「また一緒に星を観たいですね」
「ああ……ここで、待っている」

 接触した少し冷たい温度を、私は徐々に忘れていく。
 それは多分、とても悲しいことなのだろう。


「 傷 心 -ITAMI-



 いつのことだろうか。
 自分がいまだに怯えを感じる暗い闇の空間を克服しようと、奥まった部屋に立っていたのは。
 その場所は、以前、模擬宇宙を映し出すために使った場所だった。
 あのときは部下たちがいたが、弱みを見せるわけにもいかなかった。
 一人ではなかったため平常心を保てたが、実験装置に何の意義も見出せなかった気がする。
 元々は部下の娯楽のために作ったものだ。私自身は、何の興味も持てずにいた。

 正式な完成品はすでに送った。残っているのはこの実験機のみ。
 すぐにでも廃棄すれば良いのに、私は心底で戸惑っている。

 実験で、捨てられる機械。暗い闇の中に放って置かれたままの。

 まるで私だと考えると、自然と嘲りが浮かんだ。
 馬鹿なことを。
 全ては、孤独な暗闇の世界のせいだろうか。


 勝手に震え始める足元を叱咤し、もう部屋を出てしまおうかと考える。
 弱い自分が惨めで愚かで、矮小な生き物に見えて仕方がない。

 だが、突然光が差してきた。


「お前には関係の無いことだ」

 本当に?
 目の前に立つ、黒い死神は、自ら闇に堕ちこむことを望んだ者だ。
 普段から姿を見ることは滅多にないその姿に、何かしらの興味が湧いたのは事実だった。
 去ろうとする背中が、小さく見える。
 また暗い世界に自分が取り残されるような感覚が襲った。


 動かない表情に不安を感じて、思わず天体映写を見せてやる。
 相手は驚いていた。そしてごく自然な動作で、顔を隠す仮面を外した。
 綺麗だ、と呟く横顔が、微かに笑っていた。
 突き動かされて、その身体を抱き締めた。きつくきつく、逃がさないように抱き込む。早くなる鼓動は押さえきれるものではなかった。


 二人だけの約束を交わして、私達は日常へと戻っていく。
 けれどお前の鮮やかであり、儚くもある姿に自然と目がいった。
 自分の中で、お前は無くてはならない存在になっていた。

「デスサイズ、貴様はここにいろ。離れることは許さない」
「どうしてそんなことを言うのですか、ガーベラ?」

 不安を少しでも口にすると、デスサイズは艶やかに笑った。いつものように嫌味なものではなく、離れるはずがない、と安堵感を与えてくれるものだった。
 ありのままのその表情を、私はとても好ましく思っていた。


 それなのに。

 デスサイズは、帰ってこなかった。


 暗い場所にまた一人で放られる。隣で感じる温度が無くなったという事実に、喪失感が全身を駆け巡る。
 側にいると、言った。何よりも求めている者よりも、自分を選んだのに。



 帰って、こなかった。




 憎しみが込み上げる。
 また人間だ。それから人間の側にいることを当たり前のように感じている機械人形たち。
 あれは私のものだ。お前たちは私から生きる時すら奪ったくせに、やっと手に入れたあれすらも奪おうというのか。

 もう一人は嫌だ。孤独は、嫌いだ。
 こんな世界はいらない。元々破滅させる気だったのだ。お前さえいてくれたら、壊したって構わない。
 むしろ、デスサイズのいない世界になんて留まる価値さえ無い。
 全部が闇に染まればいい。私の感じた絶望を味わえばいい。そうして自分もまた闇に喰われていけばいいのだ。それはあれの腕の中で死ねることと同じことだから。



 行方不明だと聞いたとき、背筋が凍った。
 倒したのだと言われたとき、どうしようもない哀しみと怒りが脳を支配した。


 毎回のように抱き合った体温。触れ合った記憶が、形を無くしていく。
 デスサイズはどう笑っていたのか。細い腕が背中に回されていたときの、心地良かったはずの力加減も覚えていない。
 二人で何を話したのか。自分はどんな笑みを浮かべていただろうか。仮想の銀河の闇はいつから怖くなくなったのだろう。
 一緒にいたいと言えただろうか。ずっとここにいるとデスサイズは言ってくれただろうか。
 最後に見た星座は、何だったのだろうか。指を指して教えてくれたその表情さえも、ばらばらに崩されたパズルのように行方知れずだ。
 それから、最後と話した時のお前の顔も。
 全部、全部――きっと、そのときの負の感情に焼き尽くされてしまったのだ。

 今縋れるのは、ただ一つだけ覚えている落ち着いた声音のみ。




「行くな、と言えばお前は生きていただろうか」

 誰もいなくなったジェネラルの間でぼんやりと呟いた。
 背後に鎮座する魔神が、低い唸り声を上げている。

「ジェネラル、もうすぐです……。我らの悲願は叶うのです」

 物欲しげな目が、じっと私のことを睨んでいる。こんなにも近くに捕食すべき金属があるのに食べられない。それが悔しいのだろうと、勝手に思う。
 それでも構わない。私は信じることにも、疲れている。
 早く、側に行きたい。
 そうして堕ちた私を笑ってくれ。


 誰も私に光を注すことは無かった。誰も共に歩もうとはしなかった。
 ただ、隣で抱き締めてくれる存在だけが、私の心を溶かしてくれた。
 信じなくても構わない、疑わなくても良い存在。それだけで十分だった。

 欲しがったことは無い。強請ったことも無い。ただそうあればいいと望んでいただけなのに、私を阻む者たちは全て奪っていく。

 返せなんて、ロマンチストだけが吐ける言葉だ。
 薄汚い連中にそう叫んだって、失くしたものが帰ってくるはずがない。
 だから、もう、こんな世界はいらない。




 もうすぐだ。
 もうすぐ、世界は沈む。私の道連れに。

 お前が纏っていた闇と言う名の混沌に、もはや躊躇することなく飛び込んでいける。



 -END-




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大波乱だったガベ様投身の回を受けて。すごく悲しい人だった。
もう世界を滅ぼすことしか見えていないガーベラが、すごく切なくて泣けました…。
誰か一人でも彼の側にいたのなら、全く変わった道をとっていたかもしれません。
唯一、自分に逆らうことも無く傍らにいたデスサイズは、帰らぬ人だし……うぅ、泣けてきた;
(2004/12/09)



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