* * *



 前回と同じく学園から引き摺られ、店に引っ張り込まれた兵助は料理を見るなり不満気であった顔色をさっさと切り替える。
 現金な友人の表情を見て三郎は呆れるのだが、わざわざ外で兵助に話を聞いてもらうというのを恒例行事にしている自分も自分かと思うと文句など出るはずもない。
 一頻り前菜を処理した兵助は、それで、と本題を促す。
 兵助も三郎が八左ヱ門と話をしようと努力している姿を度々見かけているから、今回の呼び出しもその件についてなのだろうとは予想している。

「というか、まだ話をつけてなかったのかよ。三郎って何でもそつなくこなすくせに、本当八左ヱ門が絡むとてんで駄目だな」
「煩い。あれは、八が逃げるから――」

 口癖のように思わずそう言ってしまうと、兵助はずいっと人差し指を押し付けて無言で注意する。
 ぐっと言葉に詰まった三郎をねめつけながら、呆れ口調で肩を竦めた。

「雷蔵の方がよっぽど甲斐性あるのに、何でこんな奴がいいのか私にはさっぱりだ」

 溜息交じりで落とされた呟きは三郎を震撼させるには十分過ぎる代物で、間抜けな顔を晒してしまう。
 兵助としてはこうも続けて湿っぽい話を相談されてもちっとも面白くはなかったし、折角の飯をさっさと気持ち良く味わいたかった。
 だからさっさと話を切り上げて、たかるだけたかっておこうと今日は決めてきたのだが、勿論そんなこと三郎が知る由もない。

「あいつってさ、いつも怪我とか病気になっても平気な振りをして心配させてくれないだろ」

 微妙にずれた話題を振られて困惑気味に三郎が眉を顰めた。
 それを気に止めず、兵助は続ける。

「八左ヱ門、意外と健気だからさ。私達にだってそうなのに、好きな相手だったら尚更重荷をかけたくないって考えるんじゃない?」

 凛々しい横顔を曇らせながらそれでも笑おうと歪む貌は、自分が見ても良いものじゃなかったと兵助は今でも思う。
 何処か遠くを見る視線の先に思い描かれたのは、誰の背中。諦めた微笑みで見守る決意をしたのは、誰のため。

 ――三郎には雷蔵がお似合いだろ?

 そういって切なく微笑む八左ヱ門の深い愛情に満ちた想いに触れてしまい、兵助は言葉を失った。
 真実ではないのだと叫びたかった。三郎も――そして雷蔵も恋心を寄せる相手はたった一人だけなのだとここで暴露してやりたかった。
 けれど、それは彼らに共通する相手への想いやりを無駄にしかねない。不器用であっても手段を履き違えていたとしても、彼らはそれが自分と相手のためになるのだと信じているのだから。

 その輪の中に入れないことを兵助は寂しく思うが、だからこそ自分はそれぞれが恋う相手吐き出せない想いを知る事が出来た。
 だからこそ自分にしか出来ないこともある。変化を恐れて何も言わなかった咎を払うには遅くないはずだ。

「まだ分かんない? 八左ヱ門、お前の事がずっと前から好きなんだよ」

 黙り込んでいた三郎は、話された意味を逐一噛み砕きながら何度も反芻させていた。
 それは今まで一片も考えたことの無い現実。
 自分と雷蔵が付き合うことよりももっとありえないと思いながら、それでも願い続けていた願望の形。
 聞きたくなくてずっと避けていた答えが意外な場所から晒されてしまい、頭が沸騰しそうなほどの混乱が三郎を襲う。それでも明確に浮かんだのは、八左ヱ門の柔らかな眼差し。

 ――八。
 ――八に、今すぐ会いに行かなくては。

「っ駄賃残していくから好きなだけ食ってろ!」
「毎度」

 ようやく思考回路が繋がった三郎は顔に朱を立ち上らせたて突然立ち上がると、財布を投げるように寄越すなり一目散に店を出て行った。
 ひらひら手を振りながら見送った兵助は、とりあえずおかわりを要求すると呆れたように空っぽになった席を眺めた。

「……全く。皆、馬鹿みたいに臆病だ」

 自嘲めいた呟きを零しながら兵助は微笑む。
 返事が怖くて聞けなかった三郎も。受け入れてしまえば別れが辛くなるから自分の気持ちを隠した八左ヱ門も。そんな二人を見ていた雷蔵も――自分も。

