五年ろ組の日常




「ほんっと馬鹿っ! まじ有り得ねぇ!」

 真っ暗な廃城を全速力で走りながら、体中に詰まっていた憤りを大声で噴出する少年の姿があった。
 忍者のたまごだというのに足音は盛大、絶叫しっぱなしであるから遁走中であるというのに敵には居場所がばればれという問題のある光景だ。
 しかし、普段の授業であれば教師に頭をぶん殴られそうな状況であっても、これが実践の忍務でさらに非常事態ともなれば最たる原因の相手に怒鳴りつけたくなる気持ちにもなるだろう。
 必死に出口を目指して朽ちかけている廊下を駆けている彼の背には、同じ顔をした少年が目を回して気絶していた。そしてさらに後ろから、散々こけにされても謝ることしかできない様子のぼさぼさ頭がついてきている。
 時折二人して背後の気配を窺うが、勿論追っ手を撒けているはずもなく、夜の静けさを破り捨てるかのように二人の遁走は続いた。

「三郎、出口!」
「分かっている!」

 長い回廊にようやく終わりが見えて一層動きを速めた二人だったが、後ろを注意するあまりに足元がお留守になってしまっていた。腐った床板が、嬉しくもない音色を立てたことに気付けなかったのだ。
 後悔したが、後を絶たず。

「……今夜は本当についてない」

 目の前が真っ白になりそうになった忍術学園きっての天才は、背中の相棒のようにいっそ意識を失いたい衝動に駆られたのだった。



 * * *



 事の始まりは、いつも通りに学園長の迷惑なおつかいである。
 先日尋ねてきた友人からとある山中にある廃城についての話を聞いた学園長は、早速調査をさせようと教師に相談したらしい。
 大概はそこで半強制的に向かわせられるのだが、今回ばかりは手の空いている者がいなかった。抜き打ちの時期だったため、というのもある。
 けれど興味のあることには大変迷惑な行動力を発揮する学園長が諦めるはずもなく、忙しいなら生徒でも良い、とのこと。常ならばお気に入りの一年は組を採用するところだったが、残念ながらその時は別件の騒動に巻き込まれていたため、腕の見込める(つまりすぐ調査結果が聞ける)上級生に矛先が向かった。
 でもって、たまたまそこへ委員会のことで通り掛かったのが自分の運の尽きだった、と三郎は思っている。
 珍しく真面目に働こうと動いてみればこれである。世の中、なかなかうまいこと出来ているような気もしなくはない。

 昼に頼まれ、出発は夜となった。
 きちんと準備を整えて再び学園長室へと入った三郎は、おつかいを頼まれた時よりもはるかに驚いた。
 てっきり一人だと思っていたし、一人で十分なはずだった。

 ――なのに何故いる、竹谷八左ヱ門。

 入室後の一声目でこれだ。自身で思った以上に動揺していたのだろう。
 ちなみにその隣に雷蔵の姿もあったのだが、雷蔵とは何度も組まされて忍務に駆り出されているでこちらはいつもの範疇だった。
 思わず出てしまった言葉と表情に八左ヱ門はほんの一瞬だけ顔を歪めたのだが、すぐさま苦笑に切り替わり明るい口調で同行するよう言われたのだと説明した。
 それを適当に聞き流す。
 決定はどうせ覆らないのだろうと学園長を窺えば、無論、といった様子で頷かれるだけだった。
 面倒臭げに重い腰を上げた三郎はとにかく出発を遅らせるわけにもいかず、納得しないまま三人で忍務に出かけることとなった。



 目的地は然程遠くはなく、忍の足で一刻ほどか。これほど近くに小城があるというのは初耳だったから、余計に学園長の好奇心を擽ったのだろう。
 滑るように闇夜を駆けた。
 ざわめく森の葉を掻い潜り、枝から枝へと飛んでいく蒼い影は疾風のように木々を通り抜ける。
 一人、二人と数える間もなく現れては消える影達は、月の無い夜の闇を何でもないように器用に移動して目的地まで黙々と走り続けた。

 目指す山の奥にそびえる城は、元の持ち主が既にどこかの戦で討ち取られて、家来も家人も皆逃げ出したまま敵に乗っ取られることもなく放置されている。
 既に廃城となっている城へ何の用があるのかと、命じられた際にあからさまな拒否反応を示したのだがそこは忍のたまご。忍務は忍務であるのだから、面倒という理由だけで断るわけにもいかない。

「将来は仕事を選べる忍者になりたいもんだ」
「それは成績が底辺な俺に対する嫌味かよ」

 三郎が溜息交じりで愚痴っぽく零せば、すぐ後ろにいたぼさぼさ頭がやや憤慨気味に反応を返した。
 恨みがましく唸る彼を留めながら苦笑を浮かべたのは、三郎と同じ顔の――というか三郎の顔の元となっている少年、雷蔵だった。

