[ いつもと同じこの場所で ]




 大切だったモノがあった。


 けれど、それは今でも大事にしてもいいのだろうか。


 こんなにこの手は汚れてしまったというのに?






 ぼんやりとした瞳を這わせ、ディードは黙ったまま温くなった紅茶を口に含んだ。
 思い出が刻まれている円卓には、彼の他に三人が腰掛けている。
 親衛隊と呼ばれた彼等は、昔のように穏やかな表情を浮かべて楽しげに会話を続けている。
 “いつも”のように並べられた五人分の椅子は、一つだけ空いている。その席の主である翼の騎士は、現在異次元のどこかにいることだろう。
 そのことがディードをさらに憂鬱にさせている原因であった。

「どうしたんですか?」

 ロックが“いつもどおり”優しく問いかけてくる。
 ディードは慌てて首を振り、何でもないと小声で返事をした。
 それを不思議そうにバトールが見ていて、ナタクが心配そうに顔を覗き込んでくる。
 “いつも”と同じ仕草。
 変わらないそれにディードは目を伏せた。


 まるで薄布一枚隔てているような現実味の無さ。
 今までの出来事が白昼夢であったかのようで、余計にディードは居た堪れなさを感じる。

 世界を包んだ光の中、犠牲になっていた多くの騎士達は魔人の肉体から解放された。奇跡のような光景に、国の姫は大粒の涙を零していたという。
 かろうじて生きていたディードは、復活したラクロアに訪れた。
 生き返ったかつての仲間を目の当たりをして、安堵の気持ちが込み上げたことにディードは驚きを隠せなかった。
 あれだけの大罪を犯しながら何も手に入れることができなかったディードは、元通りになった国から再び出て行こうとした。
 厄介者の自分は、平和な世界に必要がないから。

 だから信じられなかったのだ。
 目の前にある、仲間の笑顔が。何も言わずに自分と共にいることを選んでくれた彼等が。
 ディードは疑心暗鬼に囚われ、そう思う自分にまた嫌悪した。

 どうして受け入れてくれたのだろう。

 闇の騎士となってから直接相対したことがあり、自らの願望を言い放ったことのあるゼロがいればまだ違ったかもしれない。
 聞きたくて聞けない言葉が、喉の辺りを上下する。
 息苦しさから目を背けたいがために、ディードは再びカップを傾けた。

「ディード、変わりませんよね」

 見守るようにそれを眺めていたロックが、ふいに言った。
 何がとディードが尋ねる前に、バトールが言葉を引き継いだ。

「言いたくても言えないことがあると、そうやって紅茶を飲んで無口になる」
「そうそう。冷めちゃって不味くなったもんでもさ、無理やり口の中に突っ込んでいるよな」

 ナタクが眉を寄せて、カップを指差した。
 “いつもどおり”だと知っているのは何も自分だけではないのだとディードは思い知った。確実に変わってしまった自分を、彼らは変わっていないと受け入れる。
 持っていた指が震えた。

「……どうして?」

 恐れ戦慄く口元は、今度こそ隠し切れなかった。
 怯えたような声音はだんだんと我を忘れて大きくなる。恐怖に、耐え切れなくなり全てが面に出てきてしまいそうだった。

「どうして私を受け入れる? 私はお前達を手酷いやり方で裏切ったというのに!」

 だんっ、とカップとソーサーがぶつかりあう音で、ディードは平静を取り戻した。
 手元を見れば、白い陶器にひびが入ってしまっている。
 じっとそれを眺めながら、ディードはのろのろと頭を垂れた。三人の顔をまともに見る勇気なぞ出るはずもなかった。

 きっと呆れている。
 折角何事もなかったように振舞っているのに、こうして蒸し返してくる自分に。

 ディードにはどうしても自分の居場所を感じられなかった。
 この感じは一度味わったことがある。
 誰にも言えない想いを抱いた時の、疎外感と同じだ。
 悲鳴を上げている心を押し隠す毎日。騙すことの哀しさと、叶わないことへの怒りで、負の感情が渦巻いていたあの頃のような。
 だからこそ二度と表面上だけの付き合いなど、ディードにできるはずもなかった。
 小さなひびがどれだけ大きな波紋を呼んだのか、彼自身が最もよく分かっている。

 だったら今すぐ切り離さなければ。
 この人達の幸せを、再び奪ってしまうことは耐えられない。


 押し黙るディードに何を思ったのか、ロックは深く溜息をついた。
 それだけで竦む肩にそっと手をかけて、言い聞かせるように静かに話し出す。

「ディード。私達こそ、貴方に酷いことをしたと思っています」
「!」

 意外な言葉にディードは顔を上げた。
 ロックもバトールもナタクも、ただ微笑んでいる。
 呆れた様子も起こった様子も微塵も感じない。むしろ喜色ばんでいる雰囲気さえ纏っていた。
 そんな三人をディードは迷子の子供のように見回した。

「ずっと一人で悩んでいたのに、私達は気付いてやれなかった。ディードが平気だというのならそうだろうと、勝手に判断していた」

 遠くを見るような目でロックは語る。
 時折、ディードの視線が何を探していたのか彼は知っていた。けれど深く言及したことは一度も無い。
 弱味を見せることがないと分かっていたのに、悩み傷付いていくディードに気付かなかった。

「ディードは強いから――頼ってばっかりだったから、俺達はそれに甘えすぎていたんだよな」

 ナタクの言葉に無言でバトールは頷く。ロックもまた同意を示した。

「謝るのは私達の方です。貴方を止めることも、助けることも、何もできなかった。だから一人で自分を責めることは、もう止めにしませんか?」

 ぽかんとしてディードはそれぞれの顔を見た。
 ナタク、バトール、最後にロックを。
 皮肉にも裏切った瞬間に、その身を切り裂いた順番と同じく。

 唯一ロックだけとは一瞬だけ視線を交わしていたディードは、彼が浮かべていた表情をよく覚えていた。
 闇色の鎌で切り裂かれながら、ロックは泣き笑いのような顔を見せた。自嘲のようなそれは、自らの運命を笑ったのか、裏切った仲間を嘲るものだったのか判断は付かなかった。
 けれど今思えば、それは嘆きを表していたのかもしれない。
 気付けなかった愚かな自分を、卑下にしたものだったのかもしれない。

「どうして受け入れるか聞いたな。これが、我等の答えだ」

 バトールが言うなり、三人は顔を見合わせて一層深く笑う。
 そして手をディードへと差し向けた。




「おかえり、ディード?」




 視界があっという間にぼやけてしまい、周りが見えなくなったけれど。
 ディードは確かに、その手の上に自らの手を重ねた。




「ただいま」





-END-




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リクエスト頂きました「親衛隊のお話」です。ゼロはいませんが;
生存設定です。生き返っています。いや、本当に。惜しい人たちを亡くしましたから…。
実際再会できたのならば、きちんと和解して欲しいです。
裏切り裏切られたとしても、根本的にはきっと嫌いにはなれないと思います。
天宮の人々のように手を取って生きて欲しいですね……。
(2005/06/29)


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