「さて困りましたね、騎馬王丸?」

 そう言いながらさして困った様子も無く笑っているディードの横顔を眺め、騎馬王丸は再び正面を向く。
 眉間に皺を寄せた表情は硬い。
 しかし長く付き合った者であれば、それが悩み事を抱えている顔だとすぐに分かる。

 だからこそ騎馬王丸は何も言わなかった。
 意地の悪そうな笑みを浮かべるディードもまた、同じく思考を張り巡らせているのだと知っているから。

「国に帰っていたことを悪くは思わんが……やはり間に合わなんだ」
「あまり気を落とさないで下さいよ。マドナッグはうまくやったようですしね」

 深く息をついた騎馬王丸は、懐に収めていた一通の手紙を取り出した。同じ物をディードも持っている。

「しかし貰うだけ貰っておくのも性に合わんだろう」
「勿論ですよ。たまには気が合いますねぇ?」

 顔を見合わせた二人は、小さく笑った。



=== A r c o b a l e n o ===




 草原の一軒家では、今日も調子外れなオルゴールが鳴っていた。
 ナナは楽しそうにそれを何度も何度も聞いていた。
 先月のバレンタインに、マドナッグから贈られた物だ。嬉しくて堪らなく、時間が空くとついついネジを回してしまう。

「また聞いているのか、ナナ?」

 少々呆れ顔になりながらも、照れ臭げにマドナッグはオルゴールを覗き込む。
 こういった工芸品を作るのには慣れていなかった為、さすがのマドナッグも手こずった。数日間部屋に篭ったまま、作業に没頭してしまっていたため、基地の人々には随分と心配された。

 そうやって出来た物が、始めて音を鳴らしたときは思わず笑みが零れた。
 受け取ったナナの笑顔を見たときなど、苦労が全て吹き飛んでしまった。
 今もこうやって聞いてくれるのが嬉しかったのだが、くすぐったい感情をマドナッグは素直に表せずにいる。

「えっへへー! これはナナの大事な宝物だもん!」

 ナナもそれが分かっているからこそ、始終ニコニコと晴れやかな笑みを浮かべている。
 傍から見ると怒っているような彼の態度は、その実はとても優しいものなのだと理解しているからこそだ。


 そんなオルゴールの音に耳を貸しながら、マドナッグはナナのお絵描きに付き合っていた。
 クレヨンで描かれる、子供らしい生き生きとした世界観を彼はとても真剣に見ていた。

「これは?」
「こっちがママ。あっちがパパ。これがナナとおにーちゃん」

 時々、疑問を覚えたマドナッグが絵を指差せば、ナナが自慢げにそれを話す。逆に描こうと思ったものがうまく想像できないとナナが言えば、マドナッグが差し当たりの無い手助けをしてやった。

 しばらくそうやって過ごしていたが、最後に描き終えた絵を見てマドナッグが目を丸くした。
 ナナは満足そうに紙を持ち上げ、一つ一つ指して説明を始めた。

「こっちがマドちゃんでしょ。こっちはディードさん。それからきばおーまるのおじちゃん」

 楽しそうに笑う三人とナナが草原の上に立っていた。
 真っ青な空が背後に広がり、舞い上がった草の葉が白い雲と対成すように彩られている。
 その中央には、ここからでも遠景に見えるネオトピアのシンボルタワーが、特徴を捉えて良く描かれていた。

 しかし、マドナッグが驚いたのはそれだけではなかった。

 シンボルタワーの上には、綺麗な一つの弧があった。
 七つの色を配色されたそれは、脳内に刷り込まれている情報とすぐに照らし合わせることができる。

「これは虹か?」

 小首を傾げたマドナッグに、愛想良く肯定の返事が返ってくる。
 光のスペクトルの作用は知っていた。しかし人間が虹と呼ぶ、雨上がりの奇跡を彼はいまだ見たことがなかった。

「ナナも見たことないけど、絵本にあったの。カラフルですごくキレイだったなぁ」

 うっとりするようにナナは紙上の虹を見つめる。
 マドナッグは、女の子は綺麗だったり可愛かったりするものが好きなのだと、前にシュウトに教わったことをぼんやりと思い出した。






 基地に帰ったマドナッグは、デッキで何やら瞑想しているディードの姿を目に留めた。
 かなり集中しているのか、彼の周りにはマナが集まっているような不思議な気配がする。

