「お前の正義は何だ」
ゼロは剣を握り締めたまま、横目でナタクの顔を見た。
彼も同じように真っ直ぐ正面を向いたままだったが、その静かな言葉は確かにゼロへと投げかけられていた。
「私の、正義?」
混戦の最中、突然の問いかけにゼロは戸惑った。
後に嵐の反乱と呼ばれるこの戦いで、彼らは先程出会ったばかりだった。背中を庇い合える味方同士ではあるが、内面を知り得る程に互いを知らない。
それでもナタクは、再び問いを繰り返した。
まるで試すかのように。
「お前だけの正義だ、翼の騎士よ」
その時の答えは、押し寄せる反乱軍よって遮られた。
ゼロは何か返事をすることも出来ず、そのままナタクと別れた。それからずっと、彼の言葉の意味を探している。
** それぞれの正義 **
昼下がりのラクロア城内。
親衛隊であるゼロとディードは、中庭のテーブルで一時の安らぎの時間を過ごしていた。
ゼロはティーカップを揺らしながら、つい十日ほど前のことを思い出していた。
まだ国は戦いの後始末に見舞われていて、ここしばらくは激務に追われ続けていた。
昨日からやっと暇が空くようになり、今もこうしてささやかな茶会が開けたわけだ。
すると、忙しさから解放されたゼロはあの日の言葉を思い出すようになった。
己の正義とは何なのか。
ナタクが何故、それを知ろうとしたのか。
自分らしい答えは、まだ見つかっていない。
「また何か悩み事か?」
ディードの声にはっと顔を上げる。
この騎士は本当に聡い。ラクロアに帰ってきて日の浅いゼロを何かと気にし、こうしてさり気無く聞いてくる。
「心配性だな、ディード」
「そうでもないと思うが。大方、ナタク辺りに質問されたことだろう? お前の正義は何だ、と」
謙遜気味に笑うディードは、それでも的確にゼロの考えていることを見通してきた。
呆気に取られたゼロは、青い瞳を丸くした。
「ナタクに始めて会った時に聞かれる事だ。剣を持つ者は、必ずな」
「ディードは、どう答えた?」
そうなのか、と思いながらゼロはディードに尋ねた。
ディードはロックやバトールと同様に古株の騎士である。ナタクとも随分付き合いが長いはずだ。
彼は一口紅茶を飲んで、一拍置いてから口を開いた。
「自分の大切なものを守り抜くこと。そのためならば、どんなことでも手段を選ばない。私自身が存在することのできる全てを、私は失いたくない」
穏やかに目を細め、ディードはゼロを見つめ返した。
真摯な言葉は心の何処かに染み入るようで、それは彼であるがままの答えなのだろうと窺い知れる。
何も言えずに黙ったゼロにディードは笑いかけ、空を見上げた。
彼もまた思い出す。
初めてナタクに出会った時のことを。
「ナタクは笑ったよ。馬鹿正直な奴だって。でも、気に入ってもらえたみたいだ」
ゼロはじっとカップの取っ手を握り締めたまま、再び赤茶色の液体を見下ろした。
ディードの答えは、騎士としての在り方そのものだった。
だがそれだけではない。言葉の裏に滲んでいるのは、強固であり、それでいて優しすぎるほどの慈愛が込められている意志。
気に入ったというナタクの気持ちは良く分かる。
同じようにゼロも、ディードのそういったところがとても好ましく思えているのだから。
しかし、自分にもそのような誰にも譲れない思いや成し遂げようと決めているものがあるだろうかと思うと、少しだけ羨望を彼に抱いてしまう。
正義についてはっきりと言い返せるようなものを、自分は持っているのだろうか。
「そんな顔をするな、ゼロ。ナタクが聞いたその意味、お前ならきっと分かるはずだ」
ディードはそう言って、微笑んだ。
「正義、ですか」
励ましを受けたものの、ゼロのわだかまりは解けずにいた。
偶然廊下で出会ったロックとバトールにも、彼はナタクの尋ねた正義について聞いた。
「凄かったですよね、ナタク。いきなり刃を向けて、お前の正義は何だって」
「ああ。あれは流石のロックも面食らっていたな」
二人は昔話を懐かしむように、顔を見合わせる。
「君達は何と答えたのだ?」
ゼロは自分には入り込めない境界線を感じながら、おずおずと二人に尋ねた。
ロックは苦笑している。バトールはいつもどおり表情を変えずに、ゼロのことを見ていた。
