++ 赤い果実と甘い指 ++
天宮の全土支配を目指すその最中、騎馬王丸は何度かガーベラからの呼び出しをくらっていた。
大抵は戦況の報告。
ダークアクシズ本部から出す兵の数や、失った被害の状況などを事細かに尋ねられた。
最初は部下の心配でもしているのかと、多少なりとも感心していた騎馬王丸だったが。
最近、単にガーベラがケチだということに気が付いた。
(ケチというよりは貧乏性なのか?)
愛馬からするりと降り、騎馬王丸はいつもの指定位置に立った。
相変わらず、ジェネラルの間は禍々しい熱気と色彩を放っている。
こういった鋼の匂いは嫌いではないが、今は眠りについている巨大な化け物は好いたことが一度もない。
(ああ……暑い)
いつ敵対してもおかしくはない、同盟者の懐で鎧を脱ぐことはできない。
常に平常心を保っている騎馬王丸も、この時ばかりは心の中で弱音を吐いていた。
「おや、お早いことで」
僅かに空気の流れが変わった。
隣を見れば、そこにはまるで影のような黒い塊が目に入る。
涼やかな声音を放ったそれは、重力を感じさせずただふわふわと宙を浮かんでいる。
「デスサイズ」
「御機嫌よう、騎馬王丸殿」
名を呼べば、彼は珍しく姿を露わにした。
形ばかりに頭を垂れる細い身体は、殆どお目にかかれたことはない。久しぶりに見たその艶やかな存在を、騎馬王丸はしげしげと眺めていた。
「何か?」
「いや、珍しいと思ってな。……お前もプロフェッサーに呼ばれたのか?」
尋ねてみれば、デスサイズはこっくりと首を動かす。その手には見慣れない手提げ籠が。
「これですか。天宮には無いのですよね、苺」
いちご。
騎馬王丸は一瞬、それが何なのか分からなかった。
奇妙な形に粒がついている、赤い物体。それが有機物だということは嫌でも知れた。
はっきり言って、何故これを持ってきたのかと考えるよりも、何故デスサイズが少女のように両手で籠をぶら提げているかの方がよっぽど気になった。
彼の突飛な行動は今に始まったことではないので、自然とスルーしたが。
「甘酸っぱい味のする果物ですよ」
「ちょっと待て」
いつもと変わらぬ様子で話し出すデスサイズに、慌てて騎馬王丸はストップをかけた。
不思議そうに相手は首を傾けた。
「わしは戦況の報告をするために来たのだが」
「私も残党狩りの報告をするために来たのですけれど」
話は依然として噛み合わない。
心の中で地団駄を踏みつつも、騎馬王丸はめげずにもう一度聞いた。
「報告に、何故そのような物を持ってくる必要があるのだ?」
「ですから、ガーベラに言われて」
まさに晴天の霹靂だった。
騎馬王丸が知っているプロフェッサー・ガーベラは、兎にも角にも有機物嫌いには磨きがかかっており、ジェネラルのためなら例え異空間でも溶鉱炉の中でも突っ込んでいける男だ。
その男自らが、あろうことにも有機物の原点である植物を献上しろと言ったのだ。
騎馬王丸でなくとも我が耳を疑う。現に今でも、デスサイズの言葉は半信半疑だったのだが。
「なるほど。それがイチゴとやらか」
――本人にまでそう言われてしまうと、確実に真実なのだと思い知らされる。
「ガーベラ。とりあえずこちら、お渡ししておきます」
「手間を取らせた。ではまず状況の報告をしてもらおうか」
すでに諦めの境地に立った騎馬王丸は、淡々と口を動かし始めた。
(いつまで経っても、こやつらのペースには慣れぬな……)
赤い装甲を纏い、赤い果実の入った籠を持つ目の前の者。そして溶岩の色に照らされた赤い部屋に、何だか眩暈を覚えた。
+ + + + +
騎馬王丸は頭を抱えながら、再び戦乱の天宮へと帰っていった。
ジェネラルの間には、ガーベラとデスサイズが向かい合うように佇んでいる。
その、プロフェッサーと名高きガーベラの腕の中には。
赤と白のチェックが描かれている布が敷いてある、可愛らしい籠が一つ。
その中には、金属的なこの部屋には似つかわしくない有機物の山が一つ。
「――……以上です。何かご不満な点でもございますか?」
報告を終えたデスサイズの落ち着いた声が響く。
ガーベラは先程から――正確には騎馬王丸が去った直後から――妙に落ち着きが無い様子だった。
例えばジェネラルから仕置きを受けたり、あるいは部下がミスを犯してしまった時のような状態だ。
また文句の一つや二つ言われるだろうかと考えていたデスサイズは、さほど気にも留めずにいつもどおりの仕草を続けた。
「プロフェッサー・ガーベラ?」
何も答えないガーベラに思わずデスサイズは溜息を吐き出した。
それすらも黙認されたようで、相手はこちらの一挙一動を睨むわけでもなく眺め続けている。皮肉めいた物言いをわざとしてみたが、効果はご想像のとおりだった。
常日頃ならば、喧しいほどの毒舌対決が行われているのだが――これはどうしたことか。
漠然と考えていたデスサイズは、ガーベラの側まで近づいてみた。
