** 彼岸の丘 **
「おーい、騎馬王丸! こっちこっち!」
少し大きくなった子供の背を追い、騎馬王丸は石造りの階段を一段一段ゆっくり上っていた。
秋に入ったばかりの季節、いまだに晩夏の名残がいたる所に残されている。
階段の脇に並んで立っている木々の葉も青々とし、緩い風が吹くたびにさざめいた。
辺りに人の気はまるでない。時が止まったかのようにここは寂しい場所だった。
「どうした? 荷物、交換するか?」
子供の声にはっとして騎馬王丸は顔を上げた。
十段ほど先にいた元気丸が、足を止めてしまった騎馬王丸を不思議そうに見下ろしている。
その手には白い紙で丁寧に包まれた花束があった。
いくつかの艶やかな花の中、黄色と白の色違いの花が特に目立った。この季節になると花屋によく並ぶ、特殊な花弁を持った花だ。
それが意味するものは、天宮に住む者ならば誰でも知っている。
死者へ送る、手向けの証。
対する騎馬王丸は、手桶に柄杓を入れた状態でそれを持っていた。動くたびに中の水が音をたてる。
元気丸は重くて立ち止まったのかと思ったようだった。
しかし、彼もつい先日まで合戦場で戦三昧だった武者だ。騎馬王丸は軽々と手桶を持ち上げ、再び階段を上がり始めた。
「お前こそ長旅だ。疲れたろう」
「へん! 別に平気だぞ。あいつらがちょっと心配性なんだ」
つっぱねった様子で元気丸は答えた。
その様子が騎馬王丸にはおかしかった。
あいつら、と言われて思い浮かべるのは、丘の下の寺に置いてきた従者の顔ぶれだった。
お供としてついてきた騎馬王衆は、一時の別行動にまるで今生の別れのように見送っていた。
もちろん騎馬王丸を心配してのわけではない。
若、若、と呼び慕っている元気丸に対してである。
元気丸は今でも激務に追われていて、各地をずっと旅している。
戦乱を生き抜いてきた騎馬王丸とは違ってまだ幼い新しい主人を、彼らはとても気にかけているのだ。
ふっと溜息を騎馬王丸は吐いた。けれどその表情は、安らかで優しいものだった。
「なーに笑ってやがるんだよ。老けたんじゃねぇの」
元気丸は照れ隠しのために少し拗ねたような顔をする。
最近それを知った騎馬王丸は、内心とても嬉しかった。
長い間離れていた息子の癖を一つ知るたびに、無くしていた時間を取り戻せたような気がしていた。
その心情を理解しているのか否か、虚武羅丸はよく耳打ちしてきてくれる。
それははっきりとした物言いではないのだが、元気丸の行動の意味を的確に示していたりする。
「虚武羅丸も置いてきてよかったのか?」
子供の影に常にある忍も、今日は下の寺で待たせている。
騎馬王丸は歩きながら、元気丸の小さな頭を見た。寺を出るとき、騎馬王衆に声をかけていた姿を見たが、いつものように姿を隠していた虚武羅丸には何も言っていなかった。
「あいつは何も言わずに待っててくれる。何かあったらあったで、絶対探しにきてくれるしな」
確信めいた物言いは、二人の信頼の形のように思えた。
父親が切り捨てた者をその息子が拾う。不思議な縁ではあるが、騎馬王丸には十分なことをもたらした。
これほどまで強固な絆を騎馬王丸は作れたことがなかった。信じ、信じられ合う関係は脆いものだと高を括っていた。
けれど元気丸は違う。
あの出来事から今日までを思い返すたびに、元気丸の器は確かに自分より大きいのだろうと確証した。
天守閣であの若武者と戦ったときに言われた言葉がその度に蘇った。
自分にはなくて、元気丸にはあるもの。
大神将の目には狂いなどなかった。
ぼんやりと様々な事柄を思考していた騎馬王丸は、やがて階段を上り終えた。
小高い丘の上には、殺伐とした戦死者の慰霊墓標が並んでいた。
元気丸は奥の、比較的綺麗な墓地に入っていった。
戦で死んだ者ではなく、市井で天寿をまっとうできた者たちの墓地なのだろう。
「ここだ」
ぽつり、と。元気丸がいつもとは違う小さな声で言った。