「ああ、帰ったのか」
「騎馬王丸」

 声を掛けようかと迷っているとき、後ろから呼ばれてマドナッグは振り向いた。顎に手を当てて、何か考え事をしている様子の騎馬王丸がそこにいた。
 彼とディードを見比べ、マドナッグは怪訝な顔をする。

「何か問題でもあったのか?」
「いや……少しな」

 騎馬王丸は肩を竦めて、言葉を濁す。

「ナナは何か欲しい物や見たい物があると言っていなかったか?」

 むっとしたような顔付きの騎馬王丸に一瞬身を引くものの、マドナッグは彼の真剣さにいつもの文句も言えようがない。

 ディードといい、彼といい、本当に何かあったのではないかと少しだけ心配に思う。
 けれどその問題の中心がナナだということで、何故だかマドナッグは納得してしまう。
 きっと自分が彼女に対して必死なときは、二人ともこんな風に自分を見ているのだと思うと不思議な感じがした。

「別に欲しい物はないようだったが――……ああ」

 ぽんと手を叩き、閃いた様子のマドナッグに、騎馬王丸は勢い良く問い詰める。
 どこぞの馬鹿武者に似てきたな、と心の中で感慨深く思いつつ、先程の地上での会話を掻い摘んで話してやった。

 すると騎馬王丸は一瞬目を見張った。
 何か変なことでもいっただろうかと不安になる間もなく、突然デッキの方へと駆けて行った。
 残されたマドナッグは、唖然としながらも成り行きを見守った。



「虹、ですか?」

 騎馬王丸はさっそくディードに話を持ちかけてみた。
 何か良い物が浮かんだのかと思って耳を貸していたディードは、相手から似合わない単語が飛び出して少しだけ驚いた。
 そうして振り向いた先にマドナッグの姿を見止めた為、納得がいったように頷く。

「晴れるのならば可能ですけれど……」

 二人はほぼ同時に視線を横へ向けた。
 夕空には徐々に雲が増え始めている。このままで行けば、明日は曇り、もしくは雨となるだろう。

「朝雨が少しだけ降って、すぐに止めば見れるのだがな」

 遠くに見える黒雲を見つめながら、騎馬王丸は苦笑した。
 マドナッグ辺りならば降水確率なりをすぐに弾き出せるだろうが、多分それは限りなく百に近いだろう。

 ディードは指を鳴らした。何度も読んで角が歪んでしまった手紙が、手中に現れる。
 送り主の名前の後に書かれていた日付は、明日でちょうど一ヶ月前のもの。
 それを確かめ、丁寧に手紙を封筒に戻すと、ディードは騎馬王丸の背中を思い切り叩いた。
 両目を白黒させた騎馬王丸が、慌てて振り返った。目を細めて静かに笑うディードは、基地の方へと踵を返した。

「悲観的に思っていると本当に雨が降りますよ」
「叩くことはないだろうがっ! おい、マドナッグ。明日は晴れるか?」

 口々に言い合いながら戻ってきた二人にマドナッグはきょとんとしていた。
 普段ならば反りが合わずに文句や嫌味の一つや二つ言い合い始める頃だが、今回はなりを潜めている。
 それがまたおかしくて、マドナッグは微かに笑う。

「確率は18%。雨天はほぼ確実だな」

 思わず俯いてしまった騎馬王丸は、先程のディードの言葉を思い出した。
 その真意は、覆そうと思う気持ちがなければ、覆せるものも覆せないということ。
 騎馬王丸は背筋をしゃんと伸ばし、自分が出来ることを考えた。

 そうして一つ思い付く。

「仕方がない。あとは運任せだ。明朝、晴れていれば賜物だと笑え」

 早口で言い残し、騎馬王丸は基地内の仮住まいへと足早に戻っていった。

「私には一向に話が見えないのだが」

 武者を見送りつつ、マドナッグが呟いた。
 相変わらず薄い微笑みを浮かべたままのディードは、肩を竦めた。





 次の朝。
 何気なく窓の外を眺めたマドナッグは、驚きのあまり瞬きを繰り返した。

 綿飴のような雲が所々に広がる空は、青かった。

「……今日の降水確率は……」

 口ずさんでみても虚しいだけだ。計算するまでもない。
 今日は晴れだ。
 しっかりと己に認識させた後、扉が軽やかにノックされた。

「どうだ笑ったか、マドナッグ?」
「騎馬王丸……」

 上機嫌な騎馬王丸が、白い物を片手に持って立っていた。
 指の下でぶらぶら揺れるそれは、マドナッグにとっては見慣れない物。
 訝しげな視線に気付いたのか、騎馬王丸がそれを持ち上げて見せてくれた。

