そして扉は開かれた


 政宗との関係は即物的なまでに体だけであった。
 始まりはどうだったのかもう思い出せないが、引かれた手を拒めずに誘いに乗ったのは我も同じ。
 月に一度が週に一度になり、それからまた増えて政宗とは頻繁に体を繋げるだけのために会うことが多くなった。
 元より同じ大学に通っていて、出会いもまた構内であったから約束せずとも顔を合わせるだけならばほぼ毎日のように繰り返している。その気がない日でも政宗の方から誘われることがあり、拒む理由がなければ受け入れている。向こうからの頻度の方が多いことは確かであるが、こちらから袖を引いた日も片手以上に数えられるくらいはあったのだ。
 だが奴との交友関係はあまり重なることはなく、構内で出会っても多少話をするだけで終わるばかりだった。一見して気薄な関係が酷く爛れているとは誰も知らないことで、秘密を共有したままもうすぐ一年が過ぎようとしていた。

 週に一度が二度、三度と増えるたびに、体を重ねる場所を一々探すのも面倒だということで、政宗は一人暮らしをしている自分のアパートに我を連れていくことが多くなった。
 あちらもこちらも、それぞれの私用がある。特に一人暮らしをしている政宗はバイトもこなしているため、今ではもう奴のスケジュールに合わせて褥を共にしていることがほぼ当たり前のような日々が続いている。
 大学から帰ってすぐに抱かれ、そのまま別れる日もあった。政宗がシフトを上がった後、アパートに連れ込まれたこともある。
 どちらにしろ我が自宅へ帰る時刻は夕餉には遅くて、ベッドでうとうととしている間に政宗が二人分の夕食を作っているのも日常と化してしまった。
 政宗の手料理は美味かったから、我は然したる疑問も抱かずに――体の関係を始めた時のように、自然と――そんな毎日を受け入れていた。

 食卓に二人で付くと、会話が生まれた。
 大学で合った事やバイトでの出来事、我が何をしていたのか聞きたがる政宗に、今日の献立を尋ねる我――。
 身体の薄さが気にかかったらしく、妙に張り切って食事を作る政宗の趣味がまさか料理だと知ったのもこの時が初めてだった。
 そういえば我は政宗の好きなものも嫌いなものも全く知らなかったのだと思い、それを正直に口にしたことがあった。
 すると政宗ははにかんだような笑みを浮かべて、「自分も元就さんが甘味なんかが好きだとは全然想像もしたことなかった」と食後に作ってくれた手作りのあんころ餅を慣れた手付きで差し出したのだった。
 その生活が一ヶ月、二ヶ月と経つにつれて空白だらけであった政宗のプロフィールが埋まっていくのを何となしに感じつつ、今日でもう三ヶ月になる。

 つくづくおかしな関係だろう。
 軋むベッドの上では荒々しい獣のような交わりをするというのに、それが終わった後はまるで性交が夢であったかのように二人して身体を清めて、普通の友人のように食卓を囲む我らの姿を政宗は一体どのように思っていることか。
 知りたくもあったが、知ってどうするのだという気持ちもあった。
 行為の最中、政宗は我の名を呼ぶことがずっと増えた。口付けも強引にすることも、強請ることもある。それが彼の中で一体どういう心境の変化からなのかを考えても、結局は分からなかった。
 掠れるように呟かれた好意の言葉は、熱に浮かされた幻聴だと思っている。
 しかしそれでも、三ヶ月前とも一年前とも違っているのは確かだった。
 政宗だけではなく、我もあの頃とは心持がまるで違うのだから――きっと。

「ん、今日も全部食べたんだな」
「我は食が細くはないと散々言ったであろうが」
「偏ってんだよアンタ。いつか健康診断で引っ掛かるぜ」

 空っぽになった皿を満足げに見下ろした政宗は、減らず口を叩きながら食器を重ねていく。
 いつの間にか増えた我の茶碗と箸と湯呑。それらを纏めて盆に乗せ、料理を作っていたその指が台拭きを掴む。

「馳走になった」
「お粗末さん!」

 食後の挨拶をして椅子から立ち上がると、政宗が妙に弾んだ声音で嬉しげに返事をする。
 今日は何だか機嫌が良いな、とぼんやり思いながらさっきまでは乱れていたはずのベッドへ腰を掛けた。然程広くもない作りの部屋にはソファーなどといったものがないので、ダイニングの椅子以外に座るとなると床の座布団かここしかない。膨れた胃を休めるために何も考えず座ったものの、二時間前までは溺れていたシーツの感触が流石に生々しく思える。
 しかし、敷かれているものは真新しい。いつも風呂に入っている間に政宗が痕跡という痕跡を全て綺麗にしてしまうので、今まで我は一度も不快感を覚えたことはなかった。こうした細々とした気配りがあったからこそ、一年近くも妙な関係のまま続けられたというものだろう。

 吐き出した吐息がそれなりに重く、先程まで漂っていた思考の海に再び飛び込みそうになる。
 振り切るように壁の時計へ目をやるとそれなりの時間だった。
 明日も大学はある。我は自宅通学であるため、そろそろ帰らねばならないだろう。
 そう思うものの、最近では何となく後ろ髪を引かれる気分に陥ることが多かった。情事が終わってあっさりと体を放していた時と比べて、三ヶ月の間に二人して着替えもせずに横たわる時間も少し長くなった気がする。
 それが、嫌ではないとも、思った。

「……もう帰るか?」

 ぐずぐずと居座ってしまいそうな馬鹿な我を促すためにかけられてきた声は、名残惜しげに低く掠れて聞こえる。
 そんなものは所詮妄想だろう。
 我は政宗に見えぬよう、自嘲を滲ませた。