片隅にその標は立っていた。盛られた土の上に、丸い大きめの石がぽつんと置かれていた。
その周りには、火花が散ったような赤い花が咲き乱れていた。
「母上、お久しぶりです」
花束がかさりと音を立てた。
元気丸は軽く礼をし、持ってきた花束を広げた。
「――何年ぶりか」
騎馬王丸は桶を置き、声を絞り出した。
彼女と出会った頃よりも数段低くて掠れるようになってしまった自分の声が、少し恨めしい。
何もかもすっかり変わってしまった自分が、愚かに思えた。
「何を言えば良いのか、全く分からん。後悔、しているのかもしれない」
作業に専念するふりをして、元気丸は騎馬王丸の言葉を一句も逃さないように聞いていた。
母を捨てた男が、自分の内側を露呈するのはこれが初めてだった。
「俺は俺の道を歩んだ。否定する気はない。だがお前を置いていったことには迷った」
茎をぱきりと切り落とし、元気丸は唖然と父の顔を覗き込んだ。
「だからこそ、せめて俺なんぞ忘れて幸せになってほしかったのだが――」
「ち、違うぞ!」
目を伏せた騎馬王丸に、慌てて元気丸は声を荒げた。
過去に想いを馳せていた騎馬王丸は、自分の足元から大きな瞳で見上げてくる子供を、驚きながら視界に入れた。
「母上はずっと待ってた! いつか天宮が平和になれば騎馬王丸は帰ってくるって!」
思い出の中の母は、いつでも微笑んでくれた。少しだけ哀しそうに。
子供心に元気丸は、自分が天宮を統一させるのだと母に言った。そうすれば父が帰ってきて、母はもっと明るく笑ってくれるだろうと思い。
母は結局死んでしまったが、その願いは自分の夢として残った。
そしてもうじき、叶う。
「母上は騎馬王丸を怨んじゃいない。死ぬときだって、笑顔だったんだ」
それ故に元気丸は、天宮を裏切った父を激しく憎んだ。消化できない憤りを感じた。
幼かったせいもある。仲間と呼べる者たちがいなかったせいもある。
だけど様々な出会いや別れを知り、元気丸も騎馬王丸も変わることができた。
母が本当に望んだことは、こうして親子で並んで墓参りに来てくれることだったのだろうと今では思える。
優しい人だったから。穏やかでいて強い人だったから。
「そうか。静かに逝けたのなら、良かった」
ようやく微笑んだ騎馬王丸を見て、満足そうに元気丸は破顔した。
花を活け、辺りを綺麗に整える。
騎馬王丸はそっと柄杓から水をすくい、墓石にかけてやった。ゆっくりとした動作には、愛しみが満遍なく含まれている。
それから線香を置いて、二人で手を合わせた。
「さって帰るか!」
元気丸は軽い足取りで元来た道を戻る。それに続いて騎馬王丸も、歩を動かした。
「天宮は、ようやく落ち着こうとしている。あの子の采配があってこそだ」
一度振り返り、騎馬王丸は墓石に語りかけた。
夕方の空が柔らかな橙色に染まり出している。斜陽の光が、射した。
「良い御子を産んでくれた。ありがとう……」
彼女が晴れやかな顔で笑ってくれている気がした。軽く頭を垂れて、騎馬王丸は踵を返す。
天宮の未来が、自分を呼んでいるから。
「親父! 早く行こうぜ!」
「元騎丸、今何と」
「何でもねーよっ!」
二人の去っていく姿を眺めながら、朱に染まった赤い花が風になびいた。
まるで手を振っているように。
-END-
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天宮組というか親子。最終話で言っていた墓参りを自分なりに書いてみました。
きっと母君は強くて優しくて温かい人だったのだろうなと。
じゃなきゃ元気丸はあんなに根が真っ直ぐ育たないと思います。
時間的には「the Early Afternoon」より前のような。まだまだ天宮書きます。
(2005/01/15)
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