「まあまあ、八も落ち着いて。三郎も今から潜入なのに余計なこと言わないでくれない?」

 目的地は目と鼻の先。
 こんな所でぎゃあぎゃあ言い合っていても仕方ないと雷蔵は正論をかざしてみるものの、そっくりな少年の勝気な眼差しからは性質の悪さが消えるわけでもなく。

「いやいや、お前が来る羽目になったのはまさしくその成績のお陰だろう? 八左ヱ門君?」
「うぐぐぐ……」

 今にも噛み付きそうな形相をやや涙目にしている級友を面白おかしげに眺め、三郎は自分達が完全に木の葉の影に隠れているのを確認しながら口元の布をほんの少し擦り下げる。
 山中とはいえまだ初秋、湿気がこう多くては息苦しくて堪らないのだ。こうして窺っている今だけしか、休憩することはどうせ叶わないのだから緩めたって文句は出ない。
 だがそれがまた余裕の表れのように見えてしまい八左ヱ門は声を荒げそうになったが、生憎のところ相手の言い分は図星でしかなかったためぐうの音も出なかった。
 成績優秀な二人とは違い、八左ヱ門は今回の忍務には補習という名目が付随されていたりする。
 教師に命じられた時に非難してみたものの、赤点の答案用紙を盾にされては首を横には振れず、涙を呑んでついてきたというわけである。

「まあ座学の補習が実技になったわけだし、別に構いやしないさ」

 未練がましいわりにさっぱりとした答えを導き出した彼を優しく宥めつつ、髪の毛に絡まっている枯れ葉を取り除いていた雷蔵は、三郎の茶化し癖に内心で困ってしまう。
 八左ヱ門の神経を逆撫でる発言に対してではない。
 こんな時までも普段と変わらないようにしている三郎の不器用さにだ。
 学園一とまで言われる三郎には、六年生がこなすものと同等の難解な指令が下されることが間々あった。それを知っているのは極数人に留まるのだが、誰も彼も三郎の実力は認めているためそれは日常の範囲内の出来事だった。
 故に今回も彼一人に任されるはずだった。
 ――当初は。

「珍しいよね。人のいない城に変装名人の三郎を起用するなんて、人選間違ってない?」
「それは私も思った。お達しがあった日は私だけだったのに、出発日には三人組で行くよう唐突に言われたのも妙だし」

 学園長の手前では漏らさなかった疑問を、ここにきて率直に三郎へと尋ねてみる。
 言葉がその全てではなかったけれど、ここに来てまず気になった事を口にしてみた。
 半分鎌をかけるような問い掛けではあるが、普段から雷蔵の相棒だといって憚らない三郎には意図が読まれているらしく、差し当たりの無い自らの困惑を露呈させてみせた。
 が、口調の抑揚の無さは落ち着いているというよりも、別の何かを抱えているように雷蔵には聞こえた。
 しかし今はこれ以上問い質す時間はない。
 喰えない奴、と眉をほんの少しばかり顰めた雷蔵は八左ヱ門の髪から手を放すと、大樹の枝から伸び上がるように立った。懐から遠眼鏡を取り出して覗けば、山陰にひっそりと佇む不気味な本丸が視界に入った。
 崩れかけの天守はこじんまりとしていて、元から大きな造りではないのだとここからでも視認できた。堀は運良く埋め立てられていて、忍務先を聞いた時から潜入の際は堀池を渡るのかと少々覚悟を決めていたとあって、拍子抜けする。
 人の手を離れた堀池なんぞ、忍者であれども極力入りたくはないものなのだ。

「髪の毛が素晴らしいことにならなくて良かったな!」
「うわっ! もう八、びっくりさせないでよ」

 一瞬嫌な想像を膨らませてみれば、いつ立ち上がっていたのか八左ヱ門が肩口から顔を出して面白げに目を細めていた。
 遠眼鏡を持ちながら肩から力を抜いた理由をずばり言い当てられ、どきりとしてしまった雷蔵は恥ずかしそうに咳払いをする。
 再び円筒を覗こうとした雷蔵の横を、今度は八左ヱ門の指が通った。何だろう、と彼の言葉を待った。

「雷蔵、あそこに誰かいないか?」

 忍者は大概視力がそれなりではあるが、やはり夜半の山中では限界があった。にも拘らず八左ヱ門がそんなことを言い出して一瞬ぎょっとしたものの、彼が指し示した大門跡地に影が揺らめいたのに気付いて雷蔵は遠眼鏡から顔を上げた。
 間違いなく人影である。

「山賊、かな。……学園長先生、分かっていて三郎を起用したのかな」
「……本当どこまで分かっているのかね。全く、毎回面倒な事を押し付けてくるものだ」

 神妙に頷きながらも少しばかり呆れた溜息を吐き出した三郎。
 その横顔が少しばかり緊張したように強張ったのを雷蔵が見逃すはずもなく、やっぱり、という言葉が吐息と共に発してしまいそうになった。