 玄関まで見送るのは常の事だ。
 開け放したままの外の世界はすっかり夜の闇に沈んでいて、静かな風の音が通り過ぎていく。
 アパートの明かりは薄暗くて、繁華街から離れたこの住宅街にはあまり人の気配がない。角部屋の政宗の家は二階にあるが、三部屋しか存在していない上に隣は空き部屋だ。少し外で話していても支障はない。

「ではな、政宗」

 いつも通りに軽く手を上げて背を向けようとしたが、それは叶わなかった。
 案外大きな政宗のその手が、我の手首を掴んでいる。
 約束の合図のように袖を引く時でさえそんなにも懸命に握られたことはない。他人に気付かれない最低限の接触でしか外では触れ合わなかったから、仮にも部屋の外側でこんな風にされたことに純粋な驚きが込み上げた。
 彼がこんな風にしがみつくようにするのは、それこそ行為の最中くらいなものだ。
 必死に、離さないように、届かない空を掴もうと足掻く指先が汗ばんだ我の裸体に触れるたび、政宗は安堵したかのように笑っていた。
 ――別れの際に情事を思い出すのは、案外気恥ずかしいものだな。

「手、開いてくれよ」

 勢いよく引いてきたわりには弱々しい言い草で政宗はそっぽをきながら隻眼を泳がせ、そう乞うた。
 はきはきと喋る奴にしては珍しいようなしおらしい態度が不可思議で、我は思わず素直に掌を差し出していた。
 初夏の温い空気の中、熱の移った生温い金属片が肌に触れて、それが何なのかを知覚する間もなく政宗が重ねて叫ぶ。

「これやるからっ! アンタが来たい時に来ればいいから! 飯だけでも……っ」

 しんと静まり返っていた住宅街の静寂が、政宗の荒げた声音を吸い込んでいく。
 我はそんな相手を見つめ返しながら、掌に握らされたその形の意味に呆然とする。
 彼が、どういう気持ちでこれを渡してきたのかが分からぬほどに短い付き合いだとは、もう言えない。些細な仕草一つ一つが彼からの信号であり、受け止める側である我もまたそれらに乗せられたものの名前をぼんやりとでも感じ取ってしまっているから。

 ああ、だから。
 こんな時、どんな顔をすればいいのか全く分からない。

 沈黙を困惑と捕らえたのか、微かに不安そうなその顔は端整なのに情けなくもある。
 それが我にだけ飾らずに晒されているのだと思うと、何だかおかしかった。

「政宗」
「……元就さん?」

 どう言葉を続けていいのか分からずに視線を泳がせていた政宗は、それでようやくこちらを向いた。
 我は珍しく、心が震えたその衝動に抗いもせずもう片方の腕を伸ばす。
 強引に掴んだ政宗の襟首をそのまま引き寄せて、悔しいが少しだけ背丈の差があった場所を無理に屈ませた。
 そうしてようやく、望んだ唇と触れ合える。

「え……えぇっ!?」
「煩いぞ。近所迷惑ではないのか」

 それは本当に軽い接触だった。政宗が行為の最中にしつこく仕掛けてくるあれには全くもって及ばない、ただの皮膚の触れ合い。それで十分だろう。一拍おいて政宗は白い肌を赤く染めた。
 我からするのは初めてかもしれぬ。
 理由は、気が向いたから、の一言で全てだ。

 掴んでいた服から手を放すと、いまだ現状を把握できずにいる政宗が慌てて己の唇に指をあてた。
 あわあわと明瞭にならぬ呻き声が聞こえるが、意趣返しにはちょうどよかったようで我は満足だ。

「では帰る。おやすみ、政宗」
「えーあー……うん。おやすみ、元就さん」

 混乱したままの奴を残して、我は家路につくべくアパートの階段へと足を向ける。背後ではいまだに政宗が扉を開いたまま立ち竦んでいるのが分かったが、ひらりと手を振るのみでそちらを振り向くことはなかった。
 どうせ明日も会う羽目となるのだ。今更、多少おざなりな別れであっても大して気にならない。
 鉄骨の小気味のいい音をたてながらアパートの階段を降りきると、我はそのまま敷地を抜けて側のアスファルトへと足を向けた。来た時はまだ明るく人通りも多少あった狭い道路には、一定間隔で電灯の明かりが降り注いでいたがそれでも随分と暗い。
 そうして我は初めて一度だけ振り返る。
 ここからはもう政宗の部屋の扉も見ることは叶わなかったが、微かにまだ室内の光が零れているのが闇の中で見て取れた。

 知らずに口の端が持ち上がってしまい、我は足を速めるとアパートから一気に遠ざかった。
 握り締めたままの右手の中には、彼の熱が移された銀色の鍵が一つ。
 それを目の前に晒しながら、我は帰路につく歩調が酷く軽いことに気付いたが――今宵ばかりはそれもいいだろうと思い直し、いっその事鼻歌混じりになりそうになる上向きな自分に笑い掛けた。

 頭の上に広がっている細々とした星の輝きが、今日はやけに眩しく映る。
 鍵を使う日はいつだろうかと考えるだけでほんのりと頬が上気した。




 そうして、扉は開かれた。



 - END -





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セフレな伊達就が正式にくっつくまででした。こういうのは現パロでの表現の醍醐味のような気がします。
元就視点は久々でしたが、やっぱり難しいような。
この二人は周囲に隠さなくなったら単なるばかっぷるになりそうです。

(2014/5/24)


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