「聞いても貴方の助けにはなりませんよ。ナタクは、貴方の正義を聞きたいのですから」
「……それは、分かっている。だが、私には彼の言う正義が何なのか、まだ理解し切れていないのだ」
頭を垂れながら答えるゼロに、ロックは優しく言葉を投げかけた。
「では聞き方を変えた方がいいですね。貴方は、何のために旅をしてきたのですか?」
「それは、自分の見聞を広めるため、自分に何が出来るかを探すため。仕えるべき主を見出すこと――」
旅をしている時の自分を思い返しながら、ゼロの語尾は弱まっていった。
主は見つけた。この祖国であるラクロアとその王族。
すべきことはラクロアを未来永劫守りぬくこと。
けれど、そうして見つけたはずの目的だけでは埋まらない何かが自分の中に燻っている。
「では貴方はこれから何をするのですか?」
「ロック?」
小さな笑みを浮かべたまま、ロックは再度聞いてきた。
ゼロは思わず、彼の名を呼ぶ。
何故そんなことを聞くのか、訳が分からない。
親衛隊を任された騎士である以上は、国を、民を、主を見守り続けることが使命ではないかと。ゼロは隊長である彼を見返す。
けれどロックは、ただ静かに真剣な瞳で、ゼロを見つめていた。
「押し付けられた責務ではなく、お前自身の望むこと。それが自ずと答えに繋がる」
バトールは、困惑するゼロに呟いた。
ロックは黙ったまま頷いて、廊下の先を指差した。
「ナタクはあちらに行きました。言いたいことがあるならご自分で」
ナタクは城を出て、高台の上に一人で座り込んでいた。
一望できるラクロアの都。どこまでも続く、美しい森と草原。
今、自分のいる居場所を、ただ彼は眺め続けた。
「何か用か、翼の騎士」
その様子を見上げていたゼロは、呼びかけられて困ったように目を伏せた。
ナタクはまだゼロを認めていないのか、今まで名前で呼ばれたことはなかった。
「……先日の、ことなのだが」
高台からひらりと降り、ナタクはじっとゼロの言葉を待った。
無言のそれが促しているようにも思え、声がうまく発せられない。
「私は、友を慈しみ、国を愛し、君主を守りたい。だけどそれだけじゃないような気がする。私にはまだ、私だけの何かがあるように思える」
自分の正義は、いまだ見えない。そもそもそこに、正義という真理はあるのかと、信じきれずにいる。
だから、探し続けること。精霊の導くままに行く道の途中で、見つけてみせること。
それが精一杯だ、とゼロはナタクに返した。
ナタクは黙ったままだったが、ほのかに喜色が浮かんでいることにゼロは気付いた。
そんな顔を始めて見たゼロは驚いてしまう。
「――構わん。自分が正しいと思う道に行くこと。それが正義の定理だ」
ゼロは不意に、ディードの言っていた言葉を思い出した。
ナタクは正しい答えを求めてはいなかった。
ただ剣に宿される、ゼロの信念を知りたかったことなのだろう。
「正義とは、力だけでも心だけでも決して貫けるものではない。お前はそれを持ち得ながらも、探求を止めない。何故だと思う?」
ロックの、バトールの言葉もまた蘇る。
答えに繋がる、己の望むこと。
それは。
「迷い、悩みながらも、私が、私の信じられる何かを見出すこと。それが、私の……?」
「そうだ。それがお前の答えだ、ゼロ」
ナタクは笑った。初めて、ゼロの名を呼んで。
差し伸べられた手と砕けた顔を見比べ、翼の騎士は照れ臭げに自分の手を出した。
二人は固く握り合い、二人して笑い合った。
正義の在り方はまだ分からない。
けれど今は――。
-END-
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放送終了一周年記念企画にて、リクエスト頂きました。
親衛隊のお話。ゼロ自身は、本編での旅の最中に自身の道を見つけますので今はこんな感じ。
うちのゼロとナタクは悪友です。認めているけれど素直じゃない関係。
ちなみに作中のディードの正義は、察しの通りに後々屈折します…。
この小説はお持ち帰り自由です(3月10日まで)
(2006/01/08)
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