絆の森
<エピローグ 地平と水平の間にて>
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空は快晴。雲が緩やかに流れて、澄んだ大気は真っ青に染まっている。
春の訪れを匂わすような、生温い風が頬を撫でる。攫われた髪がうねり、柔らかな空気に包まれた。
大樹海の中は相変わらず鬱蒼と緑が生い茂っていた。南の平原地帯から離れていくうちに、周りはほとんど常緑樹となった。もっと北上すれば針葉樹が多く生えていることだろう。
乾いた北風と心地よい春風が混ざり合い、豊かな自然に洗われた大気は清々しく精錬されていく。
目覚めの時も近いと、植物達は顔を出し始めていた。しかし辺りに動物の気配はない。まだ冬篭りの最中なのであろう。
そんな静寂の森に足音がした。
白い毛並みの獣が、林間の道無き道をのっそりと歩いていた。その姿は狼のように見えるが、尻尾は三つ又に分かれていた。
尾を器用に振りながら、獣は時々立ち止まった。
背後にいるものに気をかけているようだ。
そこには大きな猛禽類を肩に乗せた、人間の青年が歩いていた。
背は比較的に高い方だったが、細い体躯のせいで威圧的ではなかった。肌は白く健康的には見えなく、暗色の服を纏っているため対比が生まれていた。
覗く瞳は赤い。人によっては炎だと例えたり、血のようだと恐れたり、太陽のようだと称えるだろう。相手の心の状態によって印象が変わる、不思議な瞳だった。
彼の側には小さな少女達が羽ばたいている。二人とも背には昆虫のような、透明な羽を持っていて、光に透かすと淡い色に輝いた。
「もうすぐ境界線?」
橙髪の少女がはじけたような声を上げた。
「すごいですわ! 本当に夢見たい」
もう一人の、赤茶色の髪の少女も嬉しさを隠しきれないようだ。白く霞む吐息には、感慨の思いがどれだけ詰まっていたことだろう。
「高台があれば向こう側が見えるはずだ。私達のことはいいから、三人で見てくれば良い」
青年は寒そうに首をすくめた。巻いてある布のせいで顔が半分隠れる。
不思議そうにこちらを眺めている獣に近寄り、逞しい背中を叩く。獣も安心したように人間の足に擦り寄った。
「いいの?」
「勿論。彼に、海を見せてやって欲しい」
赤い瞳を細め、彼は肩に乗る鳥を優しく撫でた。
頷き合った少女達は勢いよく飛び出し、木々の天井を目指した。
同時に青年は、鳥を腕へと乗せ替えると宙へと放った。
緑色の空を突き抜けるまで、人間と獣は見守るように眺め続けた。
「私達は地道に歩こうか。すぐに抜けられる」
口元に笑みを浮かべて青年は言った。軽く頷き獣も返事を返した。
白い毛並みに覆われた背中に乗り、太い首に細い腕が回る。
助走をつけながら獣は大地を蹴り上げた。そしてそのまま駆け出す。
二つの影は、木漏れ日の中を走り始めた。
開けた視界には一面の青、青、青。
驚いて思わず振り返れば、そこには南の地平線まで延々と続く樹の海。
「……あそこから来たんですわ。信じられませんけど」
そう言った彼女は、自分の頬をつねってみた。赤くなった頬を擦る。痛みがじんわりと伝わり笑顔が浮かぶ。
「本当だ。本当に、ここまで来たんだ!」
もう一人の叫ぶように声が上がる。宙を踊るように滑っていく。
「う、み?」
たどたどしい幼い男の子のような声が、二人の少女に聞こえた。辺りには風の音と、森と海が奏でるそれぞれのさざ波しか聞こえない。
だが声は確かに、二人の元へと届いていた。
「そうですわ。初めて見ましたわよ」
「そうそう。すごいね! これが全部水なんだよ!」
再び水平線を眺めた。朝日を受けて、波間がきらきらと輝いている。神秘的な景色だ。
「……でも、僕、やっぱり向こうの方が好きだな」
男の子の声は大樹海を指した。
少女は微笑む。そして眩しいものを見るかのように、声の主へと振り返った。
大きな猛禽類が風に乗って飛んでいた。翼の間を覗く左右の色が違う澄んだ瞳は、真っ直ぐと森の方角を見つめていた。大樹海の色を持った右目と、宵闇の色を灯した左目が。
「あたし達も好きよ。だって、生まれた場所だもの。貴方に会えた場所だもの」
二つ分の声音がそろって言う。
「僕と……?」
母親のように愛しげな眼差しを向けられ、鳥の姿をした少年は戸惑うように首を傾げた。
「クゥナ、カイナ、変だよ。どうかしたの?」
「なーんでもありませーん! ほら行こう! あの人に先を越されちゃうよ!」
ふざけ半分の楽しそうな声が、海に向かってまっしぐらに進んでいった。羽音が森の上をどんどん通り過ぎていった。
もうすぐ森の終着に辿り着く。
果てしなく続いた大樹海の最北。
広がる本物の海は、長き年月を耐えて過ごした旅人達を快く出迎えてくれた。
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