終:囚われた瞳の先は -1-
久方ぶりに届いた手紙は、差出人に似合わない堅苦しい書き出しで始まった。
『――拝啓、伊達政宗公。
お前の噂はよく耳にするが、元気でいるだろうか。
北国は俺達にとってはまるで異国の地だから、直接会いに行くことはなかなか叶わない。お前にはとても世話になったのに、挨拶もできなくて本当にすまねぇ。
武田が天下を取って、もう半年以上経つんだな。俺はてっきりお前が天下統一するんじゃないかと、いや、して欲しいな、と少しばかり思っていたから正直驚いた。
真田幸村との一騎打ちに負けて、潔く身を退いたんだってな。本当、お前って奴は俺なんかよりもよっぽど変人なんじゃねぇの?
……って、お前のことをお前が聞いても面白くないよな。
あれから俺達はずっと、国の復興に力を注いでいる。
俺の身勝手な我侭で振り回しちまった野朗共と、また一からやり直している。お前は四国に攻めて来た時、国を殆ど荒らさずに進軍してくれた。だから民に傷はついてねぇし、俺の部下達もあれだけ派手な戦だった割には死人は少ない方だった。
お前には感謝しきれないと思う。臣民共々を失っちまえば、俺はもう長曾我部として立つことなんてできやしなかった。
ありがとよ。
……それから、多分、お前が一番聞きたいことについて。
中国は本当に酷い有様だった。広がる荒野の向こうまで、骸の山。田畑は焼かれ、村は壊されて、人がありったけ死んだ。しかも――半分は俺のせいで、統治者が長いこといなかったから国の端々から荒れまくっている。
元就は帰ってからずっと忙しく働いている。昼夜問わず自分から検地や復興現場に出かけたりして、倒れちまうんじゃないかってくらい動き回っていやがる。
あいつ、本当に自分の国が好きなんだな。
農民と一緒になって畑にいた時なんか、本物かよと思うくらい驚いたぜ。あいつ元々山育ちで、あんまり裕福なところで育っていないから土いじりも苦じゃないんだと。一緒に来ていた家臣達がおろおろしていたけど、隆元は楽しそうに鍬を運んでいたなぁ。畑仕事は初めてです、って笑っていやがったっけ。
そう、家臣達だ。
毛利の残党は、あれからまた少しだけ見つかった。けれどもう半数以上は死んでいることが分かった。
元就は、やっぱり泣かなかった。
でもそれはそいつ等を何とも思っていないってことじゃなくて。精一杯の強がりかもしれないけど、あいつは死んだ奴等に笑われないくらい真っ直ぐ立とうとしているんだ。それがあいつなりの恩返しなんだろう。
俺は昔それを冷たいと一蹴してしまったけれど、もっと良く見ていれば分かったと今は思う。
知った気でいた元就のことを、俺はまだまだ知らない。あんなにも愛していると囁いて、狂った檻の中に閉じ込めることさえ厭わなかったというのに。
……話を戻すか。
沢山の将と兵と、それから戦災の煽りを受けた民達の墓を、俺達は国総出でこさえた。中国にも四国にも慰霊碑を作った。
元々、毛利は信心深いからな。皆が大切にしていて、よく手を合わせているところを見かけるぜ。
元就から聞いたんだが、激戦地だった高松城の辺りで今度慰霊祭を行なうんだとよ。
俺も浅からぬ縁があるからその祭典に出るんだが、その時はお前にも来てほしいと思う。積もる話もあるし、立て直している俺達の国をちゃんと見て欲しいんだ。
なぁ、政宗。
俺はお前と出会えて本当に良かったと、つくづく思うぜ。
今、元就の側で、ありのままの自分でいられる。その事実が泣きたいくらい嬉しいんだ。
――あの日々を悔いようとは思わねぇし、なかったことですませたいわけでもない。
だけど俺は、最後の最後で気付けた。ようやく見つけたものと永久に会えなくなるようなことをしでかすところだった。
お前があの時どう思ったのかは分からねぇが、確かに俺はお前の存在を、沖の上で導いてくれる北の星のようだと感じたんだ。
何か、こういう感謝の気持ちを間接的に伝えるってのは俺の柄じゃねぇから、あんまりうまく書けないんだけどな。
とにかく俺は、お前が支える天下の海原に漕ぎ出したいくらいにお前のことが気に入っているのさ。
外の国との貿易を真剣に考えているなら、いつでも声をかけてくれよ。たまにはでっかい航海にも出たいからな。元就にも、あの広い世界をいつか見せてやりたい。
あんまり長く俺の手紙に構う時間なんてないだろうから、この辺で終いにする。返事をくれるなら、元就にも何か書いてやってくれよ。
あ、流石に恋文は無しだ。諦めるって言いながらも、お前はちょっかいをかけてきそうだからなぁ。
男なら正面きって口説きに来いよ。俺は負けるつもりがねぇからな。
その内に拝謁の時にでも鉢合わせになるんだろうが、いつでも瀬戸内に来いよ。俺達はいつも、ここにいるから。
じゃあ、またな。
俺の、自慢の悪友さん――』
煙管を燻らせていた政宗は、笑みを噛み殺しながら何度も目を走らせた。
長い遠回りを経て、今度こそ素直に笑い合えるようにと願った二人。もう一度廻り始めた物語は、紙面の上で確かにゆっくりと動き出している。
怒涛の戦乱の時代のことは、あたかも昨日のように思い出せた。好きだった人から身を退いたあの頃も、政宗の中ではいまだ色褪せてはいない。
甲斐以北を任された政宗は、とりあえず肩書き上は副将軍となっていた。天下を同じく狙っていたためそこに至るまでに複雑な事情があったのだが、結果だけを見れば今はこうしてゆっくりとできる時間があることが喜ばしかった。
元親が言うように幸村とは一騎打ちで負けたが、天下を狙う野心は捨て切ってはいない。武田が民に望まれない所業を犯すのならば、すぐさま牙をむこうと政宗は思っている。信玄にもそれを正しく伝えた。
