+++ カラカサ +++



 異邦人の技術によってもたらされた、四つの腕。慣れないそれらは、合戦中であっても急に痛み出すことがあった。
 雑兵如きに遅れをとるつもりは無いが、勝利を収めた後の緊張の糸が途切れる瞬間、我慢をしていた分だけ激痛が襲ってくるのだ。
 阿修羅丸はその度に唇を噛み締める。

 自ら望んだことに、弱音を吐くことは許されない。

 薙刀を硬く握りながら、彼は心の中で何度もあの決闘の夜を思い返す。
 些細な痛みなど、あの時の苦しみに比べれば。そうやって自分に言い聞かせた。

「帰らないのか」

 気配の感じられなかった背後から、低い声に呼びかけられる。
 馴染んだそれは、振り返らずとも誰なのか分かる。


 周りを少し見渡せば、荒れ果てた大地の上で佇んでいるのはたった二人だけだった。
 斜陽の光に陰る黒い塊は戦い後の無残な代償。
 この中に、自分が斬った者は一体何人いるのだろう。

 嘲笑を浮かべたまま振り向けば、虚武羅丸が怪訝な顔をした。
 それに気付かぬ振りをして、阿修羅丸は武器を納めて四つの腕をしまった。





 歩き出した阿修羅丸は、頬に当たった冷たい雫に気付いた。ふと上を見れば、曇天からは雪混じりの雨が降り始めていた。

 何となく、音も無く歩く隣に視線を移す。
 鎧から突き出た二の腕を軽く擦り、虚武羅丸はじっと前を見据えている。
 小さく吐かれた息は白く染まり、ゆっくりと空気に溶けていった。

 本陣に辿り着くまで、幾分か距離はあった。このままでは二人揃って濡れ鼠になるだろう。
 軽く思考を一巡させた阿修羅丸は、いまだに鈍痛の悲鳴を上げている腕の付け根の様子を窺う。
 内側で動かしてみるが、動作の一つ一つに電流のような痛みが走った。
 しかし耐えれぬものではない。寧ろ、耐えてこそ意味があるような気がした。

「虚武羅丸、こっちに来い」

 言葉の意図を掴みきれず、尚も訝しげに見つめてくる忍の腕を、阿修羅丸は引っ張り上げた。
 思いもよらぬ行動に出られて虚武羅丸は焦った。
 体勢を強制的に崩され、急に働いた力に抗うことはできない。そしてそのまま、阿修羅丸の腕の中へ倒れこんでしまった。

 触れたその身体は、予想よりも冷たくなっていた。
 微かに顔を顰めた阿修羅丸は、四の五の言わせる前に虚武羅丸を抱え上げた。

 憤慨の声を放とうとしていた相手は、赤い瞳を大きく開き唖然とした表情になった。
 瞠目したまま自分を見上げてくる虚武羅丸に笑い、阿修羅丸はしまわれた四本のうち、手前の二本の腕を外へと出した。
 ぎしぎしと、寒さのせいでなのか醜い音が聞こえた。
 その音源には目を瞑り、背負っている葛篭から傘を一本取り出した。

 竹の骨組みに丁寧に和紙の貼られた、業物。深い紫の色合いの中に、白い輪が描かれている唐傘。
 それが阿修羅丸と自分の上に掲げられ、虚武羅丸はやっと合点がいった。

「全く……差すならば普通にすればよいだろうに」
「密着した方が雨に当たらなくて済む。それに、暖もとれるだろう?」

 呆れながら言えば、負けじと返される。
 口の端をつり上げた相手にこれ以上言葉を重ねる気も薄れ、虚武羅丸はおずおずと腕を回した。



 しとしとと、霙は降り続く。
 風物を味わうように阿修羅丸はゆっくりと歩いていった。
 少しの間沈黙が続き、虚武羅丸が傘を見上げながら口を開いた。

「蛇の目模様か。高かったろう。お前らしくないな」

 阿修羅丸は微かに赤くなった。それから不意に顔を逸らし、少々不貞腐れ気味の声が喉を通り越していく。

「悪いか。……貴様に、似合うかと思って、買ったのだ」
「俺に、か?」

 今度は逆に虚武羅丸が返答に困ってしまった。鋭いはずの視線が泳ぐ様を見て、阿修羅丸は奇妙なほど幸福感に満たされた。

 しばし何事かを考えた虚武羅丸は、そっと回していた腕を外し、阿修羅丸の肩に手を乗せた。
 身を乗り上げるような格好になり、目線が同じ高さになった。

「今日は睦言を吐く度胸があるのだな? 見直した。何か返そうか?」

 意地悪げに微笑まれ、一瞬阿修羅丸は息を呑んだ。
 それでも何とか踏み止まり、肩に触れてきた微かな体温の感触を確かめる。
 幾分か上昇したとはいえ、虚武羅丸の手はまだ冷たいといってもよかった。けれど、酷く居心地がいい。


 他人の温もりが、修羅の道を歩んだはずの己をこんなに穏やかにさせるなんて。
 そこで阿修羅丸ははっとした。
 先程から感じていたはずの違和感が、今はまるで無い。


「――いや、いい。もう貰ったからな」

 阿修羅丸は、支える手に力を込めた。
 響いていた痛みは、虚武羅丸の手の下で掻き消えていた。




「流石に、この状態のまま本陣に入る度胸までは無いだろうな?」

 逞しい胸に額を押し付けて、虚武羅丸はくすりと笑った。
 自分を抱える男の体温が上がったような気がした。


 雨は、まだ止まない。










 -Happy St. Valentine's Day!-




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リクエスト「阿修虚武」です。今回は見紛うことなく阿修虚武です。
ほのぼのなのか殺伐なのかよく分からなかったので、一応黒背景にしておきました。
どうも阿修羅んは尻に敷かれそうな雰囲気がします;
(2005/02/20)

バレンタイン企画でのお持ち帰りは終了しております。ありがとうございました!(03/08)



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