屍累々といった惨状だ。慣れている血生臭さとはいえ、凄まじい死臭に若干眉を顰めてしまう。
 この中にぽつんと佇む彼は、飛沫のように浴びた返り血で濡れながらじっと地面を見下ろしていた。後姿だけではきちんと確認できないが、大きな怪我はしていないようだ。
 少しだけ安堵の息を漏らしたのが聞こえたのか、のろのろとした動作で己の主君は顔を上げた。予想通り、頬が赤く汚れている。

「旦那」

 佐助が小声で呼び掛けると、まるで違う世界を見ていたような虚ろとした視線がようやく現世に戻ってきた。焦点をゆるゆると結び、幸村は己の忍の姿をようやく見止める。
 この瞬間がいつも恐ろしいと佐助は思う。
 戦場を駆ける幸村と、普段の彼との境目がそのうち無くなってしまうのではないかといつだって感じているのだ。こうして自分が呼びかけても、いつか幸村があの獣のような目で自分を見上げるのではないかと思うと怖くて堪らなかった。

「戦は終わったんだよ。早く帰らないと、大将にまたぶん殴られるって」
「ああ、すまぬな佐助……」

 微かに光を取り戻した彼の眼差しは、けれども何処か陰りを払拭出来ずにいる。
 幼い頃から側にいる佐助には、幸村の浮かべた暗い感情の行き先が何なのかすぐさま察することが出来てしまった。
 信玄に尽くし戦うことにしか自分の場所を見出せない幸村の心を、突然攫って行ってしまった例のあの人――毛利元就の事を考えているのだろう。
 よりにもよって敵同士。
 それでもどうにか彼と戦わずにすむ道を、と幸村が交戦を主張する武田軍の中でただ一人元就を擁護する声を上げていた。
 一番槍である幸村だが若輩故に侮られることなど少なくはない。幸村が元就へ恋心を抱いていることを知らない大勢の者達は、その発言を一蹴するばかりだった。ならばと信玄に直訴しても、結果は変わらない。逆に戦を嫌うような己の言い分に、信玄は首を傾げ理由を尋ねた。流石の幸村も、答えに窮するしかない。誰よりも優先すべき師に敵と通じているとでも疑われることも、或いは元就に騙されているのだと諭されることも嫌だった。

 ――この時点で気付いていれば、後ほどの悲劇は起こらなかったのかもしれない。
 幸村が無自覚ながらも、信玄よりも元就を優先させようとしたというこの事実に佐助が気付いていたのなら。


 幸村の願いも虚しく、毛利との開戦は余儀なくされた。
 何度も愛しい人と刃を交わし、その肌を傷付けなくてはならない苦しみに幸村は徐々に笑わなくなっていった。
 怖い、と佐助はますます思うようになった。
 日常との境が消えていくのをすぐ側で感じるからこそ、いずれ幸村が壊れてしまうのかもしれないと考えたくもない想像を巡らせてしまう。常であれば本陣に帰れば普段の彼に戻るというのに、じっと次の命令を待つ幸村の背には暗い影しか見えない。そんなものを纏うのは自分だけで良いというのに、幸村の抱える闇は毎日深みを増していく気がしてならなかった。

 それからも毎日のように双方の衝突は繰り返され、幸村は何度も元就と戦った。
 佐助はその一騎打ちに水を差せず、遠くから見守ることしか出来ない。それでも悲しい逢瀬の中、二人は何かを話していた。時折幸村が口の端をつり上げているところから、もしかするとあれが彼らなりの付き合い方なのかもしれないと戦場に似つかわしくないことを思う。けれども、それにしては哀し過ぎる笑い方だった。あれは自嘲なのかもしれない。
 深く被られた兜に遮られて見えなかったが、元就の方も笑っていたのかもしれない。



 それから、あっという間のことだった。



 幸村の髪が落されて。
 元就の首は落ちた。

 兜を失くした美しい人の顔は、やはり、笑っていた。
 佐助が思っていたのよりもずっとずっと優しげな面差しをしていた。



 狂ったように泣き叫んだ幸村の声が、戦場の喧騒に掻き消されていく。最愛の人の小さな頭を掻き抱き、いつかのように血飛沫に塗れた幸村の嘆きは咆哮のようだ。肌を刺すような哀惜の声の痛みに、佐助は思わず目を瞑って耳を塞いだ。
 ああ、とうとうその時が来てしまったのだと、ある種の絶望感を覚えながら。

「旦、那?」

 騒がしい戦場の中で、不気味なほどぽっかりと開けた場所に幸村は座り込んでいる。
 彼と相対していた元就しかこの場にいなかったから、佐助が降り立った空間には奇妙な静けさが保たれている。
 自身の叫びを一人で聞いていた幸村は、今何を思っているのだろうか。
 佐助が来てから静かになってしまった彼のことが心配になり、ゆっくりと話しかけてみる。
 いつもなら、ゆっくりと顔を上げて徐々に正気を取り戻す。
 きっと大丈夫だと根拠のない台詞が脳裏で過り、余計に佐助は哀しくなった。


 ほら。

 駄目だったじゃないか――。


 振り返った男は、真っ暗な眼をして何処かを見つめている。
 見慣れたはずの長かった髪が途切れ、巻いていた鉢巻も元就の刃に切られていたため頼りなく地へと舞っていった。
 別人のような眼差しを浮かべた短髪の男は、佐助に向かってゆっくりと微笑んで見せた。

「ふふ、佐助。大将を討ち取ったぞ? 早くお館様に報告せねば」

 いつもなら、無邪気に笑ってくれたはずの年下の主君は。
 低く鷹揚のない声で、口の端を微かに持ち上げて見せた。仄暗い双眸はじっと抱き締めたままの首を見下ろすばかりで感情が見えない。

「さあ、帰るぞ」

 幸村は一瞬だけ元就の身体を見下ろし、その手の中に納められた自身の髪を眺めた。
 その横顔からは何の感情も読み取れない。
 何だか急に、幸村が遠い世界に行ってしまったように感じられた。





 もう一つの悲劇が起きるのは、それからすぐのこと。






「祈りなんて届かないためにある」






 - END -





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凄い暗くて申し訳ございません…;;
「見届けた人の話」の反逆事件前にあった出来事を佐助の視点で、でした。
ちょうど一年くらい前に前の話を書いたので、裏話も書いておこうかと思ったのですが…何と言う病み具合……。すみませんでした…。
(2008/12/06)


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