[ 冷たいミルク ]
三日に一度、隠された扉が開く。
親衛隊の私室には許可無く立ち入れないしきたりだが、主である王族ならばどんな部屋にも出入りできる。
この部屋の主は、その事態を一番懸念していた。
知り得た古代の魔法を使い、扉を隠せるのは三日が限度だった。
故にかけなおす必要があったため、定期的に扉は開くのだ。
それでも、長年封印されてきた魔剣には長すぎるぐらいで。
物音をたてることすら許されていない部屋の中で、じっと空腹を耐えることは辛かった。
「おなか……すいた……」
決して広くは無い薄暗い部屋の中央で、エピオンは寝転がっていた。
ぼんやりと映る照明の無い天井には、窓から差し込む光の筋が微かに映っていた。
その先を視線で辿れば、カーテン代わりの暗幕が目に入る。
最初からこの部屋に窓があったわけではない。
渋るディードに懸命に願い、やっとのことで許されたものだ。
エピオンにとってはこの四角い囲いの中から景色を盗み見ることが、一人きりでいる時の唯一の楽しみだった。
もちろん、昼間に見ることは叶わない。夜の間だけだ。
ディードがくれた精一杯の譲歩だったが、今まで封印されていた場所とは雲泥の差だとエピオンは思っている。
「ディード、来るカ……?」
寝返りを打ちつつ、エピオンは扉を見つめる。
三日経った。
――といっても正確に計ったわけではなく、以前ディードがやって来た日から月が二回沈み、太陽が三回昇ったことを数えただけだ。
こうして日を数えるエピオンは、少しだけ不安だった。
空腹を抑えるために、または失った魔力を取り戻すために、エピオンは頻繁に眠る。
もしかしたら寝ている間に、一日ずれてしまっているかもしれない。
一人の時間が長すぎて、自分の中の体内時計は狂いっ放しだ。
それでもこの場には自分という存在しかいない。エピオンは、信じて待つことしかできなかった。
時折、ディードが二度とこの部屋を訪れなくなったらと考える。
その度に、呪われた身体は酷く渇望を覚える。
欲しい。食べたい。――誰にもあげない。
本能だけで暴れまわる狂戦士の性が、胸の中で解放を求めてくる。意識まで喰らう魔剣としての意思が、理性すらも掠めていく。
昔はそれでよかった。
結果として王家に封印されたものの、思考するということを覚えずに済んだ。
けれど自分には、一つの手が差し出されてしまったから。
孤独から解放され、自分よりもさらに深い悲しい闇の色を知ってしまった。
縋ることができ、誰かのために生きられることの喜びを感じてしまった。
人並みの優しさに出会ってしまったから。
この温い温度が好きになってしまったから。
二度と戻れないだろうと、エピオンは小さく笑った。
決して自由だと言えない身の上だけど、ディードは約束してくれた。
どんな姿だろうが、どんな生まれだろうが、平等に過ごせる国を造るのだと。エピオンを陽の下に連れて行ってくれるのだと。
「エピオン、そんなのは後でいいんダ。ディードがいてくれるだけで、十分だから」
くしゃりと自分を撫でてくれる白い手を思い出しながら、エピオンは午後の陽気に誘われて瞼をそっと下ろした。
ぽかぽかとした空気が、微かに揺れる。その後に聞こえる、小さな開閉音。
ディードが来てくれたのだと気付いたが、エピオンは眠気に耐え切れなかった。
きっと目覚めたら、にっこり笑って色々な話をしてくれる。
僅かな食事に大好きなミルクを添えた盆を持って、いつまでも待っててくれるだろう。
起きたら最初に挨拶をしなくちゃ。
ディードに習った、「おはよう」って。
すとんと意識に幕を下ろしたエピオンの赤褐色の髪を、氷刃の騎士はゆるやかに指で梳いてやった。
ディードは盆をテーブルに置き、丸まったエピオンの背中をあやすように軽く叩き始めた。
起きるのはきっと夕方だろう。
温かいミルクがちょうど冷めた頃。
-END-
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久しぶりにエピデスならぬエピディー(逆でもいいですが)
一応、まだ親衛隊時代で。
エピオンが普通の食事を食べられるのかは謎ですが…どうなんでしょう?
(2005/06/27)
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