+++ 変われるもの変わらぬもの +++
あの日に見た双眸は、暗く寂しい色を湛えていたと思う。
戦に立つ姿はしゃんとしていて、ぎらつく視線はまるで見えない未来を射抜くように鋭かった。
なのに。
夢を語った彼は、とてもじゃないが哀しそうだった。
それは叶わないのだと最初から諦めている。諦めることしかできなかった自分を、惨めな奴だと罵っているような。
それが何故なのか、知らなくて。知ってしまった後はただただ悔しかった。
「王手」
ぱちん、と将棋盤の上で駒を置いた音が響いた。
金と角に狙われた自分の王将を見て、シュウトがしばし唸った。
これで三回勝負目。一勝一敗だった均衡が破れた。
「わたくしの二勝ですわね」
取った歩を元の位置に戻しながら、リリ姫がにっこりと微笑んだ。
習い始めの頃はルールを尋ねながらたどたどしく指していたが、今ではシュウトと五分五分の強さになっていた。
勿論シュウトも練習を重ねていたが、ラクロアに帰ってからの数日、リリ姫は騎馬王丸と一時期指していた経験がある。
悔しそうに駒を並べるシュウトを、彼女は楽しげに見つめていた。
「やったブッシー、姫の勝ちブッシ」
「シュ、シュウト頑張るザコー! 負けたらザコ達がお屋敷掃除をすることになるザコ!」
客間から続く庭に集まっていたギャラリーが、対照的に声を上げた。
泣き出しそうなザコソルジャー達にシュウトは一応謝っておいた。
庭にはいつかの大きな将棋盤が立ち、彼らはそれを仰ぎ見て戦局を見守っていた。
それが何故か賭けの対象になっていて、リリ姫が勝てばザコソルジャー達が、シュウトが勝てばザコブッシ達が、掃除当番に回らされるらしい。
「大賑わいだな」
笠と緑色の頭に埋め尽くされている庭に苦笑しながら、騎馬王丸が客間にやってきた。
簡単に挨拶を終えると、彼は申し訳無さそうに目を伏せた。
「すまんな。元騎丸の奴、昨日の分の仕事をさぼっていてな。今、必死に終わらせている」
「ううん。大変なんでしょ。騎馬王丸はいいの?」
「休憩してこいと追い出された」
はは、と軽く笑い、騎馬王丸は座布団に腰掛けた。そうして盤上を挟む二人を眺め、何かに気付いた。
首を傾げたシュウトは、リリ姫の顔を見て、それから再び騎馬王丸へ視線を移す。
「しばらく見ないうちに成長したな、二人とも」
昔を懐かしむような眼差しに、シュウトははっとする。
哀愁の念の篭ったそれには確かな喜色が露わとなっている。
それは、夏の日差しのように己を主張するものではなかったけれど。まるで、静かに寄り添ってくれる冬の木漏れ日のような温かさがあるのだ。
シュウトは騎馬王丸の方へと盤を押しやった。
それに気付き、リリ姫は席を移動した。
「ほら、あの時の約束。僕だって少しは強くなったんだよ」
一瞬だけ目を見張った騎馬王丸だったが、目を伏せて大きく頷いた。
将棋を打つこの音だけは、あの頃と何も変わらない。
満ちている空気は涼しく通り抜け、賑やかな笑い声が飛び交い、殺気立つものは何もない。
シュウトは騎馬王丸の顔をちらりと見た。
そこにいるのは、どこでも見かける優しい父親の姿だった。
「騎馬王丸様に賭けたのはこっちザコ」
「違うブッシ! ブッシ達だブッシー」
対局が終わった後、庭では小さな揉め事が起こっている。
呆れながらそれを見て、シュウトは諌めようと口を開いた。そこへ。
「こらぁ! お前たち、掃除を始めていろと言っただろう! さっさと取りかかれぇい!」
轟音のような響きが廊下の奥から怒鳴り上がった。驚き飛び上がったギャラリー達は一斉に散っていった。
残ったのは声の主。爆覇丸が一人。
唖然としてそれを見ていた三人は、顔を赤くして息を吐く爆覇丸に吹き出してしまった。
「爆覇丸、客人の前でそれはないだろーが」
爆覇丸の後ろから、ひょっこり元気丸が顔を出す。その後ろにはさらに他の騎馬王衆が呆れ果てた様子で、顔を抑えている。
客間から覗いている騎馬王丸達に気付き、爆覇丸は慌てた様子で頭を下げていた。それがさらにおかしくて、シュウトとリリ姫は声を立てて笑った。
「これから大掃除なの? 手伝おうか、皆でやった方が早く終わるよ」
「えっ? いいのか?」
「折角ですもの。わたくしにもできることがあれば言ってくださいな」
申し出は快く了承され、客間の障子はそっと閉められた。
-Happy St. Valentine's Day!-
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仕事の合間に語り合う。そんな感じで書いてみました。
騎馬王丸の本音を聞けたシュウト君と姫は、結構貴重な存在だと思います。
それを聞いたからこそ、天宮の顛末は丸く治まったようにも見えますね……。
(2005/02/27)
バレンタイン企画でのお持ち帰りは終了しております。ありがとうございました!(03/08)
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