「そろそろ行こう。ちょうど雲が出てきた」

 木の葉の屋根を一瞥し、三郎が一足先に地上へ降りた。音もなくそのまま目先に見えていた城へと進み出す。
 その後姿を見失わぬよう、慌てて八左ヱ門も降りようと膝を屈める。だが足場を蹴ろうとした時、雷蔵からやけに真剣な声がかかった。

「八、気を抜かないでね」

 気になって振り向けば、静かな眼差しが心配そうな色を灯して自分を見ている。
 何故雷蔵がそんな顔をしているのかいまいち理解ができなかったが、普段から何かと世話焼きな雷蔵のこと。忍務前で少し過敏になっているのかもしれないと思い、ほんの少し首を傾げた八左ヱ門は安心させるような笑みを零した。

「ああ、大丈夫だぜ。行こう雷蔵!」

 そう言って駆け出した彼の背を視線で追いながらも、雷蔵の中にある妙な焦燥はちっとも薄れなかった。
 自分が心配性なのだとは自覚している。
 けれど、それこそ先程の三郎と八左ヱ門の小さなじゃれ合いを見ている方がよほど安心できたと、はっきりとした形で雷蔵は感じていた。

 面倒だ、と先程から繰り返している三郎。
 けれど三郎が忍務を断ったことは、一度もないのを雷蔵は知っているのだ。
 断りきれなかったのではとも思った時期も確かにあったが、ずっと一緒であった雷蔵は四年生の頃に三郎がしている“おつかい”の大半に共通する部分を見つけてしまった。
 それを言及してからは三郎も自分との同行を認めるようになったが――。

「基本的に背負い込み体質なのはちっとも変わっていないんだから」

 頭巾を巻き直して足を大きく踏み出し、雷蔵もまた再び闇の森を駆けていく。
 前を進む二人を見つめながらも、彼の中の不安は膨らむばかり。
 杞憂で終わればよいと祈りながら、雷蔵は忍務の早期終結をただただ切に願うのだった。


 林を突っ切る三郎の背を眺めながら、八左ヱ門は忍務に出た時を思い返していた。
 最初は一人と聞いていたらしく、学園長室に再度呼ばれたときに同級生二人が畳みの上に座っていたのを見つけて三郎は思わず固まった。
 城に潜入とは聞いていたため、これが雷蔵だけであったのならば普段のように双忍の術を用いての忍務が行なえるだろうと戸惑いはなかったかもしれない。

 だが八左ヱ門も一緒だったのがまず信じられなかった様子で。
 ――それが、何だか気に食わなかった。

 三郎と雷蔵の仲には割り込めないものがあるとは昔っから承知していた。二人がよく共に忍務に出かける事があるのも分かっている。
 成績云々を抜かしても効率性や相性だとか、忍として考えても彼らが互いを相棒とするのは最善であるのは八左ヱ門のおつむであっても理解できるのだ。
 だから今になって気に食わないだなんて、奇妙な居心地の悪さを感じている自分に正直驚いていた。
 親友を妬む気持ちなど一切持っていない八左ヱ門ではあるが、二人から――否、三郎から一線を引かれていると感じ取ってしまったから故のわだかまりである。
 彼自身にそんなつもりもなく、八左ヱ門とて違和感が疎外感から来るものだというのも自覚がないからこそ、確証の無い感情をはっきりと伝えられずにいた。
 だが気に病んでいるがためにいまいち忍務に集中できていないのが三郎には苛立たしい様子で、現に彼は自分を見て眉を顰めるばかりだった。
 それだけならまだしも、間に流れる空気が普段と少し違うと気付いているだろう雷蔵に気遣ってもらっている事実が、八左ヱ門に負い目を感じさせる。

「俺……そんなに頼りないかな」

 近付く廃城はもう間近。
 溜息を吐き出しそうになった八左ヱ門だったが、夜目でもはっきりと見える建造物に口を閉ざして気を引き締めた。
 二人の足手纏いにだけはなるわけにはいかない。それこそ本気で三郎に馬鹿にされてしまうではないか。

