雪が降り始める。
岩肌が剥き出しのままの悪路も、やがては白い結晶に覆われていった。
見上げた曇天は唸るように低い音を立てて動いている。
さらに気分を重くさせるように、山道に強い風が吹き付けた。
++ 東の大地に闇が堕つ ++
すっかり積もってしまった雪の上から二人分の足音が響く。
一人はこの景色の中に埋もれてしまいそうな、純白の鎧を纏う騎士。不服そうな顔付きのまま、彼は黙々と歩き続けている。
もう一人は彼よりも前方を歩く、常闇色の騎士だった。彼はぼんやりと空を仰ぎ、足を止めて振り返る。白い騎士が近づいてくる様子を確認すると、再び彼は歩き出してしまった。
先程からこのように、付かず離れずの距離を二人は保っていた。
暗い空が似合う隣国ブリティスとの国境付近の山間部に巨大な竜が住みついたという噂が伝わってきたのは、つい一週間前のことだった。
精霊とマナが統べるラクロアにおいて、その存在は珍しくはない。
しかし竜は頻繁に暴れ、直接の被害はまだ出していないものの、山が大きく揺れるとうことで自然災害が起こっていた。
冬になれば山頂には雪が降り積もり、最悪の場合は村に雪崩が覆いかぶさってくるかもしれない。
この問題は隣国にも等しく降りかかっていて、ブリティスと懇意であるラクロアは原因の究明と対処を早急に行わなくてはならなかった。
白羽の矢が立ったのは、王の信頼も厚い親衛隊の騎士。
彼はあまり人には知られていないが、元はブリティスの出身だったことが理由の一つだった。
しかし一人で行くわけにもいかず、他の親衛隊も王族の側を離れるわけもいかない。
そのためもう一人、騎士が同行することになった。
それが今、不機嫌な様子を隠そうともしない嵐の騎士――トールギスだった。
「……ディード、まだなのか」
「少し上に洞窟が見えた。そこまでの辛抱だ」
甲冑を鳴らし、トールギスが低い声で尋ねた。
それは半分八つ当たりのような恨みがましい声音だったが、慣れているディードは何処吹く風だ。
ブリティスには様々な曰く付きの場所がある。ヴァトラスの剣が眠るといわれる暗黒沼もその一つだ。
彼等が上っている山にも逸話が残っており、この国で育ったディードはそういった伝説を軽視することはなかった。
この山は、頂に近づくほどにマナの気配が遠のく。
ラクロアの地下にあるダークホールと似たような作用が起こるのだ。
最初は信じていなかったトールギスも、山の三合目を超えた辺りで、急に身体が重くなったことを感じていた。
しばらくして、魔法は使えなくなっていた。
「だから言っただろう。上ることになると」
呟かれる愚痴に呆れながら、ディードは口の端を上げていた。
二人とも自分の得物は通常の騎士が持つ武器よりも、大振りのものだ。体力はそれなりにある。
しかし、慣れない山道だ。なだらかな平地の続くラクロアで育ったトールギスにとっては、少し歩くだけでも疲労感をもたらしていた。
対するディードは幾分か余裕を持っていた。
それがまた癇に障り、トールギスは前方を行く氷刃の騎士を睨みつけるように眺めていた。
ディードとトールギスは決して仲が良い間柄ではないのだが、やたらと騎士の中で一緒になることが多かった。
気配りがきき、洞察力に優れている彼は、さすが親衛隊だともてはやされている。
そして脚色されがちな噂と寸分も違わぬほど、騎士らしい男だった。
自分にはないものを持ちえているディードのことが、トールギスは苦手だった。
いつもならば自分の部下であり、昔からの従者である赤と青の二人の騎士が間に立っているからまだましだったが、現在の状態はあまり好ましくなかった。
相手が直情的なナタクあたりであれば、いつもの調子で見下したようなせせら笑いを浮かべられる。ロックやバトールであれば、関わりを持ちたくないと同行の申し出を一蹴できたはずだ。
けれどトールギスは、苦手だと思うディードと共にこの地へ来る事を承知した。
一番驚いていたのは、ヴァイエイトとメリクリウスだったろう。
トールギス自身は何故その選択をしたのか、さっぱり分かっていなかったのだから。
「六合目だ。トールギス、すぐそこだ。まだ倒れるなよ」
薄い空気を吸い込みながらも、器用に考え事に没頭していたトールギスは、ディードの落ち着いた言葉にはっと顔を上げた。
降っていた雪は強くなり、吹雪といっても差し支えのない強さだった。
ディードは一度振り返ったが、浅く呼吸をするトールギスに手を差し出すことはなかった。何より彼は自尊心を傷つけられることが嫌いだということを、知っての自然な行動だった。
