+++ 雪見酒 +++



 夜も更けて。
 一段と底冷えする空気の中、屋敷の縁側をそろりと歩く人影があった。
 まだ子供といって差し支えの無い二人の少年が、辺りを注意深く見回しながら歩を進めていた。

 きんと張り詰めた冷気が頬を突き刺していく。
 日中は威勢の良い掛け声が響き渡る庭も、水を打ったように静まり返っている。
 いくら手に提灯を携えていても、蝋燭一つでは心細い。
 しかし月明かりとそれを反射する一面の雪が、通路を照らしてくれているので、さほど不自由さは感じられなかった。

「く、くく孔雀丸! やっぱり止めよう!」

 へっぴり腰な弱音を吐いたのは、提灯を持った少年の後ろを恐々とついてきた爆熱丸だった。
 終始辺りを窺う挙動不審な様子に、呼び止められた相手は呆れながら振り返る。

「お前が提案したんだろう。今更引き返すのか?」

 やれやれと首を振って、孔雀丸はさらに奥へと行ってしまう。
 灯りが遠のき、爆熱丸は顔を引き攣らせた。薄ら寒さが背中を這いずり、不気味な悪寒で鳥肌が立った。
 視界の先の背中は廊下を曲がろうとしていた。取り残されることに恐怖を覚え、爆熱丸は慌てて兄弟子を追いかけていった。


 さらに慎重な足取りになった二人は、音を立てないように土間へと続く障子を引いた。
 閉じる際には勿論、見咎められないように周囲を確認した。
 そうして炊事場に火を移したところで、やっと安堵の息が零れた。

「で? どこの棚にあったんだ?」

 板張りの床に腰を下ろし、孔雀丸が壁際の食器棚を見上げた。
 幾分か明るくなり、爆熱丸もいつもの調子を戻したようで、早速棚の中を物色し始めている。先程まであんなに怖気づいていたのが嘘のようだ。
 逆に、漁り方が乱雑すぎるものだからばれないかと孔雀丸の方が冷や冷やしていた。

「暗くて見えない。孔雀丸、提灯貸して」
「さっさとしろよ。肝が冷える」

 提灯から手を放し、孔雀丸は玄関から持ってきた自分と爆熱丸の雪駄を土間に置いた。
 それから適当に立て掛けてある傘に手を伸ばすが、底が抜けていて仕えそうに無い。
 雪駄を履いた孔雀丸は、裏口の扉を少し開けた。
 縁側を通ってきた際にはまだ雪が降っていたが、かなり小降りになっている。すぐに止みそうだった。

 部屋に入ってきた冷気に身震いをし、一旦扉は閉める。
 爆熱丸の方を見れば、どうやらお目当ての物が見つかったらしく手招きしていた。

「ほーら見間違いじゃなかったぞっ」

 得意気に押し出されたのは、白い陶器。中からは液体の波打つ音が聞こえてきた。
 頷いた孔雀丸は、同じ棚に手を突っ込んでみた。案の定、升がある。
 爆熱丸が雪駄を履いたことを確認し、孔雀丸は升と提灯を持って外へ出た。

「師匠、あれでいて結構舌は肥えているからな。うまいと思うぞ!」
「飲んでもいないうちからそうはしゃぐな。あ、あそこなら大丈夫そうだ」

 歩くたびにたぷりと揺れる酒に、爆熱丸は心躍らされた。諌めるような孔雀丸も待ちきれないのか、陶器を楽しげに眺めている。
 二人の前に見えてきたのは蔵の出入り口だった。屋根もある。石畳の上ならば濡れる心配も無い。
 顔を見合わせてにっと笑った子供達は、とたとたと雪駄を鳴らして駆けて行った。


 石畳に腰を掛け、さっそく酒の封を切る。途端に甘辛い匂いが湧き上がった。
 互いに升を片手に注ぎ合い、揃ったところで乾杯をする。

 爆熱丸が意気込んでまず一杯口に含んだ。
 途端、大きな目をさらに開き、眉間に皺が寄った。
 味わったこともない感覚をどうにかやり過ごそう飲み込むものの、焼け付くような喉越しに涙が浮かんだ。
 顔色を青くさせながら、やっとのことで胃に収まった。

 少年の百面相に声を立てて笑い、孔雀丸も升を傾ける。
 液体が舌に触れた時だけは思わず瞬きを繰り返したが、その後は平然としていた。
 それを隣で見ていた爆熱丸は、自分の升を睨みつけた。

「あんまりうまくない……」
「飲んでいるだけだからじゃないか。師匠が言っていただろう。酒は嗜みだって」

 項垂れる爆熱丸に微笑み、孔雀丸は眼前に広がっている銀世界を指し示す。
 粉雪がほろりほろりと降り積もる庭先は、月夜の下で控えめに輝きを放っている。隅の松の木が白い帽子を被り、母屋の屋根からは透明な氷柱が雫を落としていた。
 時折吹くそよ風は身を竦ませるものの、細かな雪をさらに霧散させて美しく煌いた。

 自然が生み出したその光景に、しばし見惚れた二人は、そっと杯を重ねた。
 今度は爆熱丸も騒ぎ立てることは無かった。
 ほろ苦い甘味にうっとりとしながら、いまだに雪が降り続ける暗い空を見上げる。

「ちょっとは大人に近づけたかな。強くなれるかな」

 独白のような呟きに、隣の少年は微かに――けれど確かに頷いた。

「……うん。早く、天宮を平和にしたいな」

 そう言って、同じように孔雀丸も夜の天を仰ぐ。
 刃を思い出させる銀月が、煌々と光を放っていた。




「戻ってこないと思っていたら」

 雪の止んだ庭に出た覇王丸は、弟子達を見つけるなり苦笑いを浮かべる。
 夜遅くまで起きていたことのない二人は、仲良く身を寄せ合いあどけない寝顔を見せている。
 傍に置かれている升と陶器に少しだけ眉を寄せたものの、量は殆ど減っていない。二口、三口程度しか飲めなかったのだろう。

 近頃、早く一人前になりたいと爆熱丸はよくせっついていた。
 孔雀丸も言葉にはしなかったが、時々子供である自分に苛立っている様子も窺えた。
 二人がこうやって、自分が飲んでいる酒に手を出したのも、そういった気持ちの表れだったのだろう。

「高い物だったが……まあ、構わないな。お前たちの意志、しかと見せてもらったぞ」

 視線の先にある酒を見ながら、覇王丸は持ち出してきた毛布に二人を包んだ。
 孔雀丸を背に、爆熱丸を前に抱え、静かに屋敷の中へと戻っていく。
 触れた温かさに反応したのか、子供達は安心したかのように笑った。




 次の朝、いつの間にか部屋に戻っていることに二人は心底驚いた。
 ばれたのかとしどろもどろになるものの、朝食の際には覇王丸は何も言ってこなかった。
 そうして、ほっとしたのも束の間。

「次、素振り千回! 声を出せ、声を!」

 いつも以上に厳しい鍛錬に、やはり筒抜けだったのだと二人は実感した。










 -Happy St. Valentine's Day!-




---------------------------------------------------------
リクエスト頂きました「孔雀丸+爆熱丸」なお話でした。
プレゼントは……師匠から二人への高級酒?
子供の頃って大人の行動にすごく興味関心がいきますよね;
(2005/02/22)

バレンタイン企画でのお持ち帰りは終了しております。ありがとうございました!(03/08)



←←←Back