「よしっ! 俺だってもう五年だってとこ見せてやらなくちゃな!」

 後ろ向きな思考を振り払い、気合を入れ直す。
 忍務のために持ってきた道具を意識的に確認しながら、八左ヱ門は三郎の合図を待つべく門の側に立つ大樹へと身を潜ませた。

 三人は影に紛れ、森を抜ける手前で散開している。
 堀が埋まっているため三の丸から二の丸へは楽に侵入できるたが、相手が一体何人いるのか把握できていない状況のため三郎が暫し正面口で観察している。
 ある程度分かったなら、変装を用いて堂々と侵入しても構わないし、難しければそのまま忍び込む形となるとあらかじめ取り決めてあった。
 物見櫓の類は使われていない様子だったが、そちらは先程位置を遠眼鏡で確認していた雷蔵が念のために立ち寄っている。何もなければ問題ないし、誰かいたのなら気絶させるなりして合図を送ってきてくれる寸法だ。
 城が建っている場所は後方が崖という立地だったため、裏門に回り込むには低地から上がらなければならなかった。それでは上から丸見えになるため却下ということになり、八左ヱ門は敷地内に生い茂る木々の合間でじっとしていた。
 近くに三郎や雷蔵はいるが、彼らも隠れているためここからでは視界に入ることはない。
 それでも辺りからは虫や蛙の鳴き声が響き、彼にとっては心細さを感じさせる要因はなかった。
 山犬の遠吠えも、途切れ途切れに聞こえてくる。
 山に反響する細やかな声音を探すように視線だけを廻らせながら、八左ヱ門は親友達が動く時を待った。

 そんな彼の眼前、門を潜る影があった。
 はっとして身体を屈みながら様子を窺う。
 人影は不思議そうな顔をして辺りを見回していた。山賊にしては勘が鋭いと舌を巻くものの、どうやら相手も小さな遠吠えが気になって出てきただけのようだった。
 強張った肢体から不意に力を抜いた八左ヱ門だったが、未だ立ち去らぬ男を見ているうちに引っ掛かりを覚えて自然と前のめりになった。
 山賊にしては立ち振る舞いが粗野ではない。勿論この時代、職にあぶれた武士が浪人となって賊紛いの行為が横行しているため、彼らが元は良家の出だと聞いても不思議ではない。
 だが八左ヱ門は理由が不鮮明ながらも、所謂第六感と呼ばれる代物を感じ取ってしまい、山賊の動きを無意識の内に追う形となった。
 言葉で言い表しがたいのだが、敢えて言うのならば――気配を窺うのに慣れている。そんなところだろうか。

 幸い八左ヱ門が潜んでいる場所は特定されなかったが、誰かに見られているとは感じているのかもしれない。一通り門の周辺を見回っていた男は、暫くしてからようやく中へと戻っていった。
 警戒意識が高い連中だ。油断はならない。
 ちらりと三郎が隠れている物陰を見やった。
 向こうも相手の動きを見ていただろうが、きっと同じことを考えたのだろう。慎重な三郎が動かないのを確認すると、八左ヱ門はほんのり力を緩めた。
 先程雷蔵に梳られた辺りにまた絡まっている葉を千切り取りつつ、静かに帰りを待つ。
 そんな風に時間を潰しながら、八左ヱ門は忍務を頼まれた時のことを思い返していた。
 委員会後に八左ヱ門は、雷蔵に声をかけられて共に学園長室へと向かった。
 担任からの言付けに、八左ヱ門は心底嫌そうな顔をしてみせたのだが先日の抜き打ち問題で赤点を取ってしまったため断る術もなく肩を落とした。
 本来ならば強制居残り勉強の刑だったらしいが、学園長のおつかいをこなして来れば補習は行なわないという。身体を動かすことの方が得意である八左ヱ門にとっては都合が良いので、不満そうにはするがまあいいかと雷蔵に二つ返事で了承したのだ。

 そうして――三郎にあんな態度を取られた。
 三郎はその腕を買われて、何度も忍務をこなしているらしいことは薄々知っている。
 雷蔵は雷蔵でお人好しな部分が抜け切らず、その寛大な良心故に何かと頼まれがちであったため、いつ頃からかは覚えていないが外で三郎との二人一組での行動が増えていると気付いた。
 隣の組の久々知兵助辺りに問えば、「やっと?」と少々哀れみを持ったような視線で見られること請け合いの鈍さなのだとは分かっているが、長年親友として付き合ってきた彼らにその話題を敢えて伏せられていたという事実が八左ヱ門を微かに傷付けた。
 割り込めない何かがあると端から覚悟して付き合ってはいるのだが、やはりどうしてなのかという胸の痛みが込み上げる。

 さっきのやり取りだって、そうなのだ。
 三郎はまるで煩いものを相手にするように人をこき下ろし、揚げ足を取る。
 なのに雷蔵には真っ当に話をして――昔から怒った雷蔵には頭が上がらない三郎ではあるが――大概八左ヱ門を蚊帳の外へと置きたがった。
 これが課外授業や学園長の思い付きによる対抗試合などではそんなことないのがまた悔しい。
 同じ組の自分達の他、兵助や勘右衛門なども交えて始終笑顔が耐えないため、八左ヱ門は今のような感情を覚えたりはしない。
 ――だからこそ余計に寂しい気がする。
 八左ヱ門は誰かを探すように暗闇を見渡しながら、悄然としそうになる心を奮い立たせていた。
 それが気の緩みに繋がったのか。

「誰だっ!」
「――!!」

 去ったはずの人影が戻ってきたことに気付かなかった。漏らした溜息が夜の帳の中で思いのほか響いてしまったに違いない。
 身を竦ませて気配を絶とうにも、向こうは完全に居場所の検討をつけてしまっている。素早く近付いてくる男の姿を見とめ、慌てて八左ヱ門は飛び退こうとした。
 しかし、ここで引いては近くにいる三郎、ひいては物見櫓へ向かった雷蔵の存在がすぐにばれかねない。