「言い訳ばっかりで逃げてちゃ、前に進めないんだよな」

 運ばれてきた料理に舌鼓を打ち、兵助は満足気に頷いた。
 気分が晴れやかになれば、やっぱり食事も楽しくなる。今度は皆で来ようと兵助は一人決意した。



 誤解を解こうと一度だけ弁明しようとした三郎に、八左ヱ門はあの曖昧な笑みを貼り付かせていた。
 聞きたくないと壁を作っているようなそれは、告白した時と寸分も変わらない。
 勝手な思い込みに憤慨した三郎は、もういい、とその時も八左ヱ門を置いてさっさと帰った。折角二人きりであったというのに、いつも八左ヱ門の一言は三郎の神経を逆撫でするのだ。
 そういう時は決まって三郎が立ち去る。
 好きな人に醜い言葉を投げ掛けたくない一心であったが、笑顔の裏で八左ヱ門はいつも何を思っていただろう。

 その時と、そして告白したあの日と同じ杉の木を目指して三郎は獣道をひた走っていた。
 兵助に気付かされて鉄砲玉のように出てきたはいいが、八左ヱ門が戻るのは夕方。今から戻ったって焦燥に駆られるばかりで、学園内でそわそわするばかりだ。
 ならばここで待とう。天辺に上れば学園が一望できる。誰かが帰ってくる姿も見えるはずだ。

「八……くそっ、馬鹿は俺の方か!」

 知らなかった。
 八左ヱ門がずっと、自分を見ていてくれただなんてちっとも気付かなかった。

 何故言わなかったんだと、怒りに任せて問い詰める権利を三郎は持ってはいない。
 恋慕を抱いたその相手の口からそれを聞くのが怖くて避けていたのは、自分の方だったから。
 八左ヱ門だけではない。
 愚かな提案を律儀に守ってくれていた雷蔵も、ずっと話を聞いてくれていた兵助の気持ちも、きっと知っている気になって全然分かっていなかっただろう。
 自分ばかりを顧みて、それで誰かを愛せるというのならばそれこそ偽りに固められた虚像に過ぎない。

 滲んでくる額の汗を幾度も拭い取り、荒れた呼吸を整えながら三郎はくたくたになった足をひたすら動かし続けた。
 茂みを強引に掻き分けて、地肌が剥き出しの斜面をしがみ付くように上がっていく姿からは、天才忍者と呼ばれ何事も涼しい顔をしてやってのける余裕の一欠けらも見当たらない。
 そこにいるのは、青い恋心に突き動かされているただの十四歳の少年だけ。
 こんなにも他人に必死になる自分が、三郎は好きではなかった。雷蔵以外に感情を剥き出すなんて、昔なら考えられない。
 でも――。
 いつもそういう風にして他人との間に線を敷いてきた冷めた男を、八左ヱ門はずっと前から好きだったと言う。
 いつから、どうして、何で、と疑問は尽きなかったがそんなもの今はどうでも良い。
 伝えたい。三郎の本音を。好きだと言ったその内側にしまっていた言葉を。
 そして今度こそ、絶対に知りたかった。
 八左ヱ門の口から、真実の想いを。



 効率の悪い走り方をしていたせいで随分と陽が傾いてきた。
 微かに色付いた斜陽に照らされて、上りきった坂の脇に小さな花弁が揺れている。
 花を見るとどうしても複雑だったが、差し出してきた時の無邪気な八左ヱ門の笑顔を思い出すとそれすら通り越して悔しさが込み上げた。
 受け取れば良かったのだ。そしてさっさと八左ヱ門のみっともないぼさぼさ頭を彩ってやって余計な事を考えさせる前に思いっきり抱き締めて、信じてくれるまで愛を囁いてやれば良かった。

 足を止めていた三郎は呼吸を飲み込み、花を一つ手折った。
 あの時想像でしかしてやれなかったことを今度は必ず八左ヱ門自身へ贈ってやるのだと、恐れから逃げ出そうとする弱い己を無理やりにでも振るい立たせた。


 突然開けた視界の中に、予想外の人物の姿を見出した三郎の心は大きくざわめいた。
 気配に気付いた後姿が、妙にゆっくりとこちらを振り返る。何か見たくないものを見なければならない、そんな恐々とした仕草は彼もまた今の三郎と同じように怯える自分の内側と戦っているのだろう。
 驚きで目を見開いたのはほんの一瞬。
 理性よりも早く、身体が動いた。

「っはち!」

 疲労で乾いた喉が痛んだがそんなものに構っていられない。
 飛び掛るようにして気付けば八左ヱ門を腕の中に引き込んでいた。
 慌てたように八左ヱ門が声を上げたが、聞く耳持たず強く強く抱く。
 明確な意思を持って触れるのは初めてだった。八左ヱ門はこんなにも温かかったことを三郎はようやく今知った。

