ようやく夢が叶ったんだ。
ずっと見ていた夢。色々なものを捨ててまでしがみ付こうとしていた理想の未来。
手に入った途端に、耐え続けて奮い立たせていたはずの身体がとうとう崩れてしまった。
真っ暗になる視界。
もう血の流れない世が訪れたというのに、僕は、自分の血の芳香を感じながら瞼を伏せた。
あの日の彼の匂いを思い出しながら。
血 に ま ど ろ む
冷たい瞳だと恐れられている中国の王は、噂と違うことなく凍り付いた視線を半兵衛へと投げかけた。
微かに怒りの熱で揺れている。それが無ければ本当に人形のようだと思った。
既に毛利は豊臣に降った。大将である元就は今、縄をかけられて牢の中にいる。
首を斬られる日を待つために。
「僕は君の才を買っているんだ。この場で命を落とすよりも、その知略を国のために使うのが懸命だと思わないのかい?」
半兵衛は何度もこの牢に訪れていた。
元就を失った毛利軍は半兵衛の話術に絡まり、豊臣を主家として仰ぐ決断をした。静かに納められていった戦渦の刃を今更蒸し返す気は無く、元就は自分の命が絶たれることで毛利の混乱を治めようとしている。
殉ずる思いは固く揺るがない。半兵衛が説得しようとも、毎回答えは同じだった。
「愚問だな、竹中。我が消えることで貴様は毛利を容易く手に入れることが出来る。我は、家の旗が屈した時に既に身から魂が出でた。ここにあるのは残骸よ。早々に首を刎ねるが良い」
苛烈な光を灯している双眸は弱まることなく、じっと檻越しから半兵衛を見据える。
死を臆すこと無い者は梃子でも動かない。そのことを半兵衛は良く知っている。けれど諦めきれずに元就と話を続けていた。
元就の言うように、彼の首を刎ねてしまえば毛利に残った抵抗勢力もなくなるだろう。生かしておけば、豊臣は内から食い破られるかもしれない。
何が最善なのか、何が親友のためになるのか、半兵衛とて分かっている。
だが、元就を前にすると心が粟立つ。それは初めて会った時からそうだ。
同族は同族を引き寄せるのだろうかと半兵衛は苦笑していた。兵を見下すその采配に少しだけ眉を寄せたのも、一種の同族嫌悪だったのだと今なら分かる。
自分とて、身内であろうが要らない者は切り捨てる。親友もまたそうして、一人の少女を切り捨てた。
そうして覇道を歩いてきた。夢があるから。
死ねと命じられるまでもなく、徐々に近くなってくる死期を感じながらも、だからこそ半兵衛は前に進まなければいけなかった。
「君は、死が怖いと思ったことは無いのかい」
元就の持つ氷のような清廉さと冷たさと、消え行く定めにある儚さ。その刹那の美しさに息を呑みながら、半兵衛は自分と同じものを感じていた。
病的にまで家を思う眼差しは、確かに冷血だった。だが毛利軍が降ったと知った時、元就は抵抗を止めて死を望んだ。
きっといつだって死ぬことを覚悟していたのだろう。だが恐れずに前進し続けた元就は、毛利が毛利でなくなることで歩いていた道が途切れてしまった。
途切れれば落ちていくのみ。それでも己が刻んだ修羅の道を、彼は抱いて逝くと決めた。残された子供達に怨み辛みが向かぬよう、それが最後の毛利としての自分の役目だとして。
「我が、我の築いた毛利を持ってゆく。新たな道を選んだ家に、我の存在など邪魔なだけ。血に塗れるのは我だけで十分だ」
生きる意味を失ったというのに光を消さない瞳が、病に蝕まれた己が目では眩しくて。
うっすらと笑んだ元就の顔を呆けたように見つめていた半兵衛は、今日も静かに牢を立ち去った。
同じように死を待つ身体。
なのにどうして。
どうして彼は、あんなに綺麗でいられるのだろうか――。
見つからない答えを探しながら、半兵衛は元就の首を落とした。
その時に走った血の気の退く音が、奇妙なほど自分の中で響いて行ったことを彼は感じていた。
迸る血の匂い。
自分が吐き出した血塊と同じ香りが辺りを包む。
何処までも彼と自分は似た者だったのだと、逃れられない鎖がじゃらりと鳴ったような気がした。
元就は冷たい眼を持っていると言っていたのは毛利の兵士だったろうか。
あの仮面は脆く、いつかは綻んでしまうと半兵衛はぼんやりと思ったものだ。
そうして薄れ行く意識の中で、思い出す。
最後に戦った相手である隻眼の竜は、どす黒く押し殺されたような感情を浮かべながら半兵衛に言ったのだ。
――その冷たい瞳に刻んでおけ。
お前こそが冷徹な眼差しを持っているのだと、政宗は血を吐くかのように低く唸った。
あれは好いた女が殺されたと知った時の、慶次の目と良く似ていた。
憎くて憎くて堪らない。許さないと語る針の視線。
空へと還っていったあの竜も、あの光に想い焦がれていたのだろうか。今となっては何も分からない。
「……本当に、もっと、時間が欲しかったなぁ……」
床で苦笑を浮かべた半兵衛は、片手で色素の薄い自分の髪をくしゃりと掴んだ。
夢は掴んだ。自分は主君のため、友のために、誇らしい生を送った。
でも。
あの日、元就の血を見たときからぽっかりと開いた空洞はどうしても埋まらないままで。
答えもまた、見つからないままで。
生き急がずに、彼と別の形で出会っていればこの感情の本当の意味にも気付けたかもしれない。別の未来の道があったかもしれなかった。
会わなければ良かった。会えて良かった。
相反する想いが浮かんでは消える。血の匂いが徐々に濃くなり、思い出すのは眩しい双眸。
「元就君……僕は、真っ直ぐに見えただろうか」
前を、前を、がむしゃらに見て走っていた。どんなに穢れても、明日のために走った。
何を犠牲にしても、走り続けた。
「僕は、真っ直ぐ走れていただろうか――」
過去に縛られていた元就に、未来を見据えようとして足掻いていた半兵衛はどう映っていたのだろう。
それを知ることが出来ないのが、唯一の心残り。
咳が止まらない。血の匂いが消えない。
嗚呼、自分は死ぬのかと思うと怖くなった。怖くなって、そして元就の恐れの無い佇まいを思い起こす。最期まで日輪を見つめていた背中を。
――きっと僕は彼に憧れていたんだ。
そうして、ふと死に際に湧き上がった言葉は、半兵衛の胸の中に静かに染み込んでいった。
彼は呆れたような小さな笑みを浮かべたまま。
最後に理解できた想いを抱いて、元就のいる場所へと歩き出した。
- END -
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創作者さんに50未満のお題・選択式お題(題目:君が描いたユートピア)より。
半→就だったはずなのに、いつの間にか微妙に政→就が挿入されている不思議な小話…;;
元就の眼が冷たいと皆さん散々言っていますが、唯一伊達さんは半兵衛に対して言っているので…妄想がもやもやと。
しかし、半兵衛と元就絡ませるのが凄く難産でした。互いに互いの譲れないものがきっちり分かれているから、反発しまくり。これがまた良いのですがね…。
(2006/11/16)
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