 一瞬の判断だった。
 八左ヱ門は躊躇なく男の視界に躍り出ると、一気に二の丸の内側へと駆け出した。
 背後で男が応援を呼ぶ仕草をするのが見える。手には警笛。やけに手馴れた仕草が、八左ヱ門の勘を嫌な方面で刺激した。
 静寂が破られ、人の気配が騒がしく動き出した。
 巧く誘導できるか不安が次々と込み上げてきて、足元が少しばかり震えたが八左ヱ門は唇を噛み締めて進み続けた。
 自分にだって出来ることが、あるはずだと。
 ただそれだけが彼を突き動かす原動力だったのだ。


 同時刻、西側の物見櫓の屋根にひらりと身を躍らせた影があった。
 城に入る前まではただの温和な少年の眼差しをしていた不破雷蔵ではあるが、こうして一人で内部へ入るとなると優しげな風貌も鋭さを増して隙を感じさせない。

 正面を窺っている三郎が見つからぬようにと最も見晴らしのよい櫓にやって来たわけだが、人の気配は感じられない。城址の何処にも篝火も焚いていないことから、見張りを置いていない可能性を頭に入れつつ駆けてきたが、どうやら予想通りであったらしい。
 辺りを警戒しつつ頭を逆さにして櫓の中をそろりと覗いて見るが、月の無い夜の闇よりも室内は暗い。
 息を殺して様子を窺うものの、静寂が続くばかりで何の動きも感じられない。
 とはいえ急いて見つかっては元も個もない。今は見張りが不在なだけで後ほど巡回に来るかもしれないため、雷蔵は屋根に張り付いたまましばらく待ってみることにした。

 その間に考えるのは、先程散らばった二人のことだ。
 途中で八左ヱ門を追いやるように促した三郎に、流石に雷蔵も不満気を露わにした。
 最初から決めてから配置に今更何に文句があるわけではない。
 けれども三郎の判断が、忍務のためではなく私情からとなれば別だろう。
 廃城に山賊が巣食っていると遠眼鏡で知った時の、三郎の緊張した横顔が脳裏に過ぎる。
 何度かただのおつかいが忍務になっていたという経験をしている雷蔵は、三郎と共にこうして唐突に敵地の只中に放られるということ事態、結構慣れてしまっている。
 三郎が雷蔵に甘いのは昔からで周知の事実であるから、心配されるのも日常茶飯事。彼自身当たり前のことで、勿論雷蔵も一人で何でも解決しがちな三郎を気遣っている。
 だから大っぴらに出来る分、三郎の優しさも知ることができたしそれに答えたいとも素直に思えるのだ。

 それが、八左ヱ門相手だとできないのだ。鉢屋三郎という不器用な男は。
 再三、きちんと伝えろとはせっついている。
 たった一言でも自分の心を露呈させれば、情に深い八左ヱ門はすぐ納得してくれる。それは三郎だって分かっていることだろうに。

「雷蔵」

 唐突に話しかけられて、雷蔵は思わず飛び退きそうになった。
 その衝動を最小限に抑えて、後ろを振り向くとそこには同じ顔、三郎が立っていた。
 何故、という疑問よりも先に生まれたのは、憤りだった。
 八左ヱ門への態度の誤解を解こうともしないくせに、よくもこんな風に一人でここへ来ることが出来ると思わず毒を吐きたくなる。

「そんな顔すんなよ」
「させているのは三郎でしょう。それに問題は僕じゃなくて八の事だ」

 本人が傍にいないことで雷蔵は遠慮なく本題を突き付けた。
 苦々しく三郎の偽りの顔が歪み、少しだけ怒気の薄れた雷蔵は乗り出しかけていた身を引いて努めて小声で話を続けた。

「僕だって怒りたいわけじゃないよ。……この前の、勘右衛門と兵助のすれ違いの原因、何だったのかお前知っているだろう」

 瞼を伏せながら反芻させた先日の記憶。
 今はきっと学園で、二人揃って帰りを待っていてくれているだろう親友達の小さな事件の全容は、八左ヱ門から後ほど教えられた。
 兵助が勘右衛門を思いやった結果、遠ざけるような態度を取ってしまった。疑念を抱いてしまった勘右衛門は自分を責めるまでに深く考え込んだらしいが、それは兵助を信じたかったからこそで互いが互いを心配していたからこその擦れ違いだった。
 思いやるのは大事な行為だと雷蔵もよく分かる。だがそれは独り善がりの盲目的なものであれば、相手を顧みない偽善だ。
 真剣に心尽くしているからこそ、見えなくなるものは多くなる。