伸ばしかけた腕を引っ込め再び前を向いたディードに、余計な気遣いだ、とトールギスは思う。
けれど、大丈夫かと声をかけられるのもやはり癪だった。
そう考え、ふと思う。
ディードは確かに気遣いが――気配りがきちんとしている。
彼の存在は確かに自分にとって疎ましくも思えるのだが、短気なトールギスは未だかつてディードに対して当り散らすような言葉を吐いたことがなかった。
嘲笑と共に逆撫でするような物言いをするトールギスが、彼にだけはそういったものが浮かばなかった。
ディードはきっと故意に誘導しているのだろう。
互いに傷付かずに済むよう、相手の深いところにも入らず自分も踏み込ませない。馴れ合いの嫌いなトールギスにとって、それは不本意だが心地の良い感覚だった。
「……おい、ディード。奥から何か感じないか?」
「ああ。この辺りは既に魔法が使えないようだが――マナの力を強く感じるな」
洞窟に入った二人は息を落ち着かせる。
しかし奥から吹き抜けてきた風の様子を怪訝に思い、顔を見合わせた。
耳を澄ませてみれば微かな振動音が伝わってきた。
どうしようかと思った時、咆哮のようなものが響いた。
これが噂の竜なのだろうか。
麓の村人達はその姿を恐れ、誰一人としてきちんと確認したことはないという。
声の大きさからすると、竜はかなり巨大な体躯を持っているのではないだろうかと推測された。
「行くぞ、ディード」
不意にこちらに視線を投げてきた騎士を、トールギスは睨み付けた。
体力が回復していないことにディードは気付いている。それを理由に、奥へ行くことを憚られるなどこちらから願い下げだった。
洞窟の奥に向かうにつれ、風が強さを増してきた。
内部は常に温度が低いようで、吹き込む冷気と山に染み込んだ雨水がぶつかり合い、所々に氷で出来た鍾乳石が突き出ている。
それらは光源のない闇の中できらきらと光っていた。
「……ンンの輝きに似ている。魔力を帯びているのか?」
検分する学者のように、ディードは洞窟内を感慨深く眺めていた。
彼は元から魔法や精霊に関する研究をすることを好んでおり、尚且つ任務に赴いた土地の様子を事細かに覚えて、後に備えようとする。
細かい男だ、とトールギスは思う。
神経質な方である自分が言える立場ではないが、そうした生き方は見栄えが良くとも、とても疲れるだろう。
いっそ何もかも壊したくなる衝動を――トールギス自身何度も考えてしまう――彼は抱いていないのだろうか。
「トールギス?」
「ふん……さっさと行くぞ」
浮かんだ不穏な思考をすぐさま消し去り、トールギスはディードの隣を追い越していった。
すれ違う瞬間に横目で見やったディードの表情は、半分以上が暗闇に覆われていた。
咆哮はさらに大音量になる。
目を開いていることも難しくなり、二人は腕で目元を庇いながらも全身を続けた。
強風はいつの間にか衝撃波に変わり、甲冑の上からでも痛みが伴った。
そうして傷だらけになりながら進むと、急に広い場所に出た。
空洞のようにぽっかりと開けている広場の周りは、衝撃波によって徐々に削り取られていく壁だった。
鋭利な刃物で切り取られたようなそれは、荒れる風をさらに混ぜ返し轟音を響かせている。
その度に振動が起こり、連動して天上からぱらぱらと岩肌の欠片が落ちてきた。
「あれが、竜の正体か」
トールギスは顔を歪めた。
咆哮は風が唸ったための音だろうと薄々勘付いていたが、目の前に鎮座しているものには少しだけ面を食らった。
広場の中央には、巨大な竜を象った水晶の塊があった。
「さっきの鍾乳石と同じ輝きだ」
中央に近づくと、嘘のように衝撃波や風が当たらなくなった。
ディードは水晶に直接手を触れながら、先程の煌きの光彩を思い出した。
「ンンを喰ったのだな」
触れた指先を擦り合わせ、ディードがぽつりと呟いた。
一瞬ぎょっとしてトールギスは顔を上げた。ディードはいつもと変わらず、平静な顔付きで水晶を観察している。
(俺は何を怯えたんだ……)
トールギスは慌てて首を振る。
――呟いた声が、恐ろしいほど冷たく聞こえたのは気のせいだと言い聞かせながら。
竜は確かに存在したが、精霊を喰らい自身がマナの結晶と化してしまったそれは既に単なる置物だ。
しかし、この水晶のせいで山間部のマナは今も吸収され続けている。
膨張する魔力に周りが耐えられず、吹き込む風に乗じて衝撃波も発生しているのだ。
