軒先に燕がやって来たのはほんの一ヶ月前のことだったように思う。
 毎日政務をこなし、筆を休めるたびについ軒先へと目をやるうちにそこには二羽が住まう巣ができていた。やがて一羽は巣に籠ったままで、もう一羽が頻りに外の枝先で鳴いていた。ぴちちちち、と特徴的なそれがあの燕だとすぐに分かり、つい近付いて様子を見てしまうのも日課の一つに加わった。
 夜は静かに巣の傍らで羽を休め、卵を見守る姿が小さな体にも関わらず立派に思えて――多少複雑な気分にもなりはしたが、そこにいる彼らには何の罪もないのですぐに振り切る。
 濡縁を移動していた者が突如横切った燕に驚く様も見ていて飽きず、素早く庭の虫を捕まえて滑空する姿を眺めつつ息抜きがてらに外へと出ることも多くなった。これには家臣らも安心したようで、今では皆が軒先の燕の一家を穏やかに見守るようになっていた。
 やがて巣の中に籠っていた燕も餌を取りに出かけるようになった。
 不思議に思って巣を仰ぎ見ると、縁の部分から同系色の地味な頭がひょこひょこと並んでいるのが分かった。
 嗚呼、生まれたのだ。
 静かに親を待つ雛たちの弱々しさと従順さに、何とも言えない気持ちが湧き上がりそうになったがそれもすぐさま騒がしい鳴き声に遮られた。
 戻ってきた親鳥が羽ばたきながらせっせと雛たちへと食事を運んでいく。先程までは沈黙を保っていた雛鳥は一斉に声高らかに喚き出して、我先にと口を開いて空腹を主張する。
 それは生きようとする力強い生命の形だった。
 零れ落ちたのは溜息。落胆や失望といった意味合いではなく、感嘆めいたそれは意図せずに勝手に込み上げて漏れたもの。
 自身が心動かされた事実に対して失笑が滲んだが、厭う気もない。
 燕は再び空へと戻った。残された子等は腹を満たしたもの、満たされないものなどそれぞれいたが、大人しく身を寄せ合って親を待つ。外敵に気付かれぬよう生まれた時から本能的にそうすべきなのだと彼らには刻まれているのだろう。
 あの青空へと巣立つその日を待ちながら――。

「桜も早いが燕も早いんだな、アンタの国は」
「そなたの国は紅葉や雪が早いではないか」
「確かに風流だが、それは厳しい冬の訪れだからな。和やかな気持ちになるのはほんの僅かだぜ」

 同じように軒先を眺める目が、今日は一対と一つ。
 屋敷の主の視線よりも高い位置にある一つ目は、緩やかな光を放ちながらも鋭い三白眼は鷹のよう。それでも青い素襖からは気を楽にした空気が漂い、親密な関係を浮き彫りにさせるくらいには二人の距離は近かった。
 似たような色合いの髪が、初夏の風に攫われて美しく揺れる。
 木漏れ日の乱反射を思わせる照り返しは、午後の穏やかな陽気を写し取っていた。

「Oh, you know what? 餓鬼の頃、小十郎から聞いたお伽噺なんだけどな、燕と雀の話っていうのがあってさ」
「ほう?」

 客人の青年は不意に思い出した様子で、軒先から室内の日陰へと戻りつつ話し出した。
 興味が引かれたもう一人はそれに倣い、いつもの使い慣れた部屋へと腰を下ろす。そうすることで聞く気がある体勢を作った。
 隻眼の彼はそれに対して笑い掛け、同じように腰を落とす。

「燕と雀は兄弟で、それぞれ独り立ちしていた。だがある日に故郷の老いた母親が急な病で倒れて、見舞いにいくことになったんだ」

 子どもの頃を思い出しながら話している彼の指先は、得意げに宙をなぞる。そうすることで幼少期に膨らませた想像力を蘇らせているのだろうか。

「雀は着の身着のまま、慌てて家へと飛んでった。おっかさんが心配でしょうがないと見舞いの品もなく、野良仕事の服装そのまんまの襤褸を纏っていた。それでも急いできたから、倒れた母に声を聞かせて顔を見せてやることができて、死に目にも会えた」
「死に目? 死んだのか」
「ああ、死んだ」