 雷蔵にはどうしても三郎が無理しているようにしか見えなくて、けれどそれを八左ヱ門に伝えるきっかけさえも掴もうとしていないのが歯痒くて仕方がなかった。
 ある一線を頑なに保つ三郎の態度の意味を、八左ヱ門に伝えてしまうのは簡単なことだ。けれどそれでは何の解決にもならないと雷蔵は思う。
 だからこそ雷蔵ははっきりとは言わなかったのだが、それにも限度があるだろう。

「八に嘘ついて、置いてきぼりにしてくるとか卑怯だよ三郎。これじゃあ傷つけるばかりだ」

 櫓から身を起こして、雷蔵は門の方向を痛ましげに眺めた。よりによって三郎は八左ヱ門を置き去りにしたまま、忍務を追行しようとしているのだ。
 これでは更に溝が深まるだけだと何故気付かないのか。
 純粋な怒りさえ込み上げてくるが、雷蔵は三郎の気持ちを知っていたから一方的に責める真似はできなかった。

「……三郎。僕だって、三郎に心配されるのは嬉しいけど、同時に悔しいって思うんだよ? 八は頑張り屋だから気にしていないって顔するけれど、僕と同じくらいきっと本当は――」

 加熱しそうになる感情を抑えて、静かに諭すように語ろうとしていた雷蔵の口元が引き攣った。
 二人はほぼ同時に櫓から飛び立ち、散開した物陰へと舞い戻る。
 山賊の男が松明を持ってうろついているのが、暗闇の中でもはっきりと見える。物騒な武器を片手に、辺りを必要以上に警戒していた。
 男達の会話をかい摘むまでもなく、天守の中にいただろう者達が総出でざわめいているとなれば答えは一つだった。

「あんの馬鹿! 見つかりやがったのかよ!」
「三郎っ!」

 思わず吐き捨てた罵倒に、雷蔵は目尻をつり上げて諌めた。
 これには反論できず、三郎も押し黙る。
 近くにいればフォローの一つや二つくらいできただろうという尤もすぎる無言の責めだ。独断で動いた八左ヱ門に咎があるのならば、先に一人で勝手をした三郎にこそ非がある。
 しかしここでどうこう言い争っている場合でもない。

「八に何かあったら許さないからね」

 言いたいことはまだ山ほどあったろうがぐっと堪えて言い残すと雷蔵は素早く闇の中に身を翻した。
 相棒に突き付けられた言葉は鋭く突き刺さるものの、明瞭な答えなどすぐさま見つかるはずもなく三郎はくしゃりと前髪を押さえた。

「……じゃあ他にどうしろってんだよ」



 それからが散々だった。
 逃げ回る八左ヱ門を助けようと潜入した雷蔵だったが、多勢に無勢でなかなか間に入る好機が見つからない。隠れてやり過ごそうにも、どうやら相手に忍び被れがいたらしく――実は八左ヱ門が見た男の違和感はそれが原因だったのだが、勿論雷蔵が知る術はない――なかなかうまくいかない。
 遁走術が得意のはずの八左ヱ門だが、本人としては雷蔵と三郎から目を離すためにわざと囮になっているつもりなので、忍術を用いてまで逃げようとはしない。

 事情を知らない雷蔵はそれを見て冷や冷やしていた。
 結局幾人かの山賊と正面から遣り合い、逃げては倒し、逃げては倒しを繰り返しながらようやく二人が合流できた時には互いに息が完全に上がってしまっていた。

「雷蔵……何で、こっちに来ちまったんだよ」
「囮になってたの? でもそういう守られ方は嫌だよ。……八だって分かるでしょう」

 天守内の狭い天井裏で荒い呼吸を繰り返していた八左ヱ門は、階下から遠のいた足音を聞きながら背中合わせに座り込んだ雷蔵を窺う。
 汗を拭いながら至極当然のように紡がれた言葉は、燻っている八左ヱ門の心をさざめかす。
 思わず俯く親友を横目で見ながら、雷蔵は続けた。

「勘右衛門に言ったこと思い出しなよ。大丈夫、三郎がまた何か適当なことぬかしたら僕が殴っとくからさ」

 ねっ、と茶目っ気たっぷりに微笑んでみせると、消沈していた表情に微かな笑みが宿る。

「ああ、頼むぜ。俺ももっと頑張るからさ。雷蔵にも、三郎にも負けないようになる」

 いつもの太陽の光のような力強さにはまだまだ程遠いものの、八左ヱ門はちゃんと分かっているのだと気付けただけでも十分過ぎる。
 問題は、素直じゃないあいつの方。

「ったく、僕じゃないんだから変なところで悩まないで欲しいよね」
「おおっ! 今日の雷蔵は思い切りがいいな!」

 軽口混じりの愚痴と相槌で、元気を取り戻した二人は一斉に天井裏から飛び出した。
 逃げ回ったお陰であらかた天守と本丸は廻ることができた。予想通り、目ぼしいものはない。
 学園長の“おつかい”として考えるのならば、山賊退治してくるのが正解だろう。
 そうするには一網打尽にしなければならないのだが、今回爆破物を所有しているのは一応チームリーダーである三郎なので、二人は火薬類を一切持っていない。
 ちっとも音沙汰の無い三郎に焦れながら、とにかく頭目を見つけようと二人は静かに軋みそうになる廊下を歩き出した。
 のだが。