赤い装甲からでは向こうの様子はお世辞にもよくは見えないが、仮面と大きなローブで姿を隠すデスサイズも、ガーベラからではよく見えない。
よって二人は、相手の細かな動きまでを見るためによく近づきあう羽目になる。
それもまた、日常的なもののはずだった。
――のだが、反応は。
「デ、デスサイズ!」
何故か上擦ったような声で突然名を呼ばれ、デスサイズは伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
しかし、そのあともガーベラの挙動不審は続く。
顔を上げたり下げたり。手の平を握っては開き、しまいには「あー」とも「うー」とも聞き取れる、おかしな呟きを漏らしていた。
元から短気な方でもないデスサイズだったが、こうも曖昧な態度を取られては苛々してくる。
いくら魔方陣の中だとしても見るからに暑い真っ赤な部屋。そこにこうして用も無くいることもまた、不毛だと感じてしまう。
もう一度、呆れた溜息を吐き出す。
これ以上は付き合う時間が惜しかった。
「用は無いのですね? 私はもう行きますよ」
「ま、待て! その……これを食べないか?」
再び影の姿に戻ろうとする背中を見て、ガーベラはやっと己の考えていたことを口に出す。
言葉と共に、籠がひょいと持ち上げられた。
「持ってきた私がですか。大体、それをどうするのです?」
「研究材料にするためだ。撲滅するためにはまず相手を知ることから始まる」
調子が戻った揺るがぬ尊大なそれに、デスサイズははぁ、と気のない返事を送った。
それを良い方向に取ったのか、強引にガーベラはデスサイズを部屋から出した。
要塞の廊下はジェネラルの間とは打って変わり、金属で囲まれいるため冷えていた。
連れて来られたデスサイズは、頭の中にいくつもの疑問符を浮かべていた。
対する目の前の男は気付くはずも無い。
「この私が有機物など口に出来るはずがないだろう。虫唾が走る」
「まあ、そうでしょうね。言うと思っていましたけれど」
後にこの苺は研究室に持ち込まれるが、そこで調べられるのは組織や遺伝子配列、その他諸々のデータである。
勿論、果糖の成分なども分かるのだろうが、問題は感じる触感や味覚で――つまりガーベラは味の実証が欲しいのだ。
言わずとも想像していただけあって、デスサイズは大人しく従った。
正直、ラクロアに帰りたいと密かに考えていたため、さっさとガーベラの望みを叶えてやろうと苺を一つ手にしようとしたわけだ。
「あ」
「あ?」
ガーベラが、再度すっとんきょうな声を上げた。
自然と止まったデスサイズの指から、静かに苺がすり抜けていく。
無言でそれを見送っていれば、目の前にずいっと赤い果実が押し出された。
きょとんとしているデスサイズに、強気な面持ちのガーベラがいつもどおりの命令口調で言う。
「食え」
唖然としたまま固まっている相手の、開いたままの口元に苺は近づいていく。
小さめの果肉はすんなりと口内へ入り込んだ。しっとりとした感触が、舌先を掠めていく。へたは最初から毟ってあったため、違和感は何も無かった。
そして薄い唇に微かに触れた指が、ゆっくりと離れていった。
無声映画の一幕のように、静かにその瞬間は終わりを告げた。
「あ、なたって人はっ!」
引き寄せられていた科学者の腕を引き離し、瞬時にデスサイズは姿変えの術を行使した。
くるりと踵を返し、次元を超える魔方陣を呼び出す。
背後ではガーベラがくつくつと喉を震わせ、嫌でも笑っている気配が感じられた。
「どうだ。味の方は」
目を細めて尋ねるガーベラは本当に嬉しそうで。
返答に詰まったデスサイズは、吐き捨てるように言葉を投げつけた。
「甘いに決まっているでしょう! いい加減、帰りますよ!」
慌しく魔方陣は消えていく。
死神の珍しい姿に、ガーベラは笑うしかなかった。
「ザコー。プロフェッサー様、運ぶの手伝うザコ」
「ああ。そうしてくれ」
ザコソルジャー達と共に歩くガーベラは、始終機嫌が良かった。
気になったら即訊ねる癖のあるザコ達は、この時も例外はなかった。するとガーベラは気分を害した素振りも無く、にやりと笑った。
「たまには奇行紛いなこともしてみるものだと思ってな」
測った糖度は6.5。
決して、甘いとは言い難い。
それでも甘く感じたのは――?
-END-
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本当は、調査隊から強奪した若者向け雑誌を見て、「あーんv」「ぱくっ」に夢見たガベ様とか。
「ジェネラル様には見られたくない」云々とか言っちゃうガベ様とか。
真っ赤になっちゃうデス様とか、すごく、乙女な展開が次々と生まれてしまったのですが。
長くなりそうだったのと、なおかつ動悸が止まらないのでちょっぴり内容の割愛。です。
(2004/11/16)
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