* 蜂 蜜 甘 露 *
- ハチミツ カンロ -



 配下のポーンリーオーたちが、とてとてと弾むように廊下を小走りしていた。
 前からやって来たデスサイズが、おや珍しい、と苦笑しながら彼らを見やる。
 それらはラクロアにいくつか配置させてある己の駒ではなく、主であるトールギスの兵のようだ。マナの気配がそれを語る。

「デスサイズ様がいらっしゃったポーン!」
「とってもいいタイミングだポーン」

 采の歩兵は意気揚々とした足取りで、影の側まで近づいてきた。
 デスサイズが不思議そうに、彼らの手の中に納まっている物体に視線を注いだ。

 それは、綺麗な飴色の瓶だった。

「トースギス様、お気に召さなかったポーン」
「ですから、デスサイズ様にもっていけと言われたポーン」

 早口で喋るだけ喋り、ポーンリーオー達はそそくさと再び廊下の奥へと消えてしまった。
 肩を竦めたデスサイズは、受け取った――強制的に受け取らされた瓶をしげしげと眺めた。

 瓶詰めにされていたのは綺麗な蜂蜜だ。
 トールギスは特に甘いものが苦手というわけではないが、気紛れにあれが食べたいだのこれが嫌だのと言う。
 本日とばっちりを受けたのは、どうやらこの蜂蜜だったらしい。

「あの方の我侭にも困りましたねぇ」

 ひっそりと溜息を吐き出しながら、蜂蜜をどうやって処理しようか思案し始めた。
 そのまま食べるにしては甘ったるい。紅茶に入れて飲むにしても、これだけ大量にあるのだから自分一人では到底無理だ。

 何気なく城の外に顔を向ければ、ダークアクシズの伝令役が飛んでくる様子が目に入る。
 ガーベラの呼び出しだろうとすぐに予想がつく。

「全く。次から次へと……」

 零したデスサイズだったが、ふと何か閃いたように与えられている自室へ一旦退いた。
 それから程無くして、伝令が来たと部下が伝えに来た。






 
「で? お呼び出しした張本人は何をしていらっしゃるのですか?」

 いつもの部屋に通されたデスサイズは不機嫌を露わに、先着者に向かって言い放つ。
 居心地が悪そうに――ジェネラルと見詰め合うかのような位置にいるからだ――騎馬王丸は魔方陣を見上げた。

 彼もまたガーベラに呼ばれたらしいが、その本人の姿は見当たらない。
 心底ジェネラルを崇拝しているあの男が、余所者を残したまま何処かにいくことはありえないはずなのだが。

「何やら侵攻部隊に武器の大量発注をされたらしい。つい先程出て行った」

 呆れた様子で騎馬王丸は言う。
 ガーベラが文句を言いながら研究室へ向かう情景が、鮮明に思い浮かび知らずに笑みが浮かぶ。
 だがこれは好都合だった。

「帰り際にお渡ししようかと思っていたのですが、ガーベラがいないうちに差し上げますね」
「何をだ?」

 デスサイズは呼び出した魔法陣から蜂蜜瓶を出した。ついでに皿とポットとカップとスプーンも取り出しておく。
 ふわりふわりと浮かぶ見慣れない食器を、騎馬王丸が不思議そうに眺めている。

 ポットが傾けられ、カップの中へと赤褐色の液体を注いでいく。スプーンが淹れられた紅茶を冷ますように、くるりと輪を描き踊った。
 瓶の蓋は開けられ、とろりとした飴状の蜂蜜が皿の上に少しだけ盛られる。
 そうして再びきっちりと密閉された瓶は、騎馬王丸の元へと運ばれた。