「危ないっ!」

 疲れきって縺れそうになった足が見事に罠に引っ掛かりそうになり、状況を把握しかねて硬直してしまった八左ヱ門は背中に強い衝撃を覚えた。

 ごぉんと派手な音が回廊に響き渡る。
 八左ヱ門を突き飛ばした雷蔵は、薄れていく意識の中、こんなちんけな罠しか張れないあの男は気配を読むのには長けていてもやはり忍者としては三流だったのか、と色んな意味での悔しさを噛み締めていた。

「ら、雷蔵ぉ!」

 足元に転がってきた粉砕された桶を見て青くなった八左ヱ門は、大きなたんこぶをこさえたまま動かない雷蔵をどうにか抱えようと手を伸ばす。
 しかし、届く前に仰向けの身体を持ち上げた腕があった。
 思わずぎょっとした八左ヱ門に男は「叫ぶな」と合図して雷蔵を背負う。
 例の忍者被れの男に相違なかったが、自分を見つめてくる視線の意図がまるで違う。それによってすぐさま目の前の男が三郎の変装なのだと理解し、安堵の声が漏れた。

 安心した八左ヱ門とは逆に、三郎は酷く苛立っていた。
 騒ぎを起こしてくれたお陰で変装して入り込むのは容易かったが、如何せん当の二人が何処にいるのか探すのが大変だった。
 この男に成りすまし、山賊達を誘導させながらやっとのことでこの廊下を無人にすることができたというのに、八左ヱ門の油断の尻拭いのために雷蔵が目を回しているという状況だ。
 怒って当たり前かと、八左ヱ門は苦笑いを浮かべつつも心底では後悔と不甲斐無さで一杯だった。
 その心理を察することなど頭に血が上っている三郎には出来るはずもない。
 力任せに顔の変装を取り去ると、雷蔵と同じ顔が今度は憤慨した様子で責めてくるので八左ヱ門は堪らなかった。
 自分のすることが空回りして、焦燥感ばかりが募ってしまうのはどちらも同じことなのに、二人はそれぞれ他人に懸命になり過ぎるからこそ擦れ違ってしまう。
 雷蔵が目を覚ましていれば、まさにそう見えたことだろう。
 だが冷静ではない二人には分からないことだ。

 先程の音を聞きつけて、山賊が集まってくる気配がした。
 舌打ちをした三郎が雷蔵を背負って八左ヱ門を乱暴に促す。一度外まで逃げなければ、落ち着くことさえできない。
 出口を目指しての遁走劇がそうして始まり、床の底が抜けるという盛大なハプニングをもってして終わりを告げたわけである。



 * * *



 思い返してみてもぞっとする。一歩間違えれば、当然だが怪我の一つや二つこさえていても不思議ではない状況だ。
 だからこそ余計に雷蔵の殴打の傷が気になった。
 天守の一階から落ちたというのに、本丸の地下は凄まじく広かった。見上げた天井(つまり落ちてきた床下の部分)は薄闇に捕らわれていて、夜目になれていなければ目視はできそうもないくらい高い位置にある。
 あの高さから雷蔵を庇うように受け身を取った三郎は、いまだに起きない相棒をとりあえず床に寝かせてやった。
 衝撃で身体が酷く痛んだがそうも言っていられないため、懐の水筒で濡らした手拭いを腫れ上がっている頭に乗せておく。
 山賊達は流石にここまで追ってはこないし、彼が目覚めるまで動くこともないだろう。

「……」

 一連の作業を終えて、三郎はようやく今まで黙っていた少年の方へと顔を向けてみせる。
 本日最大の衝撃を受けた後だったため、打ち身やら何やらのせいで昂ぶっていた怒気は流石に鎮まっている。
 情けない顔をして困ったように微笑む八左ヱ門をじっと見やっていたが、向こうも二の句が告げないようで申し訳なさそうに床へと視線を逸らした。
 虐めているみたいだと、らしくもなく困ってしまった三郎だったが、似たような事だと雷蔵に指摘されたばかりだ。これ以上皮肉れた言い分を並べたのなら、鉄拳制裁されかねない。

