+++ コイグレア +++
この日、自室から出てきたゼロは、王宮ですれ違う誰もが落ち着かないことに気が付いた。
ラクロアの暦だと、所謂今日はバレンタインの日である。
しかし、王や魔術師たちまでそろってそわそわとしている光景には首を傾げる。
中央通路を抜けて親衛隊の屯所まで歩いていけば、見知った友人たちの姿があった。
「おはようございます、ゼロ。よく眠れました?」
「おはよう、ロック。いつも早いな」
出迎えて真っ先に挨拶をくれるのは常にロックだった。
これはゼロに限らず、他の者でも同じだ。彼は隊長らしく勤勉で穏やかな気質なのだ。
屯所に視線を巡らせると、夜勤だったナタクの姿がまず目に入った。
ソファーにだらしなく寝そべる彼は、いかにも疲労困憊といった様子だった。毛布はロックがかけたのだろう。
「……美しくないな」
「まぁまぁ。さっきまで警護していたのですから、勘弁してあげて下さいよ」
静かに椅子に座っていたバトールも、静かに同意した。
「ところでディードの姿がないな。もう出たのか?」
ゼロは部屋を見回し、ここにはいない親友を探した。
するとロックが笑いを噛み締めたような顔付きになり、ゼロが入ってきた扉に向かって指を差した。
「姫に呼び出しをくらって、足取り軽やかに行っちゃいましたよ」
「? 何だ、警護の仕事か?」
首を傾げて尋ねてくる新米の隊員に、ロックはそういえばと気が付いた。
「ゼロは、城勤めになってから初めてのバレンタインですものね」
話題の人物は常の冷静な顔付きをしてはいたが、内面ではかなり浮ついた気持ちだった。
彼が今立っているところは、恐れ多くもラクロア王位継承者の私室の前。
先程、リリ姫から呼ばれたディードはこうして小一時間ほどじっとしていた。
「少し待っていて下さいな」
そう言って微笑まれたディードは、「ええ、半日でも一週間でも待ちますとも!」と感激の涙を流しながら――勿論、あくまで胸の内でだが――力強く頷いた。
女性の準備というのはとにかく長い。
数人の侍女を伴い部屋に篭った姫は、今頃召し物を変えて、今年も国中に配るプレゼントを包んでいるに違いない。
彼女がせっせとリボンを結ぶ様子を思い浮かべるだけで、ディードは幸せな気分になった。
本日は、ラクロアの祭日である。
何やら日々の感謝を込めて、親しい者たちへ贈り物をするらしい。
隣国生まれのディードを始め、異国の者である親衛隊らには馴染みが薄かった。城下に下りることもたまのことで、現に彼は最近までそういった風習を知らなかった。
昨年は色々とごたごたしていたおかげで祭日どころではなく、新たに加わったラクロア出身の騎士によって、ディードは初めて祭日の存在を認識した。
侍女から聞けば、姫は毎年城の者や町の人々全員に贈っているのだという。
優しい方だと思う反面、ディードは呆然としていた。
自分は、貰ったことなぞなかったはずだが。
というか親衛隊で、過去に頂いた者がいただろうか?