 淡々と尋ねられ、相槌も平然と返される。
 だが二人が一瞬の間に考えたものは同じだった。

「それで、燕はどうしたのだ」
「燕も雀と同じ頃に知らせを聞いていた。だが、独り立ちした立派な姿を見せなければ故郷に置いてきた母に申し訳ないと思い、身なりを綺麗に整えて見舞いの品もきちんと揃えてから出発した」

 前置きのように死んだことを強調されたのに気付いて、話を促した側が開きかけた唇を再び閉じる。
 隻眼がそれを横目で静かに眺めながら苦笑を浮かべた。
 寓話などは子どもに読み聞かせることに意味がある。こうするとこうなる、といった因果関係を面白おかしく歌ったものから、大人の禁則事項をそれとなく教えるべく作られているものだ。
 雀は親の死に目に会うことが叶った。叶わなかったのは、勿論。

「燕が故郷に着いた時には既に母親の葬儀だ。親の死に目にも会えなかった親不孝者だと、糾弾された燕は苦肉にも喪と同じ色の身なりをしていた」

 話はそれで終わり。
 そう告げた青年は、軒先の方へと目をやった。

「だから神様は、親孝行の雀は地味な色をしていて美味い米を食べることを許して、親不孝の燕はあのなりをしながら虫を追い掛けるさせてんだと。小十郎はそう言いながら畑を耕していた」
「……幼き頃の話であろう?」
「そうそう。小十郎の趣味はその頃からずっとだ」

 話の締め方に怪訝な顔をした屋敷の主に、隻眼の青年は肩を竦めてみせた。
 従者の土いじりがいつから始まったのかを彼もはっきりとは覚えていないので、どう答えてよいものかと悩んだようだ。
 納得できたようなできないような、複雑そうに眉を顰めながらも再び話を戻す。

「それで、その話がどう今に繋がるのだ」
「折角の収穫を摘まむ雀は農民に嫌われているが、燕はあの通り虫を食うから益鳥なんだとさ」

 会話はそこで急に途切れた。
 爽やかな風の下で、燕の声音が高らかに歌っていた。


 * * * * *


 毛利は悪だと高らかに謳いながら行進は止まらない。
 隻眼の鬼は強いられた屈辱と嘆きを一心に込めて、己の信念を信じてその船を漕ぎ出した。
 陽の化身は悲しげな面持ちをしながらも進む先にある未来を信じて、己の拳に覚悟を乗せる。
 二人を正義だと湛えた兵らの足は止まらない。道を作るべく、己が望んだ人々を歩かせるために前へ前へとひた向きに進んでいく。

 彼らの背中を冷たく眺めるのは、もう一人の隻眼。醜い単眼の竜。
 止まない行進を外側から見つめつつもその道の上に己の足がすでに乗りかかっていて、舌打ち一つしか零せないその無力さが虚しいと誰にも言わずに佇む。
 それでも彼もまた、前へと進まなければいけなかった。

 今はもう思い出の中でしか見ることが叶わないあの屋敷の軒先には、きっと空の巣が残されているだけ。
 親不孝者だと罵られた燕は旅立った空で何を思うか。

「さて――俺から見たら、一体誰が燕で、誰が雀なんだろうな」

 くだらない、と吐き捨てる面影に竜は苦笑した。


 価値観なんて、結局はそんなもの。



 - END -





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 見る立場で見え方なんて変わるもの。

 作中のこのお話って一般的なのでしょうか?
 私は子供の頃に聞いた覚えがありますが、地方によるのでしょうかね。

(2014/6/1)


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