「ほう、蜂蜜だな。ラクロアはさぞかし裕福だったのだな」

 感慨深く騎馬王丸が瓶を掴み上げた。
 天宮では蜂蜜は貴重で、かなり高級な品である。ましてや戦乱の時代が長く、見たことがないまま死ぬ者も少なくはない。

「これを俺に?」

 恐る恐る尋ねる騎馬王丸がおかしくて、デスサイズがクスクスと声を上げた。
 それがまた何か企んでいるように見えたらしく、騎馬王丸が険しい顔付きになった。

「私一人じゃ食べきれないもので。武者は食べられますよね?」
「無論だが……別に俺じゃなくてもいいだろうが」

 話しながらデスサイズはポットをしまい、浮いているスプーンで一杯だけ蜂蜜をすくった。
 紅茶にそれを流し込み、繊細な指で掴んでいるカップを口元へと寄せる。
 中身は確かに普通の蜂蜜のようだった。
 そのことにほっとするものの、戸惑っている騎馬王丸は蜂蜜瓶の存在を持て余していた。

「ラクロアは人数の高が知れてますしね」

 騎馬王丸が、微かに体を強張らせた。
 視界の端に今も映っている、惨たらしい残骸が言葉の真意を物語る。

 伏せていた顔を持ち上げた相手に苦笑し、デスサイズは淡々と紅茶を含んだ。


「デ、デスサイズ。その――」
「貴様等、何をしている」

 沈黙に耐えかねて紡がれた言葉は、新たに加わった声によって掻き消された。
 慌てて振り返れば、予想通りの人物が仁王立ちをしている。

「ご機嫌麗しゅう、プロフェッサー・ガーベラ。貴方の侵攻軍は作戦完了の報告はせずに、武器は寄越せと図々しく言うのですね。全く良い御身分であらせられる」

 悪びれた様子もなく現れたガーベラに対して、デスサイズは少しだけ腰を低くして挨拶をする。
 しかし、こちらもカップを持ったまま、さらに嫌味をたっぷりと聞かせた物言いであったが。
 ガーベラはぴくりと反応したが、デスサイズを一瞥しただけに留まった。

「何をしていると聞いた」
「いいえ? ただ貴方の嫌いな有機物を的確に処置したところです」

 苛ついている気配を隠そうとしないガーベラと、愉快そうに顔を歪めているデスサイズ。
 間に挟まれた騎馬王丸は、憮然として顎に手をかけた。
 そこへ、配下の忍がするりと音も無く降りて来た。大蛇の鎧が背後でかちりと音を立てた。
 耳打ちされるのは己が掌握すべき国の戦況。合戦の刻が迫っているのだ。

 下がらせた忍の気配が遠のいたことを確認し、騎馬王丸は口を開いた。

「待たせ過ぎだ、ガーベラ。時間が無くなった。この埋め合わせは後日してもらおう」
「ふん。いいだろう」

 じろりと動く一つ目に踵を返して騎馬王丸は行く。
 先日も、その前も、似たような状況だったとデスサイズは思い出す。
 二人きりになるたびに、何か期待するような視線をガーベラが投げかけてくることも。

 しかしガーベラは依然と問い詰めてくる。苛々してのは分かるが、その奥に焦ったような雰囲気が含まれている。
 奇妙な引っ掛かりを感じたデスサイズは、飄々と受け流すことを止めた。

「蜂蜜を差し上げたのですよ」
「蜂蜜?」

 復唱するようにガーベラが問う。
 皿にまだ残っている薄い褐色の半液体物を突き出すように見せてやる。
 一瞬だけガーベラは嫌そうな顔をした。目聡くそれに気付いたデスサイズは性質の悪い微笑みを浮かべる。

「一人で使い切るには多すぎたもので」

 再びポットを呼び出し、手から離れた空のカップに注ぎ淹れる。
 宙に浮いたままの茶飲み道具を複雑そうに見ているガーベラを尻目に、彼はスプーンを手に取り、皿から蜂蜜を掬い取る。