「どうしたんだよ、出かけたんじゃないのか?」
「それはこっちの台詞だ。何でここにいる」
「……三郎が」

 帰ってきたらすぐに分かるように、と。俯いてくぐもった声を心臓の上で聞きながら、思わず三郎は嘆息を吐き出す。
 歓喜とは、まさにこのことだろうか。

「本当に、お前の前では一喜一憂してばかりだな私は」

 自嘲気味に口元を歪めながらも、幸せそうに三郎は笑んだ。

「八、私は」
「待ってくれ三郎!」

 常に無い語調の強さで留められ、三郎は視線を八左ヱ門へと差し向けた。

「俺、逃げていたんだ。三郎に答えてしまえば離れるのがずっと辛くなるから、はぐらかして無かった事にして」

 真っ直ぐ切られた前髪の下から覗く瞳が訴えてくる純一な想い。この眼差しに気付いていれば、三郎はもっと早く八左ヱ門の真意に気付けていたはずだ。
 彼はこんなにも嘘を付けない人間だから。

「雷蔵と幸せならそれでいいって決めてたから、このままずっと黙っておこうって思っていた。――でも!」

 耳元に残る三郎の一言が、八左ヱ門の恋情に大きく圧し掛かった。
 三郎が冗談ではなく自分を好いてくれていることへの喜びよりも、雷蔵の方が、と比較された事にぞっとするほど心が鷲掴まれた。

 ――イヤダ。

 三郎が雷蔵を選んでくれることを望んでいたはずなのに浮かんだ感情は酷く自分本位で醜く。こんな風に身勝手だから三郎をいつも怒らせてしまうのだと、身体の震えが止まらなかった。
 それに気付いていながら何も言わずに受け入れてくれた雷蔵の優しさに、八左ヱ門は涙が溢れた。

「卒業しても一緒にいたい、三郎を取られたくないって、あの時感じた。思っちゃいけないことだったのに」
「っんなこと八が決めることじゃない!」

 震える声音が発した彼の本音に、三郎が吼えた。
 また怒らせてしまったと身を縮ませた八左ヱ門の背に、回した腕を強く食い込ませる。

「私だっていつも思っていた! 好きだから当たり前だ。何が悪いっていうんだよ!」

 軋む痛みはまるで三郎の抱えてきたもののように感じられ、必死の形相を垣間見てしまった八左ヱ門はおずおずと相手の背中へ腕を伸ばす。
 初めて触れられた指先の熱さに泣きそうになりながら、三郎は八左ヱ門の肩口に額を押し付けた。

「私の側にいておくれよ、八左ヱ門……」

 はっと息を呑む気配が傍らに感じられる。
 本当ならば八左ヱ門の答えを聞いてから言うつもりであった願いを、こんな形で零してしまうなんて考えてもみなかった。恋愛は予想外なことばかり起こる、と三郎は苦々しく唇に弧を描く。
 三郎、と小さな声音が自分の名前を呼んで、少しだけ顔を上げると八左ヱ門の妙に真面目な視線とかち合う。

「俺の、目を見てちゃんと言ってくれ。じゃないと、お前が誰なのか分からないから」

 その言葉だけで、一番知りたかった八左ヱ門の本心を推し量ることは容易だった。
 三郎の言葉をどうしても信じてくれなかったのは、認めれば別離の際に傷付くからという保身のためだけではなくて。
 ――好きだと叫びながら一度も目を合わせなかったからだ。
 あの時の自分に呆れ返る。

 素顔を晒せない三郎はそれこそ表情だって作り出すことだって出来たし、今も八左ヱ門の前にあるこの顔は雷蔵の物だ。三郎の物ではない。
 声や喋り方、仕草は全然違っていようとも、忍である自分達にはそれが安易に変えられるものだということを知り過ぎていた。
 その中で八左ヱ門が信じられたのは、自分を見る双眸に映り込む三郎だけが持つ感情。
 言葉や態度がどうなろうとも――愛しい者を見る眼差しに、嘘など付けようもないのだから。

 ――嗚呼、本当に馬鹿正直な奴だ。

 込み上げてくるむず痒さに顔中が紅潮することを感じたが、そんな八左ヱ門を愛してしまった自分だってそんな馬鹿の仲間入りだろう。
 でもそれが、今はとても心地良い。

「八左ヱ門、お前が好きだ。お前じゃないと駄目だ。代わりなんていない。たとえ離れたって絶対に迎えに行く!」

 瞬きさえ忘れて三郎は真剣な表情でじっと見つめた。この顔は自分の物ではないけども、想う気持ちは偽りじゃないことを真っ直ぐと知らしめるために一度も逸らさなかった。

「うん。俺も、三郎が好きだっ!」

 目尻に薄い膜を張りながら、八左ヱ門は今度こそ輝かんばかりの笑顔を湛える。
 三郎は握ったままだった花の存在をようやく思い出しその笑顔の側に添えてやると、不思議そうな顔をした恋人の唇に口付けを落とした。
 告白よりも精一杯の勇気を振り絞って。





おしまい


2013/02/06(発行:2009/10/10)
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