「あーその、八」
「俺が」

 髪をくしゃくしゃと掻きながらどう接すればいいのか考えるよりも前に、八左ヱ門が言葉を遮った。

「俺がもっと強ければ、三郎も肩並べてくれるか。俺も仲間って認めてくれるか?」

 苦笑している八左ヱ門だったが、暗闇に浸る声音は少し擦れていた。
 それがいつもよりも弱々しく、三郎の良心を痛ませた。

 三郎は八左ヱ門の力をいつも侮るように言うが、本心からそう思っているわけではない。けれども生ある者全てに優しい彼をそのままの形で守りたくて、授業とは関係のない忍務から遠ざけたいと三郎は願ってしまった。
 命が尽きる者を見るたびに歪む泣き笑いの表情を、好き好んで見たいとは思えるわけもない。
 特に三郎が昔から駆り出されている“おつかい”という名の忍務は、危険度が高かったから尚更同行させたくなかったのだ。

 ――八は頑張り屋だから気にしていないって顔するけれど、僕と同じくらいきっと本当は――。

 不意に先程雷蔵に言われた言葉が反芻された。
 三郎の気持ちを知りながら、だがそれではただの一人よがりだと非難した。
 私的な我侭であってもそれは構わないと、さっきまで三郎だって思っていたはずだった。
 けれど現実に、八左ヱ門が弱音にも似た強がりを見せたことでそれは大きく揺らいでしまう。
 忍者としての才覚があるが故に孤独であった三郎の、唯一無二である大切な親友達。彼らを守れるのならば幾らでも戦えた。後ろ指を指されても平気だった。
 そんな気持ちを雷蔵に知られて、優しい彼が放っておくわけもなく半ば強引に忍務も共に行くようになってからはさらに臆病になったのかもしれない。

 今度こそ知らないまま、知らせないまま、八左ヱ門には傷付かずに笑っていてもらいたかったのに。
 心地良い太陽の笑みを曇らせているのは、紛れもなく自分の愚かな願い。

「雷蔵は焦らなくっていいって言うけど、それじゃあお前、いつまでも気ぃ張ってばかりになるだろ……」
「八……分かって、いたのか」

 瞠目した三郎に、首を振ってみせる。

「勘右衛門のこと言えないぜ。三郎が勝手に決めたから、俺も勝手に強くなるって決めたけど――それでもやっぱり、頼られないのって辛いんだ。俺だって、三郎や雷蔵を守りたいから」

 対等である、友達でいたいから――。
 真っ直ぐな思いに触れた三郎は、もう何も紡げない。
 胸の奥が温かくなる感触に少しだけ泣きたい衝動にかられたが、小さな自尊心でぐっと我慢する。
 最後まで自分からは話せなかった思いは、ずっと前から滲み出ていたらしい。それを八左ヱ門は黙って受け止めてくれていた。
 雷蔵の時もそうだ。危険な忍務を繰り返す三郎に、頼ってくれても構わないんだと意思の強い眼差しで見つめられた時も。
 普段は何も言わない兵助に肩を叩かれて、お疲れ、などと滅多に無い労いを受けた時も。
 勘右衛門が黙って委員会の仕事を引き受けて、好物のはずの菓子をこっそりくれた時も。
 湧き上がってくるむず痒い温かみは、そこに存在するだけで三郎を照らし出してくれる。
 だから、傷付けたくなんかなかった。
 でもそれは八左ヱ門だって同じことだった。

「ごめんな……それから、守ってくれてありがとう」
「っ! 私の方こそ、ごめん。……ごめんよ、八」

 消え入りそうなありがとうの五文字に、八左ヱ門は今度こそ眩しい笑顔を浮かべてみせた。


「……そろそろ起きてもいいかな?」
「!?」

 気まずそうに瞼を薄く開いた雷蔵に、三郎が硬直した。
 覚醒したことに喜び勇んだ八左ヱ門は素早く駆け寄ると雷蔵の傷の具合を丹念に調べていたが、三郎はそれどころではなかった。
 再三雷蔵の前では好き勝手していたのに、結局きちんと伝えた現場を聞かれていたのかと思うと羞恥心で堪らなくなる。
 それを分かっているので雷蔵も追及はしてやらない。

「お前らやっぱりいいコンビだよな」

 声もなく会話終了した二人を見比べながら、八左ヱ門は呑気に笑っていた。もうあの小さな劣等感は、感じていなかった。

 しかしながら現状は打破できていない。
 さてどうしようかと考えた名物コンビを余所に、八左ヱ門は辺りをうろうろしながらも悩んでいる素振りは見せなかった。

「八、何か良い手でもあるの?」
「いやいや雷蔵、ここまで最悪な潜入かましてくれた八にそれは無理な相談だって」
「またそんなこと言って! 本当に殴るよ!」
「別にいいぜ。三郎の照れ隠しなんだって分かったし」
「て、照れてないぞ!」
「ふふっ八も三郎の扱い分かってきたんだね」

 三人は騒がしく歩き出す。
 埋め立てられた堀の奥にあった水路の跡地に落ちてきたのだと分かったのはしばらく経った頃で、彼らは再び軽口の押収を繰り広げながら地上へ向かってひたすら穴を掘ることとなる。
 明るい日差しの下にある日常へ、帰還するべく。





おしまい


2013/02/10(発行:2010/10/10)
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