黒眼のオニキス…二幕 エゴイスト・06
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 しばらく調整室を見せてもらったキアナは、グレイに誘われるままにさらに奥の通路へ案内された。
 本来ならば彼に聞きたいことが幾つかあったのだが、キアナの中に鳴り響く警告音はいまだに止まらない。このグレイという男に、オニキスとの間に築かれ始めている信頼にも似た感情を知られてはならないと。
 キアナは沈黙に徹した。沸々と湧き上がる感情を耐えるため。


 そうして回廊を歩み続ける青年に、グレイはさも親しげに一方的にも思える会話を続けていた。
「君は以前、中央部の兵舎にいたと聞いているが?」
「はい。第0016隊に所属していました。伍長に昇格した際、シャルロット中尉の隊に引き抜かれまして」
 やや固めの声を出しながら、慎重にキアナは答えた。

 南軍は大きく分けて東西南北と中央の五箇所に、それぞれの部隊が展開されている。そのうちの第0001隊から数え、二十までが中央を、そこから十刻みで東西南北の部隊に振り分けられていた。
 全部で六十ほどの部隊の中、キアナの所属するルーファス=シャルロット中尉率いる第0056隊は末尾の方に当たる。つまり、北側の防衛軍に属する。
 さらに言うと、一桁目が六の数字である部隊は定められた領内の中で特に危険区域――つまり最前線を担当する。
 そんな場所にキアナが引き抜かれたことは、不思議ではなかった。
 手柄の上げにくい狙撃手でありながら、若くも伍長位を拝借できるほど彼の腕は信用に値した。
 だからこそ、少ない人員で地獄への扉へと向かわなければならなかったルーファスは、自分を連れていったのだろうとキアナは解釈していた。

 グレイは顎に手をやり、何事か思案している様子だった。
「シャルロット君か。彼も元は中央だったのだよ。私付きの近衛兵としてよく働いてくれた」
「! 隊長は閣下の軍に居られたのですか?」
 思わずキアナはグレイを凝視した。
 その反応に、相手は楽しげに目の端を細める。
「わしは南軍の研究機関総括者だ。彼をあの歳で中尉にまで持ち上げたのは、わしの後押しがあってのこと」
 意外な事実にキアナは呆然とする。
 つまりこの男の存在がなければ、第0056隊の隊長はルーファスではなかったこととなる。
 部隊を率いていたのが彼でなければ、あの極寒の大地での戦死者はもっと多かっただろう。
 そしてキアナ自身もまた、死の恐怖に打ち勝てず、今頃はきっと凍土の中に骨を埋めていたことだろう。
 キアナは無意識に二の腕を摩った。
 しかし、同時に疑問も浮かぶ。
 そこまで贔屓してくれるグレイを、何故ルーファスはあれほどまでに嫌悪に似た怒りと怯えをこの男に感じているのだろう。
 近衛兵であったとすれば、その位は今のキアナと同じかより低いものだったはずだ。
 その話が何年前のことなのか予想は付かなかったが、それにしても昇進が早過ぎる。人為的な何かがなければ無理なほど。
 ルーファスが己の立場を上げるためにグレイを利用したのかとも考えられたが、自分の隊長はそのような男ではない。
 では逆に、グレイがルーファスに何かをさせるために地位を上げさせたのだろうかとも考えるが、特に大きなメリットは浮かばなかった。
 確かにルーファスは歳若いながらも、戦略戦術共に悪くはない。兵士達に対する受けもかなり良い方だと言える。
 彼が優秀だから、グレイは中尉にまで押し上げて最前線に送ったのだろうか。

「まぁ、彼は良くやっているな。北の最前線で二年も同じ部隊が持つなんて中々無いことだ」
 グレイの耳障りな笑い声が、暗く続いてる階段に反響した。
 微かに拳を握りこんだキアナは、ゆっくりと男の後へと続いた。
 考えれば考えるだけ、無数の可能性が現れては消えていく。
 それでも自分は信じなくてはならないのだろうとキアナは思う。自分で見て、聞いて、感じたことが、キアナだけの真実なのだから。