山は確かに、内部から揺さぶりをかけられている。
このままだと雪崩よりも大変な事態が起こるだろう。
「これが原因だということには変わらんな。破壊するぞ、ディード」
「……ああ」
僅かに逡巡したディードだったが、首を縦にした。
問題はどうやって破壊するかだった。魔法が使えないとなると、自分の武器も取り出せない。
トールギスは思い切り拳に力を込め、水晶を叩いてみた。
実体のないンンを喰らったせいなのか、結晶化してもさほど硬くはなかった。
それでもこの大きさだ。砕き割るには無理がある。
「トールギス、少し離れておけ」
急に屈んだディードの手元を、怪訝そうに覗き込む。
そこには何故か火薬が詰まった筒が二、三本ほど納められている。
血の気が引く音を聞いたトールギスは、よろよろと後退した。
その間にディードは淡々と作業を終えて、どことなく楽しげに導火線に火を灯した。
二人は全力で渦巻く風の中を走った。
「っ! 何で貴様はそんな危険物を持っているんだっ!」
怒涛のように捲くし立てるトールギスの声は、それでも洞窟内に響き渡る新たな轟音に掻き消され気味だった。
ディードは火を灯したマッチ箱を懐にしまいながら、凄まじい勢いで飛んでくる石の破片を呑気に眺めていた。
「旅立つ前にロックがくれた。トールギスに嫌なことを言われたら、寝床にでも仕掛けておけと」
あの腹黒め、とトールギスはこめかみを引き攣らせた。
ロックが絡んでいるのなら、きっとあの爆薬はバトールが作ったのだろうと予想が付く。
国に帰ったらしばらく背後を取られないように注意しようと、彼は誓った。
広場の水晶は、地盤を爆発させたせいで大きく傾き始めた。予想通りそのまま重力に従い、横倒しになった。水晶にひびが走る。
今までの均衡が破れ、周りを駆け巡っていた衝撃波がその通り道に倒れこんできた水晶目掛けて襲い掛かる。
ひびはさらに広がり、程無くして完全に全体を覆った。
そして、涼やかな音色を奏でて粉々に砕け散った。
衝撃波は掻き消え、あれほど荒れていた風が弱まる。
解放されたンンが広場に溢れ、その風によって外へと運ばれていった。
程無く、魔力の気配が正常に戻ったことを感じた。
「……まさか、これで任務は終わりなのか?」
「ああ」
呆気のない終わり方に、トールギスが呆然とした。
さらさらと流れていくンンの群れを眺めながら、ディードは頷いた。
二人はそのまま洞窟を突っ切った。
風は内部を通じて山の向こう側から入ってきていたため、難なく出口までやってこれた。
外を見れば、曇り空は閑散としていて、西日が赤く燃えている。帰るべき城の方角は、だんだんと夜空に浸食されてきていた。
どうやら天候の崩れもあの水晶の竜が関係していたようで、行きの吹雪が嘘のように晴れていた。
「今日はもう日が暮れるな。下山は明日にしよう」
ラクロア城の方向を見ながら、ディードが言った。
そういえば休んでいないな、とトールギスは洞窟の壁に凭れて座り込んだ。
何だか急に疲れてきた。
「ディード。俺はやはりお前との付き合い方が検討も付かん」
ぼそりと愚痴ってみると、ディードは笑いながら振り返った。
こんなことを呟くなんて珍しいと、向こうも思っているらしい。トールギスは不意に笑みを浮かばせた。
「トールギスは合わせるより合わせさせる方が向いている」
ディードはくすりと小さく微笑んでいた。西日が顔に当たるせいか、目を細めて。
軽口を言い合いながら、トールギスは不本意ながらも居心地の良さを感じていた。
けれど、同時に言い知れぬ不安が過ぎる。
トールギスはディードの背後に広がっている東の空から、目が離せなかった。
ラクロアの空を染める闇が、まるで彼を連れて行ってしまうような気がして。
-END-
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ありえなさげでごめんなさいな、ディードとトールギス様の話。
嵐の反乱前、ゼロとディードの出会いより前の話、のはずです<自信無さ過ぎ
主従も好きですが、こんな微妙な友情未満な話も好きなんです。
結構長くなったのですが、色々と複線張っているので思わずニヤリとして下されば嬉しいです。
「精霊を喰う竜」「闇の片鱗を見せるディード」「さり気ないロックの影(笑)」が書けたので満足。
(2005/09/15)
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