大好きだよ、と雷蔵が言って。
 大好きだよ、と三郎が言った。

 俺は二人とも大好きだったから、嬉しくて堪らなかったけれど。
 答えはもう出ていた。



ごめん




「はーちざえもーん」

 妙に間延びした呼び方に呆れながら振り向けば、見慣れた長い黒髪が視界を覆う。
 そのまま突撃されたのだと気付いたけれど、俺は苦笑しか浮かべられないくらいに兵助には甘いのだ。
 にこにこした彼の端整な顔が傍にあると妙な気分になるけれど、珍しく子供のようにくっついてくる兵助の頭をとりあえずわしゃわしゃと撫でてやった。

「どうしたんだ妙にご機嫌じゃないか」
「分かる? 今日は――」
「言わずもがなだ。どうせ食堂の献立がお前の好みなんだろ?」

 毎回毎回お約束だ。
 溜息交じりで笑うと、目を輝かせて兵助も満面の笑みを浮かべた。
 取っ付き難くも見える一見冷淡そうな兵助だけれども、近い者にはそれこそ動物のように擦り寄ってくるのがおかしくて、俺は思わず声をたてた。
 不思議そうにこちらを見ていた兵助だったけれど、俺の機嫌も良いのだろうと勝手に解釈したらしくて嬉々とした様子で俺の手を取った。
 誰が通るかも分からない廊下でいい年した男同士で手を繋ぐのなんて、最初は戸惑いの方が多かったけれども、兵助と一緒にいても誰も奇妙だと思わないようで――元々互いに仲が良かったから――繋いでても平気だよ、という兵助の言葉に乗せられるがまま、時折こうして親友以上の行為をしている。
 多分、勘が良い人間は俺達の関係が友達のそれから変化していることに気付いているのだと思う。
 兵助は良い奴だ。俺なんかには勿体無いほど、頭も良いし、誰が見ても美形の類であったし、それこそ言動が特殊でなければくの一にだって相当もてるはずだ。
 でも兵助は俺が良いと言い切った。
 俺が少しでも笑っていられるのならそれでいいって。
 ――たとえ俺が兵助のことを、まだ恋い慕う対象としては見られないことを分かっていても。構わないと言ったのだ。

「八左ヱ門の手はあったかくて気持ちいいね。私は大好きだよ」
「そうかぁ? 兵助がちょっと冷たいだけだろ。雷蔵も三郎も別に普通――あっ……」

 些細な会話をしているつもりなのに、思わず彼らのことを口に出してしまい俺は気まずくなって目を伏せた。小声で謝った俺に気にしていないよと兵助は笑むけれど、ほんの少しだけ寂しそうにするのが見て取れる。
 兵助は何にも悪くないのに。
 悪いのは俺なのに、そんな顔をさせてしまって申し訳なく思える。
 しばらくの沈黙の後、兵助は困ったように眉を下げた。

「前にも言ったけどね、私が八左を好いたのは私の勝手なんだよ。八左が私を恋人として見られなくともいいんだ。受け入れてもらえただけでも十分なんだ」

 俺の手を優しく握りながら、兵助は詠う様に当たり前の如く、告白してきた日と同じ事を告げてくれた。
 苦しくて彷徨っていた俺をそのままでいいんだと笑って受け止めてくれた兵助。
 きっと彼だっていつまでも引き摺る俺に何とも思わないはずがないだろうに、時間が解決してくれるよと、深く聞き出すことはせずに黙って俺を抱き締めてくれた。
 多くを望もうとしない兵助をいいことに、俺は彼を勝手に逃げ場として利用しているのではないかと時々思う。雷蔵と三郎の名を出した今でさえ、忘れられないままでも良いよと諭してくれる。

 兵助も、雷蔵も、三郎も、どうしてこんなに優しいのだろう。
 俺が弱かったから、全部悪いのに。


「やあ、兵助。これから食堂に行くの? 良かったら一緒に……」

 もどかしさを感じながら廊下を歩いていくと、馴染みのある声が前方から聞こえてきて俺は思わず背中を戦慄かせた。
 向こうも俺に気付いたのだろう。明るい呼び掛けが尻すぼみとなってしまう。
 恐々顔を上げてみると、俺の、大好きなあの顔が曇った笑顔を浮かべている。俺と兵助の繋がれた手へと視線を下ろして泣き出しそうに目元が歪んだのに気付いたけれど、何も言えなかった。

