** 山茶花の散る頃に **




 眠るたびに、あの時の悪夢が蘇る。
 それは終焉が近づくにつれて感覚を狭め、ガーベラは日毎に魘されることが多くなった。

 見たくもないはずの、終わってしまった過去の出来事。
 なのに、記憶がそれを思い出すたびに、身体が言うことを利かなくなる。
 強張る掌とからからになる喉。冷や汗が背中を濡らし、時折、流したくも無い涙が頬を伝っていた。

 弱々しい自分に嫌悪感が先立ち、ガーベラは眠ることを拒否した。
 気が付けば作業台の前に延々と立ち続け、日の昇ることのない最果ての地で、朝をじっと待っている。
 それが何日も何週間も続いた。
 青褪めていく顔色を見て、自分は何をやっているのだろうと、ガーベラは鏡に問いかけた。



 要塞内でも数少ない窓を覗けば、白い粉雪の残像が通り過ぎていた。

「不健康極まりないな」

 ぼんやりと季節が変わったことを感じていたガーベラは、突然の来訪者に驚くこともなく一瞥を返しただけだった。
 騎馬王丸は溜息を一つ吐き出し、ガーベラの側へと近づいた。

「私のことはどうでもいい。それよりも、天宮の方はどうした」

 掠れた声は、いつものように嫌味な響きを保たせている。それでも覇気は感じられなかった。
 騎馬王丸もまた微かに笑い、いつものようにはぐらかす。けれどその瞳には憤りの色が見え隠れしていた。

 他人が見ても分かるほどぼろぼろになっているというのに、ガーベラはジェネラルのことばかり考え、自分のことにはとにかく無頓着だった。
 それが、騎馬王丸にはどうしようもないもどかしさを感じさせていた。

 閉鎖された冷たい機械の要塞。喚き立てる不気味な魔人。足元の溶鉱炉。熔かされた、同じ形のもの。

 あんな狂気に彩られた赤い部屋にずっといるなど、騎馬王丸には耐え難いことだった。
 まるで足先から毒に浸されるような、鈍い苦しさが襲い来る。
 そんな場所に、ガーベラは一体いつからいたのだろう。彼の中の歯車は、いつから狂いだしているのだろう。
 何も出来ずにいる自分が歯痒く、騎馬王丸は無意識に奥歯を噛み締めた。

「天宮のことはまた今度だ。休息しているのだろう。俺は帰るから、寝るといい」

 騎馬王丸はそのまま踵を返した。
 無力な自分を感じていたくはなくて、ガーベラに背を向けた。
 だが、騎馬王丸の言葉にガーベラは、無意識の内に息を引き攣らせた。


 寝てしまえば見る夢。去っていく背中。
 それが、重なる。



「……ガーベラ?」

 驚いたように騎馬王丸が目を見開き、滅多に呼ぶことの無い名前でガーベラに問いかけた。
 視線の先には、ベッドから伸びている腕が一つ。
 まるで助けを求めるかのように、ガーベラが騎馬王丸の手を握り締めていた。

「……寒くて、眠れん。そこにいろ」

 夢を見るのが怖くて、置いて行かれる事が嫌で。
 そんな理由を告げるのは癪だと思い、ガーベラは俯きながらぽつりと呟いた。
 我ながら馬鹿馬鹿しい口実だ、と思いながらも、握った手を外そうとは思えなかった。

 騎馬王丸は何も言わずに引き返した。側にあった椅子を引き寄せ、ベッドの際に座ると繋いだ手に力を込めた。
 呆れられると思っていたガーベラは、ぽかんとその様子を見た。

 騎馬王丸は笑っていた。
 ほんの少しだけ、嬉しそうに。

 自分もやたらと女々しい奴だと、騎馬王丸は苦笑を禁じえなかった。
 それでも、頼られるのは嬉しいことで。
 それがガーベラなら尚更で。



 深々と雪は降る。
 窓のそれを見上げながら、騎馬王丸はガーベラへと視線を下ろした。
 疲れているのは明白なのに、ガーベラは眠ることを拒むようにじっと半眼で天井を見つめたままだった。

「山茶花というものを知っているか」
「サザンカ?」

 終始無言であった部屋に、穏やかな声が響く。
 ガーベラは頭の中に残っているうっすらとした記憶を探った。

 たしか、冬に咲く花。
 赤と、それから白の花弁の。

 その色合いに思い浮かべるのは、過去の自分と今の自分。
 白かったのに、復讐心で黒くなり、犠牲の上に立ちながら紅に染まった。
 そんな、自分。


「天宮ではよく、雪が積もった後にその花弁が散っていてな。風流な情景だ」

 騎馬王丸は微かに自嘲を浮かべたガーベラに気付きながらも、話を止めなかった。
 ゆっくりと語られる異国の風景と、朗々とした低い声音。
 眠りたくないのに、それはまるで子守唄のようにガーベラの奥へと深く沁み込んできた。

「白いのと、赤混じりのものと、その逆のもの。色々とあるがな。一番、綺麗なのは」

 白い、白い白銀の世界が瞼の裏に広がる。
 塵の集まった結晶だというのに――汚い人間の手で生まれた自分なのに――穢れの無いその色だけには、何故だか惹かれてしまう。

 世界も、こんな風になっていれば良かったのに。
 そうすれば、好きになれたかもしれないのに。

「一番綺麗なのは、赤い花弁だ。お前の纏う色に良く似た」

 とろりとまどろむ感覚を帯びながら、身体は睡魔につられていく。
 ゆるりとガーベラは瞼を開けた。
 騎馬王丸は微笑んだまま、手を握り締めている。

「綺麗? 赤が、白の上から覆いかぶさっているというのに?」
「ああ。良く映える。それに――」

 想像の中の白銀の草原に、赤い花弁が落とされた。
 穢れたはずの己の紅色。それが、見事なコントラストを描いた。

 本物は、もっともっと綺麗なのだろう。
 騎馬王丸がこんなに褒めるくらいに。

「……ぼんやりとお前を思い出す」

 握られた体温が、泣きたいほど歓喜を呼び起こす。
 今の自分は笑っているのだろうかと、ガーベラは思った。
 そして、少しでもこの感情が彼にも伝わっているだろうかとも思う。

「もう眠れ、ガーベラ。ずっとここにいるから」

 静かに力の篭った相手の手を握り返しながら、自分の発言が恥ずかしかったのか騎馬王丸は頬を染めながらも小声でそう言った。
 ガーベラは小さく笑んで、沈んでいく意識に身を任せた。



 一面の雪景色。二人で歩くささやかな幻の時間。
 山茶花を眺め、笑い合う。

 そんな夢を、見たような気がした。





-END-




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放送終了一周年記念企画にて、リクエスト頂きました。
ガベ騎馬でほのぼの。……ちょっと暗くて切なめになりましたが、穏やかな二人で。
この二人の話を書く度に、マドナッグが溶鉱炉に落ちる瞬間を見た騎馬王丸はどんな気持ちだったか考えてしまいます。
その辺のお話も、いつか書いてみたいですね……。

(2006/01/13 修正2006/01/15)

記念企画のお持ち帰りは終了させていただきました。ありがとうございました。(03/10)

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