: 小 さ な 夜 話 :


 真っ暗な室内で唐突に目が覚めた。
 辺りはしんと静まり返り、灯りも既に消えていた。風を取り入れるために開け放されたままとなっている小窓の向こうから、月明かりがそっと差し込んでいるため視界は妙に明るかった。
 仰向けだった視線だけで寝所の様子をぐるりと見渡した元就は、現状を理解して軽く瞼を伏せると喉元に詰まっていた息を吐き出した。
 微かな空気の振動に反応してか、隣の熱が身動ぎしたのを感じる。
 見慣れない場所だと思ったが、何てことはない。
 ここは時折訪ねる政宗の寝所である。

 珍しくこちらから赴いてみれば多少驚いた様子だったが、けれどすぐさまあの小憎たらしい笑みを浮かべて上擦った声音を隠し切れずに元就を招き入れた。元よりそのつもりで訪れたのだから反論もなかったが、もっと素直に嬉しいとでも言えばいいのにと少しばかり不満が残る。
 普段は政宗の方が元就の部屋へと勝手にやって来ることの方が多かった。――多いといっても、慕い合う仲であるのに情事を交わしたのはまだ両手で数えられる程度。出会ってからの年数を思えば世間一般よりも少ないかもしれない。
 そんな風に歩み寄りながら過ごしていたが、今日は元就の気まぐれが勝った。
 気まぐれ、と自分自身に言い聞かせるが本当は求める気持ちが高まっただけなのかもしれない。それを一切口には出さずとも、政宗は始終楽しげに、そして――泣きたいほどに、感極まっていた。久方ぶりの互いの熱の昂ぶりは月日を開いてしまっている分だけ高まり、終わりをなかなか見せないほどに抱き合う腕は元就が気を失いまで放されずにいたのを記憶している。
 その時の、掠れた声を思い出して元就は空いていた片手を顔を抱えた。
 政宗は元就を容姿をよく褒めた。話半分でしか聞いていないのでそれがどれほど甘ったるい言葉なのか気付かないが、それでも身体を重ねる間とて容姿以外にも口にしてくるので気恥ずかしさを感じずにはいられなかった。
 だが、隣で寝ている男の方こそ酷く蠱惑的であることに彼自身気付いているのか、と元就は思い返す。
 情事の際だけではない。
 戦場で刃を振りかざしている時。野望を語る唇と鋭い三白眼。低く背筋を震わせてくるようなあの声。
 どれもが人の目を惹く要素が備わっているように思えるのは、惚れた弱みというやつだけではない気がしている。本人にそれを告げれば妙な反応をされるか、それともそのまま口付けされて少々赤面した顔付きで済し崩しに抱かれるかで、今のところはあまり言わないよう心掛けている。

 しかし――。

 元就は身動ぎをして、ようやく上半身を起こして眠る政宗を見下ろした。
 龍の爪を操る立派な腕が腰元に回されてしまっていてこれ以上は動きようもなかったが、月明かりに照らされた独眼竜の寝顔はしっかりと目に入る。
 こうして見ればあどけなくもあり、彼がまだ十代の少年の粋を完全には脱していないことを物語っている。
 気付かされるたびに自分は何をやっているのだろうと、呆れが込み上げてしまうのは毎度の事だった。
 だが、見下ろした先にある歪ながらも精悍な貌を元就は気に入っていた。
 余裕や皮肉を貼り付けて大人ぶる政宗が、こうして安穏とした時間の中では元就の前でくるくると表情を変えてみせる。それを眺めているのがいつの間にか好きになっていた。政宗が元就の事を褒めてくれるのと同じように、好きになってしまっていた。
 止めようのない想いに苦痛や苛立ちを覚えたのも最早過去。
 こうして今ある光景をひっそりと楽しむくらいには、お互いに余裕ができたのだろう。
 それを考え、自然と口の端をつり上げていた元就は腹側でがっちりと掴まれているその手の甲へと自分の手をそっと重ねて、誰にも見えない闇の中で微笑んだ。
 元就と褥を共にしていても取ろうとしなかった眼帯は、彼の枕元に丁寧に置かれている。同じ部屋で一晩明かすことはなく、朝になればもう温もりが消えていた日々も遠ざかった。

 代わりに居残ったのは温かな何か。
 傍らに確かにある、望み合った心の温度。

 元就は再び感嘆を吐き出すと、そのまま隣の政宗へと顔を寄せた。
 ぐっすり眠っている彼が目覚めないうちにと悪戯心がもたげて、他人が同じ空間にいるというのに緊張感の一つも現れなくなってしまった己がおかしかった。
 元就は散々愛し合った唇は避けて、政宗の負の遺産がつまったその場所へと柔らかな皮膚を押し当てた。
 へこんだ瞼の下にはがらんどうが広がっている。
 だがそこに存在しているのは今の政宗を形作った大切なものがつまっている。
 彼が彼でなければ、元就はここにはいなかっただろう。それはまた元就にも同じことが言えた。
 だからこそ愛おしく思える。
 唇を離した元就は、零れ落ちていく政宗の髪をそっと梳いてやりながら静寂の宵を楽しんだ。穏やか過ぎる時間はあっという間に過ぎ去って、朝になればまたお互いに喧騒の中へと戻らねばならない。時は有限、惜しくもあったが抱き合う時間を作るためには二人は二人の居場所でやるべきことを成さねばならないのだ。
 だからそれまでは。

「――良い夢を」

 こつりと額を合わせながら、深い深い慈愛の込められた声音で元就は願った。
 それは他の誰にも知られずに夜の中に溶けていったが、政宗の寝顔だけが嬉しそうに破顔する。今頃きっと彼が見ているのは優しい夢であるのだろう。元就は小さく笑うと、屈んでいた背中を直して窓へと振り向いた。
 だけどその手は。
 政宗の髪を、蕩けるように撫で続けていたのだった。

 夜明けの時間はまだ遠い。



 - END -





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夜中、急に目が覚めた時に、隣にある他人の体温を自然と受け入れている自分を、
最初は政宗も元就も若干戸惑っていたんじゃないかなと思います。
(2014/6/06)


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