「お邪魔、だね。行こうか三郎」

 顔を慌てて伏せた雷蔵が身体を逸らすと、影のようにひっそりとその後ろに立っていた三郎の顔が見えた。じっと俺を睨み付けているその眼差しが胸に刺さり、俺は真っ直ぐに受け止めきれずに目を伏せる。
 兵助は黙っていてくれた。でも俺の手を一層強く痛いくらいに握る。
 それに三郎がますます険しい表情を浮かべ、異変に気付いた雷蔵が振り返った時には遅かった。

「どうしてなんだよ! 何故信じてくれないんだ、八! 兵助は良くて、私達は何故お前に触れることさえ許されないんだ!」

 降り積もり続けた悔しさが発露されたのか、三郎が激昂して俺を責めて立てた。雷蔵と同じ顔で同じように泣きそうな顔をしている。俺は、そんな顔を見るのがどうしようもなく嫌で、哀しくて仕方なくなる。
 だけど。
 だけどなあ、三郎。
 答えは最初から俺の中にあって、これ以上他に見当たらないんだ。


「ごめん」


 あの日と同じ言葉を返せば、三郎は青褪めて振り上げた拳をのろのろとしまうことしかできなくなった。
 三郎を止めようとしていた雷蔵も、俺の変わらない答えを聞いて本当に泣くのを我慢するかのように奥歯を噛み締めたのが分かる。
 二人をじっと見たまま動かなかった兵助は、項垂れた俺の手を握り直して先導するかのように引っ張って歩き出した。誰もいない廊下にぽつりと残された雷蔵と三郎から、俺は未練を振り切るように視線を逸らした。






「……兵助、なんで俺達、この学園で出会っちまったんだろうな」
「此処じゃなければ出会えないよ」
「……そうだな」

 食堂へ向かうことなどできないまま、裏庭で咽び泣く俺の頭を兵助は何にも言わずに撫でてくれた。
 いつもと逆だけれど、俺は俺が思うほどに強くはなかったのだと、雷蔵と三郎に告白された日から知ってしまったから彼の好きなようにさせた。

 忍者になるために五年間も学んできた。
 俺の親友達は皆、俺よりもずっと優秀で凄い忍者になるのだろうとずっと漠然としながらも思ってきた。
 なのに何で雷蔵も三郎も、兵助も、俺の事なんかを好きだと言うのだろう。友達じゃなくて、愛しているだなんて軽々しく告げてしまったのだろう。

 雷蔵と三郎は、将来二人で働くのに。俺なんかが間に入ったらいけない。そうでなくとも二人の間には誰にも分からぬ絆があるのだから、どちらを選んでも、どちらも選んでも、結局俺は足手纏いにしかならない。
 だから俺は断ったんだ。
 大好きだった。でも、ずっと傍にいたいとかそんな女々しいことは考えちゃいけないんだ。
 そう決めてから触れることさえしなかった。だって期待してしてしまう。愚かな俺の心はもしもという言葉に簡単に踊らされるから。
 兵助は俺にそんな期待を端からしないから、まだいい。
 きっとそのうち何も返せない俺に愛想を付かせるだろう。そう言うと、首を振るけれど。

「俺、雷蔵と三郎のこと、好きなんだ」
「うん」
「大好き、なんだ……」
「知ってるよ」

 兵助の胸元に涙を押し付けながら、俺は謝り続けた。
 好きなのに、好きだから、俺はあいつらと付き合う気は無い。そんなことをしたらあいつらはいつか俺のせいで苦悩するのが目に見えているから。そんな気の迷いが、外の世界では命取りだ。
 それ以上に怖いのは、あいつらが俺のせいで仲違いするようなことがあるかもしれないこと。

「兵助。俺、お前に酷いことしているよな」

 二人から身を引いたくせに、一人じゃ立っていられなくて兵助に甘えた俺を雷蔵と三郎はどう思っているのだろう。
 少なくとも三郎は怒っていて。雷蔵は泣いていた。
 二人が俺のことを本気で好きなんだと分かるけれど、俺は二人の望むように傍らで笑っていられないだろうから。
 兵助は何も言わないから。だから今だけは共にいることを承諾した。
 それは二人にとって裏切りにも思える行為にしか思えないのだろう。

「私のことはいいんだ。たとえ卒業までだとしても、今一緒にいられればそれで」

 そう言う兵助を抱き返して、俺はもう一度だけ謝った。
 まだ単なる友達同士だった頃に握った雷蔵と三郎の手の穏やかな温度を思い出してしまい、俺はまた泣きたくなった。
 どうしてうまくいかないのだろう。
 あの頃は、人を好きになるのがこんなにも怖いことだなんて知らなかった。





終わり

2009/05/15

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