++ 影法師が見えない日 ++
城内にある親衛隊の詰め所では、いつものように静かな一時が過ぎていた。
優雅にカップを傾けながら、取りとめのない和やかな話を続けているのは隊長であるロック。
その親友であるバトールは、自分から話題を提供することはないが相槌をきちんと返している。
その二人の会話に加わることなく、ナタクは一人で先程からそわそわと入り口と窓辺を行ったり来たりしていた。
普段ならばここにいるはずの氷刃の騎士の姿は、今はない。
先日から任務を請け負い、国境辺りまで出向いているのだ。
それが、今日帰ってくる。
ロックは横目でナタクの様子を伺い、苦笑する。
ディードが不在の間、彼は鍛錬を一層積んでいた。出かける前の手合わせで負けたことが未だに屈辱なのだろう。今度こそ勝ってみせるという意気込みが感じられる。
分かりやすい態度に小さく笑ったロックは、西へ旅立っていった騎士の背中を思い出す。
そして彼に不服そうについていった、白い鎧の男の事も。
「帰ってきたみたいだ」
ナタクが窓の外を覗き込み、ほんの少しだけ嬉しそうに言った。
ロックとバトールは顔を見合わせ、共に席を立った。
薄暗く、何処か重々しい空気の漂う曇り空がラクロアを覆っていた。
城下へ続く広場とは逆位置の崖の麓。
ディードとトールギスは、そこで浮かせていた身体を地に着けた。
「色々と手間をかけてすまなかったな」
「ふん。これっきりだ」
申し訳ディードに、トールギスはそっぽを向いた。
照れ隠しのような言い回しに、ディードは声無く笑った。
しかし、彼はすぐに真剣な表情を浮かべた。切り替わりの早さに驚き、トールギスは思わず息を呑んだ。
「お前がいてくれて助かった。主に代わり、この氷刃の騎士、礼を言う」
丁寧でありながらも近寄りがたい気高さを漂わせ、ディードは作法通りの礼を贈る。
しかしそれは親衛隊として、王に仕える騎士としての礼でもあった。
途端にトールギスは、ディードが遠い場所にいる者に感じた。
やたらと居心地の良かったあの距離感は、紛い物だということを今となって思い出す。
――そう。
自分は単なるラクロアという国に属するだけの騎士。
彼とは違う。
王宮に立ち入ることを許され、王家に拝謁できる身分である騎士の最高位に立つ親衛隊に籍を置く彼とは。
「なら……何故、俺を指名した」
知らない内に、心の声が口から飛び出る。
言ってしまった後から、トールギスは慌てて自分の口元に手をやった。
「――ディード?」
聞こえてしまっただろうかと、トールギスは恐る恐る顔を上げようとした。
空が曇っているせいだろうか。ディードの足元には影がない。
彼自身が影になったかのように、暗く沈んだ色合いを基調とした姿がぽっかりと浮かんでいる。
そして、青いはずの双眸は。
一瞬、血のように真っ赤に染まって見えて。
親衛隊の者達の声に気付き、トールギスはそそくさと去ろうとした。
ディードは近づいてくるロックらに手を上げて答えている。それを一瞥し、トールギスは大股で歩き出した。
「お前だったからだ、トールギス」
背後からかかった声は、もう随分と遠くから聞こえた。
ディードの真摯な言葉は浸透するように耳に入る。
けれどそれすらも嘲笑うように、冷たい嘲笑の声が何処かで響いた。
振り向いた先のディードの足元にはやはり、黒い影が見当たらない。
彼の影は、何処に行ったのだろう。
-END-
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トールギスはどことなく「ディード」が消えていくことを感じているといいな、と。
もっと険悪な関係のような気もするのですが、T様も兄貴風にやられたんです。きっと。
最後辺りの台詞の裏地は、本編で利用された側と利用した側である二人の言葉っぽく。
抽象過ぎてごめんなさい;;
(2005/09/22)
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