「――何だって騎馬王丸に」

 動かしていた手が思わず止まってしまった。
 目を見開いて驚いているデスサイズは、ガーベラの方を凝視したまま固まった。

 押しが強かった先程の口調とは違う、不貞腐れたような響き。
 常なら真っ直ぐと向けてくる顔を横に逸らし、ガーベラはさらに続けた。

「別に誰かにあげなくてもいいだろうが」


 何を言っているのだろうか、この人は。

 そう考えて、はたと気付く。
 ガーベラが苛ついていた理由。そしてこの態度。

 つまりこれは――。


「デスサイズ?」

 沈黙してしまった相手に焦れて、ガーベラが声を掛ける。
 思考が戻したデスサイズは、指に伝う冷たい感触に気付いた。止めたままだったスプーンから蜜が伝って零れてしまっている。
 慌てて残っていた蜂蜜を紅茶に混ぜ入れ、皿とスプーンを消した。それからカップを空中に静止させ、両手を空ける。拭う物を探して、魔法を使おうと指をかざそうとした。

 その手首が、強い力でぐっと引き上げられた。



 何を、と息を紡ぐ間もなく、濡れた指先がガーベラの唇に寄せられた。
 初めて触れた薄い肌に身が竦む。驚愕が徐々に恥じ入る気持ちに摩り替わっていく。
 それはたどたどしい愛撫にも似ている。蜂蜜を拭い取っていくため、丁寧に付け根から指先まで掠めていった。
 渇いた相手の唇が、指の薄い皮膚を刺激していく。透明度の高い液体がとろりと動く光景に、思わずデスサイズは息を呑んだ。

「ふん……炭素だらけだな」

 手首を握ったまま、ガーベラが顔を上げる。唇にこびりついた蜂蜜を舌で舐めとり、少しだけ顔を歪ませる。
 無愛想を装いながらも、何故か声音は満足気だった。
 いまだ事態に追いつけていないデスサイズの視界は、微かに赤くなったガーベラの耳元を確かに捉えた。


 つまり――これは。


 一瞬でデスサイズの肌の色が変わる。顔から蒸気を吹き上げそうなくらい真っ赤になった。
 握られたままになっていた手を慌てて振り解き、ガーベラが触れた指先を丸め込むように握り締める。
 現状を飲み込めてしまえば、自慢のポーカーフェイスも形無しだった。

 苺を介して触れた繊細な指の体温。仕返ししようと思い、直接合わさった感触。
 それらの記憶が一気に溢れ出し、己が酷く狼狽しているのが分かってしまった。

 ガーベラがにやりと笑った。
 抵抗する間もなく、するりとデスサイズの仮面が外された。

「まあ有機物如き、あとで洗浄すれば問題ないな」

 お前のその顔が見られたのだから。
 そう言って、ガーベラは再び奥へと立ち去っていった。



 へたり込んでしまったデスサイズは、重ね合わせた両手を抱え込むように握った。
 ただ唇が肌に触れただけ。それだけなのに。
 胸の底へ甘いものが落ちていく、不思議な感覚が襲ってくる。

 ガーベラもまた、こんなふわふわとした奇妙な物をあの時抱いていたのだろうか。

「嫌いな有機物を口に入れますか、普通」

 強がるように呟いてみても、上がりきった体温は冷めることが無い。
 むしろ、思い返すたびにどんどん上昇していくような気がする。

「嫉妬なんて感情がある人だなんて思わなかった……」

 宙には放って置かれたままのカップが浮いたまま。
 何気なくそれを手にとって口にしてみれば、部屋の気温も相成ってまだ温かかった。

 煽るように飲み干した紅茶は、甘い甘い蜂蜜の味がする。





 -END-






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またもや死にそうです。恥死です。<ええっ?
何度画面から離れたことか。何度打ち込む手が止まったことか。
この人たちは誰ですか。っていうかいつもながら前フリ長い…。すいません。好きなんです。
ガベ様は別に舐めていませんのでよろしくです(何のフォローだ)
この三人、結局何のために集まったのでしょうか…;

とにかく20000HITリク、ありがとうございました。拍手の方でもコールを頂き、感謝です。
(2005/01/28)



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