真っ赤に染まる夕焼け空。生気の漲る朱色はそこになく、紫暗と交わったどす黒い赤が西を染め抜いている。
 あれは楽園の西なのだと、誰が言ったのだろう。
 ガーベラは嘲笑を浮かべ、落陽が消える瞬間までじっと佇んだまま動かなかった。


 東の荒野はこんなにも自由だというのに。
 楽園の住人は誰も気付かない。







 薄暗い回廊を抜けて、近づくことのあまりない自室へと足を向ける。
 かつりかつりと響き渡るのは、罪人を裁きに行く死刑執行人のような無慈悲さを醸し出す足音。
 これを聞くたびに、部屋で待つ者は微かに怯えたような表情を浮かべることを知っている。
 知っているからこそ、ゆっくりと時間をかけてガーベラは歩み行くのだ。

 とんだ嗜好だ。
 病んだ微笑みを象ったまま、扉にその手を掛けた。


 無機質な壁に囲まれている部屋には生活感がまるで無い。
 乱雑に置かれた装置や道具が、部屋の隅に寄せてある。その反対には、軋みを上げる寝台が横たわるだけだった。

 ガーベラは灯りもつけずに中へと踏み込む。扉が滑るように閉まり、自動的にかかったロック音が微かに鳴った。
 装置には一瞥もくれず、真っ直ぐと寝台へ進み出る。
 薄暗い闇の中、ぼんやりと浮かんでいるのは日に当たらないままの白い肌。薄布をかけただけのそれは、消え入りそうな色をしている。
 隅へ縮こまるようにして、それの持ち主は座っていた。

 寝台に手を掛けて、伸び上がるように頬に触れる。びくりと背中が跳ね上がり、赤い双眸がゆるゆるとガーベラの方に向く。
 先程の夕焼けを思い出しながら、ガーベラはそのまま顔を近付けた。
 抵抗は、あるはずがなかった。





「最後まで。そう、最期までだ。お前は私と共にあるのだ」


 繰り返し言い聞かせるのは甘い睦言ではなくて。
 呪詛のように刷り込ませる、小さな願望。

 無表情を浮かべる硝子玉に映るのは、泣き出しそうに歪む異邦人の姿。
 何度もリピートされた言葉に、相手は糸切れた人形のようにかくりかくりと首を縦にする。
 あらかじめ決められた動作のようなそれでも、ガーベラ――マドナッグは満足だった。

 要塞の奥に閉じ込め、守っているたった一つの宝。
 慈しむことなく、心底から愛さなくても良い、都合のいい操り人形。感情も思考する術も失った、生ける屍。
 それでも傍に居て欲しいと願ったのは、マドナッグの方。
 本当はちっぽけで弱い本心を擁護するための、支えを欲した。

 彼は、似ていた。
 人間を憎み、世界を憎んだ自分と。

 それでいて全てを失ってしまい、戻ってきたのは抜け殻だけだったけれど。



 楽園という名の牢獄を追放され、たった二人で東を目指したアダムとエヴァは何を見たのか。



 昔覚えた、古き聖書の物語を思い出し、マドナッグは嘲笑う。
 言葉も忘れかけた者を抱く自分と、自分を受け入れたまま浅い息を繰り返す死神が滑稽で仕方がない。

 自分たちは楽園を追われた。残された安住の地は、東のイドの大地のみ。
 そこは荒廃しきった自由の国。神からも、天使からも、世界からも見放された者が辿り着く場所。

「可笑しいと思うだろう。人は楽園と呼ぶのに、彼等にとってはエデンではなかったのだ」

 答えない――答えられない人形に、独白めいた言葉を投げかける。
 体温が上がり紅潮してきた絹肌を、自分でも愚かしいほどマドナッグは優しく掻き抱いた。
 鼓動の音が聞こえるだけで、安堵する自分に苦笑した。

「だってそうだろう? 追放された二人は、それでも人類の祖となりえただからな」

 答えない空っぽの目に映る、惨めに哂う自分。
 彼は何も言わない。ただそこにあり、自分を受け入れる。

 それが何よりの支えなのだと、マドナッグは自覚している。

「――だから。だから」

 皮肉ばかりの台詞の中に、熱っぽい独白が混じった。
 生理的な涙を浮かべ、揺さぶられるだけだった彼は不思議そうに顔を上げた。
 ぽかんと開かれた底の見えない瞳には、怯えや痛みとは違う感情らしいものが浮かんだ。

「私達だって、こんな最果てにいても結ばれるのだ」

 心配そうに覗き込んできたあどけないそれに、マドナッグの顔がくしゃりと歪んだ。
 そこにいるのは人形。ここにいるのは彼と自分だけ。
 だから取り繕うことはできない。

 暗い部屋に響いていた布の擦れ合う音は耐え、嗚咽だけが残される。
 ベッドの軋みもいつの間にか止み、いっそう悲壮感が辺りに満ちた。

 冷たい肌を抱き締めて、二度と離さないように距離を詰めて。
 返された細い腕に、胸をさらに締め付けられ。
 マドナッグは一人泣いた。
 物言わぬの首筋に顔を埋めて、静かに涙を流した。




 東の荒野は自由の大地。はぐれた者達が寄り添い合って、それでも生きていける場所。
 けれどその未来に、穏やかな日々はあるのだろうか。


 たった一つの禁断の果実を口にしてしまったばかりに、安全な檻から追い出されたことを。

 後悔、したことはないのだろうか。



-END-


書いていてだんだん意味が分からなくなってきた…。
これは連作ですが時系列順には上げられないと思うので、読みきって構わないです。
とことん不幸な二人も大好き。
(2005/03/09)
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