「照る照る坊主だ。効き目があったな」
「テルテル……坊主?」

 疑問符を頭の上で並べるマドナッグを余所に、騎馬王丸は話を続ける。

「ディードはもう行った。俺は市長殿に断りを入れてくるから、お前はナナの所へ行け」

 ひらひらと片手を振りながら、騎馬王丸は歩き出した。
 一片に色々な事を見聞きしたマドナッグは頭の中を整理しながら、黙って頷く。
 去り際に騎馬王丸は、ナナへの言付けをしておけと笑った。

「これが俺とディードからのお返しだ、とな」

 それを聞くなり、ようやくマドナッグは合点がいった。
 何故二人は悩んでいたのか。何故ナナが欲しがっている物を訊かれたのか。
 ――今日が一体何の日なのかを。


 マドナッグは基地から出る際に、シンボルタワーを横切った。
 案の定、そこには暗色の鎧を着込んだ騎士が一人立っている。休日の午前は人の姿も疎らで、ディードは遠くからでも目立っていた。
 すれ違う瞬間に目が合うと、彼は満足そうに空を見上げた。

「騎馬王丸もやるときはやりますよね」

 含み笑いの混じった声が、耳を掠めたような気がしてマドナッグは見返した。
 もう一度見たときには、ディードは既に瞳を閉じて詠唱を始めていた。
 七曜万象に宿りし、マナの力を借りるため。




 ナナの家を訪ねたマドナッグは、彼女を連れてネオトピアを一望できる丘にやってきた。
 陽光に輝く、眩しいシンボルタワーの外壁が清々しい空の色によく映える。
 マドナッグに肩車をされたまま、ナナはじっとその景観を見つめていた。
 まだ少しだけ眠いのか、瞼を何度か擦っていた。

「良く見ておけ。騎馬王丸とディードから、お前への贈り物だ」

 微かに笑い、マドナッグは指でシンボルタワーを指し示した。


「あ……」

 ナナは思わず声を失う。
 そこにあったのは、彼女が描いた風景と同じもの。
 光の虹彩が作り出した小さいながらも美しい、空に浮かぶ橋が架かっていた。


「ナナの絵と同じ……。あれが虹なの?」
「そうだな。私も本物は始めて見た。ナナが言っていた通り、とても綺麗だ」

 満足そうなマドナッグの頭を、ナナの小さい手がぎゅっと押さえた。
 ぽかんと開いたままだった口元が、ゆるゆると微笑みの形を象る。逆様にした虹のような弧を。


「どうやら気に入ってもらえたようだな」

 丘の上で二人以外の声が響き渡った。
 虹に見入っていたナナとマドナッグは、それが誰のものか知っている。
 かちゃりと音を立てる二つの鎧の音。虹を架けた張本人達が、丘に上がってきたのだ。

「久々でしたね、あれだけの大事業は」
「たまには全力を出さなければそのうち腑抜けになるぞ」
「おやおや騎馬王丸。貴方だって随分久しぶりに作ったのではないですか、テルテルボウズ」
「な、何で知っているのだ貴様!」

 そこで交わされるのはいつもの小突き合い。
 何かを言えば、ディードが揚げ足を取る。騎馬王丸は顔を紅潮させながら、反論を言い放つ。
 変わらない日常の風景。
 マドナッグはナナと顔を見合わせて、思わず笑顔を浮かべた。

 少女が描いた穏やかな世界。それは夢想などではなく、確かにここにある。
 青空の下で楽しそうに笑い合う四人。その後ろには大きな塔と、見事な虹。澄み渡った朝の空気の中、丘の草が風に舞った。

 そして草原を撫でていった風は、遠く雲の中の基地にまでそよいでいく。

 優しい温もりを残した少し冷たい南風は、開いたままの窓辺まで届いた。
 カーテンの代わりに障子が据えられたその部屋を吹き抜けていく。
 途中、何かが小さく揺れた。

 そこにあったのは、仲良く並んで笑うたくさんのテルテル坊主だった。






 -END-




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あれよあれよと長くなってしまいました;すいません…。
一応、バレンタインのマド+ナナ話から一ヵ月後です。
あの後、ちゃんとナナは他の二人にも手紙を上げていたということになっています。
虹を作ったのはディード、晴れさせたのは騎馬王丸、きっかけを作ったのはマドナッグ。
凸凹ながらも互いを補い合う存在でいて欲しいなぁ、という感じで。仲良しだ……;
(2005/03/13)


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