 規則正しく点滅するダイオードの光を眺めながら、オニキスはぼんやりと宙を見上げていた。
 忙しなく動く研究者達。遠くでそれを監視する軍人達。
 彼らは機械であるオニキスとは違って血も通っていたし、心音も聞こえてくる。
 だが当のオニキスにとっては、まるで紙粘土で作られた不恰好な人形にしか見えなかった。
 糸で繋がれて、好き勝手に操られる舞台上の人形。
 それは彼にとって酷く滑稽な情景に映ったことだろう。
 人に作られた道具である自分が、命令されるままに働く人間達を人形のように思っているだなんて彼らは気付きもしない。知ろうともしないのだ。

 オニキスは能面のように張り付いた無表情の奥で、仄かに灯った温度を思い出す。
 自分を知ろうとしてくれた人は、数えるほどしかいない。
 けれど皆無ではなかったのだ。
 そのことが、オニキスに温かいものを宿していた。
(……温かい? 何故? 記録に温度など存在しない)
 内蔵されている冷たいメモリチップの中から、先程までのことを思い巡らせる。
 温度なんて本当の意味で感じることはできないはずなのに、短かった砦での十日間と、キアナと過ごした二週間がやけに輝いている。
 微かな同様がメーターに現れたのか、研究者達は慌てていたようだがオニキスには関係なかった。


 いつもの冷たく黒い眼差しを天井へと送りながら、不意にオニキスは気付く。
 毎回研究所で検査されるたびに送られる、卑しい視線が自分を見ている。
 オニキスはその主の名を良く知っている。――否。初めて覚えさせられた人の名前が、彼であったから忘れるはずがない。
(グレイ大将閣下。中央司令部を統べる方。自分を起動させた人)
 言葉の羅列を並べながら、オニキスはそっと男が立っているであろう嵌め殺しのガラス窓を眺める。
 その時、黒眼が大きく見開かれた。
「またメーターが揺れたぞ? 故障でもしたのか?」
「まさか。しかし気になるな。精神回路の問題だろうか」
 勝手な議論を始める周りの音なぞ、オニキスは気にも留めなかった。

 高感度のオニキスのレンズには、その兵士の青褪めた表情が隅々まで見えてしまった。
(キアナ。どうして、そんな顔をしているのです)
 問いかけようにも彼には届かないことなど百も承知だったため、オニキスは口を開かなかった。
 ただじっと台の上に横たわったまま、肢体を動かすこともなく彼を見る。
 ガラス越しのキアナは、グレイの隣で呆然と佇んでいた。
 自分を責めているような、オニキスの知らない何かに嘆いているような。そんな、暗い感情が彼の中にわだかまっているように感じた。
 決して人間の心情に機敏ではないと自覚しているオニキスは、そう考えた自分に疑問を抱いた。
(何故知っている? ……見覚えがあるからだ。でも思い出せない。記録が不完全なのか? 違う。起動の瞬間から全てインプットされている。では何故?)
 自問自答を何度も繰り返すオニキスの中で、再び灯火が点いたような熱がぶり返す。
 しかし、先程とは違う。
 仄かな人肌のような温もりではなく、刺す様な痛みを伴う熱さ。
 それはもどかしい想いを持つ者が抱く熱のようだったが、オニキスにはその熱さをどう形容すれば良いのか全く思いつかなかった。
 けれどそれが、キアナと共に砦を経つ前――持っていく物が無いのかと問われた際に感じた、奇妙な感覚と同じなのだということだけは理解した。

 もう一度見たガラス窓には、もう誰もいない。
 グレイが奥へとキアナを連れて行ったのだろう。もうここには自分と研究者、そして見張りの兵しかいない。
 相変わらずオニキスの頭上では忙しない会話が続けられていたが、オニキスはやはりそれに何を感じることもなく瞼を閉じた。
(暗い闇……ガラス越し……歪んだ顔……自分を呼ぶ、声)
 イメージしたものを端的に表しながら、オニキスは自分の思考の海に潜り続けた。
 メーターが何度もぶれたが、もう誰の声も聞こえない。
(泣いている、貴方は、誰?)
 休止状態に入る前の浮遊感の中、瞼の裏で小さな涙が見えたような気がした。


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