「ディード!」
「行け、ゼロ」
伸ばそうとした手は、綺麗な海色の瞳に制された。
何故、と叫びだしたかった言葉は、緩やかに浮かべられた微笑みに遮られた。
ゼロとディードのその別れを、ロックは一人無言で眺めていた。
正確に言えば、翼が懸想していた氷刃の横顔を観察するかのように見つめていたのだ。
明るい色で覆われた鎧を纏う者の多い親衛隊の中で、彼だけが異質な存在だった。
それはまるで喪服。
暗闇色を好み、冷たい風を操り、それでも彼が持つ魂は清廉で静かな温かさが漂っていた。
あの海のような瞳が表すように寛大であったディードは、若輩でありながら救世主と予言されたゼロを影のように支えていた。
親友と呼ばれながらも、その関係がもっと濃密であったことはきっとロック以外知らないだろう。
ゼロがごく自然に納まったその場所は、ロックがずっと欲しかった場所だったから。
責務に潰されそうになった時。他国の者だという中傷に少しだけ沈んだ日。彼は黙ってずっと側にいてくれた。
そうしてディードが自身の温かくない身体に対して震えていた夜、いつもであれば頼りになる背を抱き締めたのはロックだった。
名を呼べば少しだけ生真面目な横顔を崩して、彼はいつだって自分の方を向いてくれていたというのに。それ以上の場所を、ゼロは軽々と奪い去って行った。
そのことに怒りを感じたことは決して無いけれど、自分がディードを好いていたということを自覚したとき、複雑な感情が湧きあがったことを覚えている。
「貴方も共に行けば良かったのではないですか」
「愚問だな、ロック」
熱を孕んだシュテルと、死を導くサイズが薙いで敵兵を狩る。
背中を合わせながらロックは平素通りの穏やかな笑みを浮かべていた。ディードは無表情を崩すことなく、武器を振るっていく。
「隊長はお前だ。私は、任務を全うするのみ」
そう言って走り出した黒い背中をロックは見つめた。
先日まではあの背中は、翼の騎士の傍らで愛を謳っていただろうに。優しい世界に漂っていただろうに。
――幸せだったのですか、と本当は問いたい。
徐々に歪んでいった彼を知っているから。ディードの中に巣食う死神の影が、日に日に大きくなっていくことを感じていたから。
誰かを守ろうとして、誰かの側にいて、誰かのために愛を囁いて、誰かのために優しくあって。
必死にそうやって自分を抑えていたディードの崩壊の原因は、自分も含めて誰も知らないけれど。
それにずっと甘えていたゼロはきっと、片鱗にさえも気付いていない。ディードの、あんなにも哀しい綻びを。
ラクロアに残れ、とゼロを抜かした他の親衛隊に命じたのは確かに己自身。
異界へと一人で旅立たねばならないゼロを不憫には思ったが、そこへディードは連れて行けない。救世主の予言には、自分達の名はないのだから。
――その大義名分の中に隠れる嫉妬心に、ロックは笑った。
本当は、それを内心で喜んでいる自分がいる。
ディードの軋みにも気付かなかった男は、彼の身体を二度と抱けない場所に一人でいくのだと暗く嘲笑う自分が何処かにいた。
「ラクロアの救世主、ゼロ。貴方にあの人は救えない」
もう、あの氷刃の背中には黒い羽が見えているから。
自分が亡き後にやってくるだろう結末は、二つに一つ。ゼロの死か、ディードの死か――。
その時にはロックは既に蚊帳の外だろう。未来を変えたいと願っても、全員が生きられる世界を求めても、時の流れに関わることは許されない身となっているはずだ。
だからせめて。
――今だけでも、せめて。
「愛しいあの人の刃で、死ねることくらい望ませて下さい」
ごめんなさい、ゼロ。
胸の内で謝ったロックは、ディードの後をそっと追いかけた。
恋しい人の死の鎌でこの浅ましい身を裂かれるために。
異世界で彼を思う翼の騎士は、いつか絶望に打ちひしがれる。
絶望を知りながら手にかかることを望んだ熱砂の騎士は、抜けていく魂を感じながら笑う。
残された闇の騎士は、暗い暗い地の底で一人。
誰の助けもないはず深淵で、救いの手をただ待ち続ける。ただ、待ち続けるだけ――。
本当に不幸なのは一体誰なのだろうか。
助 け を 呼 ん で い る の は 誰 ?
-END-
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君と僕の12のお題のお題「僕は君を救えない」より。
ゼロディ前提でロクディでした。最初に出したものよりもかなり加筆修正しました。
このロックはかなりの腹黒いですね;
(2007/10/12)
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