風食み


 瀬戸内海から吹き寄せる風が、その岬に潮の匂いを滞りなく運んでいた。
 さして海抜から高くは無いその場所には、時折高波の残滓が降り注いでいる。
 青々と輝く海を楽しげに見やりながら、元親は向こうからやって来るであろう船の到着を待ち侘びていた。


 彼の治める四国はこの地の対岸に存在する。生まれ故郷である土佐はさらにその地の南側、大海に面している。
 幼い頃から海は近いものだった。元親にとってそこは始まりの場所であり、終わりの場所でもある。
 戦乱の世に生まれたため、流した同士の数は数え切れず。塩水に流されていった血潮も何度見たことか。
 昔はきっと海が嫌いだったのかもしれない。
 けれど、今はそんなことはない。こうして自分を迎えに来てくれる部下達の操る船が待ち遠しく、屍の上に築いた領土へ帰ることに躊躇いは無い。
 吹き付ける風が心地良く、ついつい船上に戻ったような気分にさせられる。元親は頬を弛ませながら、岬の上でただ海を見続けた。

「長曾我部」

 不意に呼ばれ、元親は振り返る。
 泡立つ波音に消されてしまいそうな、低い声音が囁くように聞こえた。その主が誰であるか、元親は声をかけられる前に気配で察していた。
 晒されている右目で見やれば、予想に違わず痩身の男がひっそりと佇んでいた。
 おや珍しい、とばかりに瞠目した元親を見て何を思ったのか、能面のように冷たい貌が忌々しげに歪む。
 慌てて弁明しようとするが、浮かんだのは本心の言葉だけだった。

「あんたが見送りに来てくれるなんてな、って思っただけさ。それとも何か急用が舞い込んだか?」
「――……否」

 苦笑をしながら告げて見れば、嫌味の一つくらいすぐさま返してくるはずの元就が神妙な顔付きで素直に首を振っていた。
 それこそ珍しい。
 元親は頭を乱暴に掻き、元就の側まで歩み寄る。少しだけ波音が遠くなった。

「我は元からよくこの場所に来る。海の向こうの鬼ヶ島をどう攻めようか、思案するには丁度良い」

 氷の面が、にたりと笑った。
 美人がそういった凄味を見せると怖さが増すな、と呑気な感想を覚えながらも元親は元就と共に海を眺めた。
 潮騒が滞りなく響いている。

「笑えねぇ冗談だぜ。まぁ、俺もここは気に入っている。風が強すぎず弱すぎず良い塩梅だ」
「鬼は海風をも喰らうか?」

 奇妙なことを言い出す奴だな、と元親は顔を上げる。
 元就は静かに海を見つめるだけで、白い横顔からは何も感じ取れない。

「潮の香りを運ぶ風。帆を張り掴む風。天候を知らせる風。凪ぐと海では何も出来ぬ。故、そなたは海を必要とすると同時に風を必要とするのだろう」
「なるほどなぁ。さすがは智将。一々詩人めいている」

 ははは、と闊達な笑い声を上げた元親は、視界の隅に映ったものに気付いた。
 迎えが来た。
 徐々に大きくなる船の影に、元就はふと目を伏せた。
 隣で子供のように楽しげな表情を浮かべる彼を、まるで視界から無理やり追い出そうとするように。

「さて、我は行く。さっさと帰るがよい」

 踵を返して元就は歩き出した。
 岬から吹き上がる風が、細い背中を摩るように撫でていく。
 去っていく影を見送りながら、元親はふと顔を上げる。
 爽やかな空に浮かぶのは眩しい陽光。標を照らし出す輝きを持つのに、青い世界で孤独に浮かんでいる星。

「……まったく、言いたいことだけ言いやがってよ」

 苦笑を浮かべ乱暴に頭を掻きながら、元親は砂浜へと降りていく。
 吹き付ける心地良い風を感じながら。


 アニキ、と嬉しそうに呼ぶ仲間の声も。
 子守唄のように慣れ親しんだ潮騒も。


 若草のような、彼の人の残り香も。


 いつだってこの風が伝えてくれる。



 - END -





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微妙な関係のチカとナリ。
互いに思うことはあるのだけれども、直接は見せられないじれったさが出ていればいいかと。
書き慣れていないのが丸分かり駄文。
(2006/08/25)


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