入る。あれは、幸村が無謀な荒業で止めてみせた巨大な船の残骸だ。
思い出す。
元就の所業が許せず、ようやく己の迷いそのものを受け入れる覚悟を纏った幸村が僅かな手勢を連れて彼の前進を阻んだのは、ほんの少し前のことなのだ。
この場に野営しているということは、多く見積もったとしても七日も経ってはいないはず。戦場であったこの場所を動かず、自分が治療されていて周りに多数の兵士の姿が見えるということは。
「貴殿が、某の手当てを?」
「我がやったわけではないがな。こちらも深手だ。あと二日は動けぬ」
幸村が想像したとおり、ここは正しくは毛利の野営地なのだ。そんな敵陣の真っ只中で寝転がされていた自分の状態に驚き、そして元就と佐助の言葉を理解する。
止めることばかりを考えていたため相手が倒れたかどうかなど確かめることもなく気絶した幸村を、満身創痍であれ生きていた元就が見つけ出した。自身の策を破った敵であるのだから、その場で討ち取られていても不思議ではない状況だったはずである。
なのに自分は生きているのは。
――元就が、助けてくれたからだ。
互いに激しい憎しみを抱いて戦ったわけではない。幸村の信念と、元就の信念が重ならなかった。ただそれだけのぶつかり合い。
策を破られた怒りは無論元就の中にあっただろうが、それ以上に惹かれる何かがあったからこそこうして“あの”凍れる謀将がわざわざ幸村を介抱しているのだろうと、佐助は驚愕の中で何とかそれだけは読み取ることができた。
それはもう、始めに見た時は一体何の幻を見ているのだろうと我が目を何度擦ったことか。
隣の主も事実に気付いて、その時の佐助と同じような顔をしている。
ところが愚直な彼から出てくる言葉は、間抜けなことにまず助けられたことへの感謝。ここで最初に何故かと問わないのが幸村らしいといえば幸村らしいのだが、忍はがっくりと肩を落とし、先程までの敵将は思わずきょとりと瞼を瞬かせた。
切れ長の瞳がそうして大きく見開かれるのを発見した幸村は、既視感を覚えた。
自分の炎と彼の光がぶつかり合って、押し負けた後。
全身が焦げる様な地獄の熱さと痛み。
だがそれさえも乗り越えて、閃光の中を駆け抜けていった視界の端で――。
この人は、小さく小さく微笑まなかっただろうか。
己が胸に宿った熱き魂を――誰のものでもない、真田幸村という人間から湧きあがっていった焔の色を見つめながら満足したように。
「やはり捨て駒の思考など理解できぬな」
幸村の言葉に不快気に眉を顰めた元就だったが、それは苦笑を噛み殺したような不器用な表情で。こんな風な表情もすることができるのかと、幸村の中に毛利元就を知ってから生まれ始めていたひっかかりがとくりと跳ねた気がした。
「だが、我は貴様が気に入った。名を覚えておこう、真田幸村よ」
「!」
笑みを潜めて真っ直ぐに幸村を見下ろす視線は、駒ではなく一人の熱き男をしっかりと認識していた。
「我は貴様に真の日輪を見出した。貴様がいう天下、如何程のものか暫し試させてやろう。光栄に思うがよい」
「毛利殿……」
そういって再び無表情になった元就は、幸村の側から離れた。
篝火の側でじっと元就の挙動を見守っていた従者が、慌てて付き従い傾きそうになる細身を支えようと傍へ寄り添ったのを見送りながら、彼も相当の重傷者だったということを改めて思い出す。
見えない彼の肌には、幸村が刻んだ火傷の痕が無数に残っているのだろう。それが少し申し訳ないような気がして――何故だか少し、嬉しかった。
「……嬉しい? 何故だ?」
唐突に生まれた不思議な感情を不審に思いつつ、戦後の爽やかな気持ちで幸村は星空を思い切って眺めた。
故郷の空が、何だかとても懐かしかった。
自分の槍は、心は、折れずにいた。
今はまだみっともなくとも、自分に正直に生きる。醜い部分も未熟な部分も全部受け入れて歩く決意と共に。
そうしてまた、再びあの蒼い竜とまみえる日を楽しみにしている。
それから――。
眩い光の中で出会った思いがけない微笑に震えた気持ちの正体を知るためにも、乱世を今度こそ終わらせるために再び駆け抜けよう。
元就とまた出会った時に、きっとその意味も分かるはずだから。
- END -
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日記で書いた二期アニメ最終話の突発SSです。
やはり佐助は苦労性。
(2010/9/27・2010/11/18加筆)
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