だがきっと、政宗が生きている間にその時は来ないだろうことも分かっていた。
「もうそんなに経つのか」
精彩を帯びた悪友の文字が語る、あれからの二人。
つらつらと流れていく文字を追いながら、政宗ははるか西の地にいるだろう彼らを思い浮かべた。
一度は滅びかけた毛利だが、政宗の呼び掛けに答えた隆元達と行方不明だった元就の帰還に、民達は諸手を挙げて喜んだという。残念ながら、失った命は多かった。けれども彼らは、再び歩みだそうとしている。
元親は自国の復興をしながらも、毛利に手を差し伸べていた。
元々は政宗が四国を襲撃したのは、元就を何としてでも返させるためだ。そのため極力四国を穢すことは避けてきた。その甲斐があって、復興は思ったよりも早いらしい。余った物資は出来るだけ中国へ送っていると、政宗は報告を聞いている。
矜持の高い元就は、背に腹代えられない、と素直じゃない言葉を吐きながらも拒もうとはしていないのだろう。
思い浮かべたあの人らしさに、政宗は自然と笑ってしまった。
そうして少しずつ段階を上るようにして付き合いながら、二人は互いのことや周りのことをようやく理解し合えるようになっている。
もう一度始まった彼らの行く末を、きっと自分は最後まで見守っていたいのだろうと政宗は目を瞑る。
薄っすらと明けた空の下、泣きながら相手を抱き締めていたあの二人。
幸せになれるだろうかは分からないけれども、結局は根が案外お人好しだった自分に嫌気が差さないくらいには、きっと元親のことも元就のことも嫌いではないから。
――それに。
隻眼を開いた政宗は敷き詰められた畳みの目に視線を這わせ、あの日の記憶に想いを馳せた。
畳みに散らばった細い髪。
見下ろした美しい面。
ゆらりゆらりと震えていた違う男を見ている目。
あの時確かに、劣情の促すままに白い肌を喰らおうとした。そして実際に手を伸ばし、愛撫をしようと薄皮を舐め取った。
蹂躙でも何でも構わなかった。鋭利な刃物を思わせるような彼が、死んだはずの彼が、人形のように存在していたという絶望と歓喜の背反の中、囲った鬼への哀しい怒りをぶつけるようにして元就の中に自分を刻みたかった。
諦めのついた今でも、政宗は元就のことを忘れられない。
本当は抱いてしまいたかった。
上がる吐息も、生理的に流された涙も、震える嬌声も、全部自分のものにしたかった。結局は逃げ帰るように四国を出てしまったが、自分の中に恋情が轟いていたことは嘘ではない。
「俺も随分と囚われちまったもんだ」
元就の感触を思い出しながら、政宗は苦笑を浮かべた。
手紙をしまってから障子を勢いよく開ける。
「で、俺に何か用かい」
「ありゃ気付いてた? これ、大将からのお届け物」
屋根の上へと話し掛けると、呑気な忍の声が降ってきた。少しばかり呆れた様子の政宗は、開いた掌を伸ばした。そこに落とされた書状を受け取り、差出人を確かめる。
「Ha……虎のおっさんも人使いが荒いぜ。今度は何処に行けって?」
「中国だってさ。行きたいんでしょ」
逆様に顔を出した佐助は、にやりと笑った。
一瞬だけ瞳を瞬かせた政宗は、それを受けて楽しげに口の端をつり上げた。
「やっぱお前らのとこはお節介だらけだぜ。ま、ありがたく受けて取ってやるけどな」
素直じゃないなー、と佐助が言ったがそれを無視し、政宗は部屋の中へと踵を返した。
元親と元就に、返事を送ろう。
驚かせてやるのも一興だが、自分の地位はそれをもう許してはくれない。けれど彼らは、相変わらずの態度で迎えてくれるだろうから。
「けど意外だな。旦那はてっきり、あの人のこと攫ってくるくらいのことやるのかと思ってた」
後ろから響いてきた佐助の声に、硯を取り出していた政宗は振り返る。
政宗が元就のことをどう思っていたのか、分からないほど鈍くは無い。直接口せずとも、佐助は政宗が誰のことを探しているのか勘付けた。それくらいには鼻が利く忍だ。
だからさして佐助の言葉に驚くことなく、政宗は意地の悪い笑みを返した。
「Will deprive of it sooner or later」
聞き慣れない異国の言葉に佐助は首を傾げた。だが政宗が説明してやることなどあるはずもなく、もう一度だけ深く笑うと本格的に背中を向ける。
楽しげな独眼竜の様子に肩を竦め、用事が済んだのだろう佐助は音もなく立ち去った。
本当に誰もいなくなった部屋の中、筆を走らせながら政宗はくつくつと喉を鳴らす。意外と自分は短絡的だと気付き、何だか可笑しかった。
虎が天に民に望まなくなれば、己の竜の爪はいつだって再び煌く。
それと同じように、彼に選ばれた鬼が今度こそを道を見失うようなことがあれば。彼の瞳が元親を映さなくなったとしたら。
自分は、いつだって元就を攫う覚悟はできている。政宗とて負けたつもりはさらさらないのだから。
――縛られることが嫌いで、思うが侭に生きていたはずなのに。
天下と同様の思考に至るような、それくらいに想う相手が自分にもいるのだという事実が不思議と心地良い。
「元親、今度あの人を泣かせたら承知しねぇからな?」
そうして政宗は、手紙を書き綴る。
片方だけの眼差しはとても優しげに細められていた。
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(2007/03/20)
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