彼岸という名の川岸で


 くるくると忙しく動く白い指先は、まるで魔法のようだ。
 咽るほどの甘い香りを含んだ花畑に狂ったように咲いていたただの野草が、あっという間に美しい冠になった。淡い花弁の秋桜が風に揺れる。
 照れ臭げに笑ってそれを被って見せた相手に、思わず吹き出してしまう。

 似合ってるぞ?

 ――なんて言えば何だか複雑そうに頬を掻いていた。
 もう一つ花冠をこさえた一つ目の男は、彼の亜麻色の髪に乗せた。白い秋桜の冠は良く映えている。

 あんたこそ似合ってるぜ?

 ――なんて言えば彼は不服そうにそっぽを向いた。
 その頬が赤くなっていることを知っているから、忍び笑いが漏れた。



 元就様、と彼が呼ばれて振り返った。
 花畑よりも手前側の川原から、満面の笑顔を湛えた彼の息子が手を振って駆けてきた。

 そろそろお迎えの時刻です、長曾我部殿も一緒に行かれるのでしょう?

 そう言われて男は立ち上がる。
 彼の細い手を取って立たせてやりながら、苦笑を浮かべていた。

 もうそんな時期か。しょうがねぇなぁ。

 そんなことを零しながら、遠く、地平の方へと大きな声をかけてやる。
 かつて地上で走り回っていた頃に響かせていた若々しい声音が、花畑に広がった。

 おい、迎えに行くぜ!

 何処までも続く花畑の向こうから、一人二人と人影がやって来た。彼らはやがて三人を囲むほどの数となり、勝鬨のような声を上げた。
 それを眩しげに眺めている父の姿を見て、息子は嬉しそうに口元を歪ませた。

 何だ隆元、これが可笑しいのか?

 父が頭上の花冠を取ろうとしたが、慌てて否定する。酷く残念そうにしている横顔を見たからだけではなく、本当に似合っていると思うから。
 彼が男に貰った贈り物だ。
 きっと彼も外したくはないのだろうと思うと、ついつい喜色を含んだ笑みが込み上げる。

 よう御座いました。元就様――父上が、笑うということをお忘れになっていなくて。

 寂しそうに笑った息子は、川原で石積みの仕事を毎日半日ほどしなくてはならない。自分より早く死んでしまったための責務なのだと思うと、案外長生きしてしまっていた自分が少し恨めしく思う。
 そんなことを考えていれば、手下を連れた男が晴れやかな笑顔を浮かべて肩を叩いた。

 お迎えなんだ、そう暗い顔すんなって。俺は長生きしてくれたことが嬉しいぜ。

 そう言われるだけで、すんなりと男の言葉が胸に沁みていく。昔は頑なだったけれど、この緩やかな世界に閉じ込まれる前に男と少しだけ意思の疎通ができるようになっていたことが良かったと、本当に思う。気が狂うほどの柔らかな楽園で一人きりでいることの方が苦しすぎるのだから。

 船が参りましたよ。ほら、父上行きましょう。

 ずっと握ってやることの出来なかった子供の大きな手に連れられて、彼は岸辺へと寄る。
 男は彼の背中を嬉しそうに眺め、自分もまた川原へと歩み寄っていった。男の息子もまたそこに立っていて、騒がしくなった背後を振り向いていた。足元にはやはり石積みの仕事の跡が残されている。

 ああ、親父殿。お迎えでございましょうか。

 ああ、信親。もう時期だからなぁ、盛大に迎えてやろうや。

 そうして二人は岸辺へと寄った。彼と彼の息子が広大な川の向こう側を見つめている。その隣にそっと寄り添えば、彼が微かにこちらを見やり笑んだ。
 男と彼の頭の上には先程から乗せられたままの、揃いの秋桜の冠。
 さわさわ、さわさわ、と風が花畑を揺らすたび。さらさら、さらさら、と清水の流れが揺れるたび。儚い花弁が小さく震えている。



 ――元親、皆、覚えていてくれるだろうか。

 不安げに呟いた元就に、男は大きく頷いた。


 ――忘れられるほどちっぽけな存在じゃねぇよ、元就はさ。

 彼がかつて信仰していた日輪のように明るい笑顔で、元親はその手をそっと握った。



 親父殿、ほら、来ましたよ。

 父上、何とも懐かしゅうございますね。

 おおい、と声を上げる男の部下達。こっちだ、と手を振った彼の部下達。そしてそれに応えたかのように霧の合間から姿を現した船が一つ。
 本当はこちらに来ては欲しくないのだけれど。でも、再び出会えることは喜ばしかった。
 何より、向こうでは一緒にいることができなかった人と共にいられる。天上の楽園とはなんと言い得ていることだろう。
 二人はそれでも、構わなかった。
 固く結ばれたこの手。悲しい温かさに包まれている、二人の手。今、手中に互いの存在が感じられるということだけで満たされるのだから。


 ここは川の向こう、岸の間際。
 彼岸へと旅立った者の行き着く、楽園の花園。



 - END -





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不思議な雰囲気のチカナリを書きたかったぽいです。
とりあえず時期ネタで彼岸。微妙に史実っぽく隆元と信親は二人より早く死んでいます…。
二人が迎えに上がったのは誰なのかはご想像にお任せします。
(2006/09/11)


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