日陰の恋人


 口付けを落とした後、二人の間に沈黙が続いた。
 どちらもその瞬間に瞼を閉じることはなく、好き合った者同士で交わすにしてはやけに無味乾燥としたものだ。甘ったるい柑橘の味わいなど全くなくて、つい先程飲み干した消毒された水道水の匂いが微かに鼻先に過ぎった程度。
 思っていたものと違い、少々拍子抜けしたというのが本心だ。
 いっその事、舌も絡めるもっと深い口吸いの方がよかっただろうかと黙ったまま考えてしまう。粘膜同士を接触させるのだって今のが初めてであったが、それは目の前の相手に限ったことであって、異性とは遊びで付き合った際に何度かそうした性的な触れ合いを楽しんだことがあった。
 ――そうだ。
 目の前にいる彼に対して、そんな触れ方をしたのは紛れもなく初めての事だった。
 初めて、同性と唇を重ねたのだ。
 終わった後から急に相手を意識するようになってしまい、焦るほどに言葉は生まれてこずどうにも困ってしまう。

「……伊達」

 見辛い片目の世界の中に映り込んでいるほんの少し低い頭を見下ろせば、いつも通りに涼しい顔をした無表情の男がいる。整った顔立ちだが女性的とは思えない。ましてや自分の名前を呼んだその声は低く、柔らかさとは無縁だ。
 それでも誰より、心を惹かれている存在であるのが悔しい。

 立ち入り禁止の屋上は格好の逢引所で、眩しい日差しと照り返しから避けるように給水塔の影に隠れて座る。
 告白したのはその場所で、昼寝をしていた自分の手へ自然と彼が自らの片手を乗せてくれたのも、日常の死角にあった小さな影の中だった。
 そこからほんの少し飛び出して、放課後の校内の暗がりで二人の初めての行為は終わった。
 夕焼けが影を広げた踊り場の隅っこ。壁と手すりにもたれかけ、見つめ合ったまま触れ合った特別な意味を持つ口付けはものの一秒で離れていった。
 それが限界だった。階段の吹き抜けから校内に残る生徒の笑い声が響き、少し遠くの廊下から教師らの足音だって聞こえてくる。
 あの影から抜け出したここは日常の領域だった。哀しいほどに、平凡な世界だった。

「伊達、我は」

 彼の制服の白さが夕闇の中で際立った。
 汚してはいけない領域を見たような気がして、思わず俯き掛ける。そうして視界に入るのは同じ色の制服で、結局自分達のいる箱庭からは出て行けない事実を突き付けられたような気になってしまいそうだ。

「毛利」

 呼び掛けるものの続きの言葉が出てこない彼の目は、冷ややかな面立ちとは違って僅かばかりに揺らめいていた。彼のそんな一面を知るのは、自分だけでよいと貪欲さが湧いて出てみても後から続く切なさに胸が押し潰されそうだった。
 できるだけその感情を表にしないよう心掛けて、真っ直ぐに彼の名を呼ぶ。

「……毛利」

 重ねるだけ重ねればいつか許される日も来るのではないかと、しょうもない事を考えた。
 それは彼も同じだったらしく、珍しい苦笑で返された。

 初めての口付けはそうして終わって。
 二人は何事もなかったかのように、その場で別れてそれぞれの帰路に着く。

 誰に気付かれないよう隠れた日陰でも愛は紡げる。
 言葉にもできずに、日常への後ろめたさと戦い続けながらも、それでも求めようとするその姿は物語の美談にもなろう尊き恋情そのものであったが、彼らのそれを彼らの世界は許されざるものとして拒絶した。
 明るみに引きずり出されるその日がいつやって来るのか分からない。
 それでも震える幼い恋は、確かに今日も二人を繋いでいる。



 - END -





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このフレーズを使いたいがための学パロで。
夕方・放課後・屋上・給水塔って私的にとてもノスタルジーな気分にさせられます。
(2014/6/15)


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