「お待たせしました……ディード? 行きましょう」
「え、あ、はい!」
ひょいと顔を出した姫から慌てて顔を逸らし、ディードは歩き出そうとした。
そこへ、軽やかな声がかかった。
「ディード、持っていて下さいね」
何を、と尋ねる前に、騎士の腕の中には大量の包みが乗せられていく。
積み重なっていくそれはやがてピンク色の巨山となり、視界を全て覆ってしまった。片寄った重心により、足元はおぼつかない。
内心で冷や汗を垂らしながら、ディードは自分の横を颯爽と歩き出した主君を追った。
「ひ、姫、これは」
「さあ、参りますわよ。早くしなければ日が暮れてしまいます」
振り向いた姫は爽やかに微笑む。
頼られて嬉しいはずなのだが、長年で培われた第六感が嫌な気配を感知していた。
ラクロアの王女は気安い方で、民から好かれている。
騎士としても、誇りに思うことだ。
だがそれとこれとは、別なのだ。
人々に囲まれ、リリ姫は山から次々と包みを取り出し、一人一人に手渡ししている。
その度に敬われ、握手を求められ、温かな光景が広がる。しかし、傍らでそれを黙って見ているディードにとっては拷問のような時間である。
特に男性に渡すときは、心の中で何度も絶叫をしていた。
城へと帰ってきたときには、ディードの精根は真っ白になりかけていた。
「あらディード? 疲れたのかしら」
「いいえ。平気です。城内の者にも配るのでしょう。お手伝いさせていただきますよ」
顔を覗き込まれて心配されてしまい、ディードは背筋をぴっと伸ばした。
たったこれだけで疲れが癒されるのは、惚れた弱みというか。現金だというか。
自信満々に胸を叩かれ、姫は笑う。可愛らしい横顔に見惚れたが、それも一瞬のことだった。
どさっと言う音が一番似合うほど、先程と似たような量の山が再びディードの腕に乗せられた。
遠い異国の島国、天宮にはこれと良く似た拷問法があったなと、だんだん遠のく意識の中で思い出す。あれは確か、腕ではなくて膝の上に重石を乗せる――……。
「ディード、お疲れ様でした」
「はい……いえ、これくらいどうということではありません。騎士たる務めでございます……」
夕陽でンンのプリズムが朱色に染まる頃、手甲の下に痺れた腕を隠す氷刃の騎士の姿があった。
午前中は城下町の人々、午後は城内の者たちに――門番から衛兵、王に魔術師たち、侍女に料理人に、何と伝書用の鳥にまで――プレゼントを渡し歩いた姫は、さすがに疲れていたようだったがとても満足気であった。
そんな彼女の後ろにひたすらついて回ったディードが泣き言を吐くわけも無く、一日中一緒だったのだから、と自分をひたすら慰めた。
「では、わたくしはお父様に呼ばれていますので」
「……はい。失礼致します」
軽く会釈し、マントを翻したディードは肩を落とさずにはいられなかった。
本音から言えば、貰えないかとかなり期待していたのだが、彼女は今年もディードにはプレゼントを与えなかった。
忘れているわけではあるまいし、意図して作らないのだろうか。
それとも身辺警護の親衛隊であるから、そんなものをあげなくとも信頼しているという現われなのだろうか。
暗い気分を抱えながら一歩踏み出したディード。その背後から、天使の福音が突然鳴り響いた。
「今日はありがとう。親衛隊の屯所に私から皆へのプレゼントを贈っておきましたので、後で見なさい」
どこぞの嵐の騎士の如く、ディードは高鳴る気持ちを躍らせながら廊下を走る。
腕の痺れや足の痛みなど気にならない。憧れの対象ともなった物が、自分の手元にあるのだと思うと弛む口元が押さえきれない。
やがて、朝から出て行ったきりだった屯所の扉が目に入る。
古びた木製のそれは、ディードにとってまるで幸せのゴール地点のように輝いて見えた。
開いた先にあったのは。
空の純白の箱。あからさまに使用済みの皿が四つ。クリームが付着している銀のナイフ。それからフォーク。
満ち足りた表情を浮かべているナタクとゼロ。申し訳無さそうに思いつつも、不気味に微笑みながら紅茶を啜るロック。そして、フォークに刺さった最後の一欠けらを、今まさに口に入れたバトールの姿が。
「お帰り、ディード。悪いとは思ったのだが、出て行ったすぐ後に届いてな」
「鮮度が落ちる前に食べようという、隊長の命令だ」
「……美味かったぞ。さすが姫が料理長にお願いしたものだけはあるな」
「ごめんなさいディード。でも毎年お茶の時間には貴方がいないもので」
ああ、つまり。
ディードはこの時やっと理解した。
そして今度こそ、目の前が真っ白に染まっていく感覚を味わった。
自分のプレゼントは、こうしていつも消失していたのだ。
-Happy St. Valentine's Day…?-
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リクエスト、ディードとリリ姫でございました。親衛隊出張り過ぎですね;
親衛隊の兄貴は不幸で何ぼだと勝手に思っています(笑)
この小説はお持ち帰り自由でございます。
よろしければ、管理人からのバレンタインプレゼントだと思って貰ってやって下さい;
それではリクエストありがとうございました!
(2005/02/14)
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