++ Why did you desert? ++
無我夢中だった。
落ちていくその体に、腕を伸ばしたのは反射的なもので。
気付けば掌の中にだらりと力を無くした腕があった。
「どうして連れてきたんだよ、ゼロ!」
少年は涙を溜めながら言い放った。
彼の手の中には、控えめに煌く一輪のプリンセスローズが大切そうに握られている。
シュウトの怒りの原因は、彼の持っているそれと、私が支えている黒い騎士の存在にあることは明白だった。
けれど私にも分からないのだ。
故国を裏切り、愚かな願いを持ってしまったこの男を助けてしまったのは何故なのか。
殺すつもりで、剣を振るったというのに。
崩れ行きながらも愛しい人の名を叫んだ奴を、見捨てることができなかった。
「シュウト……」
気を失っているディードの体は重く、力のあまりない私の腕はもう痺れ始めていた。
早く、彼を何処かに横たえなくてはいけない。
しかし、シュウトの気持ちも分かるのだ。理解できるからこそ、私はこの場で立ち竦んでいる。
キャプテンと爆熱丸は困惑したように私達の間に立っていた。特に、事情を解していない爆熱丸はおろおろと右往左往している。
ああ、私は何ていう考え無しなのだろうか。
いつもそうだった。また、仲間を困らせてしまっている。
いつだってナタクに軟弱者、などと罵られていたというのに。
何も言わないバトールが困ったように目を伏せていたことを知っていたのに。
笑ったロックが宥めてくれるのを、待っていたくせに。
ディードが、後先を考えていない私にくれる助言に何度も救われていたのに。
私は何も成長していない。
本当ならば、一刻も早く取り戻した姫の石化を解けねばならない。それが私に架せられた使命の一つであるはずなのに。
私の腕の中には、何故ラクロアを滅ぼした憎き相手がいるのだろう。
ディードなら。きっとその理由だって、言い当ててくれるはずなのに。
「すまない。少しだけ、時間をくれ。いくら落ちぶれたと言っても……こいつは、私の」
語尾が震えて、言葉が消え入ってしまった。
今更ながら涙が浮かび上がる。
「私の、親友、だから」
切羽詰った息を吐き出すように、呟いた。
彼等には聞こえただろう。
シュウトは瞠目しながら、哀しげに目を伏せてしまった。勢いづいていた腕は下がり、肩から力が抜けている。
「……ごめん、ゼロ。ゼロはただ人を助けただけなのに、八つ当たりだね、これじゃあ」
「シュウト、本当にすまない」
物分りの良すぎる人間の子供に、私は罪悪感が込み上げた。
悪者を倒して、それで幸せになれるのは御伽噺の中だけで。いくら討つ理由があろうとも、ディードの体に食い込ませた刃の感触は消えることはない。
それを彼は分かってしまった。
シュウトはきっと、絆で結ばれているキャプテンのことを思い浮かべたに違いないだろう。
友に裏切られるという残酷な幻を。
私は、こんな真っ直ぐな少年に酷い仕打ちをしている。
浅ましい存在だと、己を罵りたくなった。
「少し休んだ方がいい。シュウト、行こう」
キャプテンはそんなシュウトを見かね、ブリッジへ誘った。
僅かに私の方に視線を転じたのは、それまでに用事を済ませて欲しいという意味合いが篭っていることを切々と感じた。
二人が言ってしまった後、私は重い溜息を吐いた。
柵もない甲板では落ち着かないため、船内へと足を向ける。
「ゼロ」
ああ、こいつはまだここにいたのだな、と私は不意に思い出した。
深刻な顔をした爆熱丸がじっとこちらを見ている。
私は「何だ」と尋ね返しながら、支えているディードの体を持ち直した。
あまりにも無関心そうな声が出てしまい、言ったあとに何だか悪い気がした。
「手伝うぞ」
爆熱丸は気にしていない様子で、逆側から支えてくれた。
正直言って、文句を言うほどの気力はもう残されていなかった。彼の申し出を素直に受け取り、私達は内部へと歩き出した。
ようやく通路の袋小路にまで移動した所で、私はディードをそっと床に横たえてやった。
死んだように意識を飛ばしたままの彼の横顔は、ラクロアからネオトピアへ飛ばされる直前に見たものと何ら変わりがない。
けれど彼の心は、完全に闇へと傾いてしまっている。
私は変わらないままだというのに、ディードは変わってしまった。
――彼が言っていたように、もう随分と昔から狂い始めていたとしたら、その狂気の方向へと秤が振り切れてしまったというべきなのかもしれない。
ぼんやりとディードを見下ろす私を、心配そうに爆熱丸が見ていた。
「お前の、仲間だったのか」
「……一番親しかった。時には師のように、兄のように接してくれた」
声はもう震えていなかった。
思い出の日々はただ走馬灯のように流れ、現実味がまるでなかった。
爆熱丸は気遣わしげな視線を這わせ、天上を見上げた。
そう言えばこいつも、友と敵対したことがあったことを私は思い出した。
兄弟子だったと聞いた。それでも爆熱丸は逃げ出さず、一度は負けそうになりながらも相手を討った。
そして敵対しても心通わせていた彼等が、今は心底羨ましかった。
武者は互いの道がぶつかり合った時、親子だろうが師弟だろうが戦友だろうが決して自分の意志を簡単には投げ出さないと聞いた。
相手が主であったとしても、下克上をしてまで信じた道を進む。そんな潔い生き方が、眩しかった。
騎士は、彼等ほど自由に生きられない。
ましてや、主として頂くのは種族の違う人間。人のいない天宮では決して引かなくてもよい線を、私達は弁えなくてはいけない。
ディードはどういう気持ちであの時私に告げたのだろう。
愛しているから、と。まるで泣き出しそうな衝動を堪えている子供のようだった、彼は。
「どうして、こうなってしまうのだろうな」
「ゼロ……」
体が、声が、再び震える。痛いくらいに。
ディードはこんな嘆きなど、誰にも見せることなく笑っていた。
堕ちてしまうまで誰も気付かなかった。気付かせなかった。
もしも気付いていれば、未来は変わったかもしれないというのに。
「……ゼ、ロ?」
突然、擦れた様な第三者の声が割って入った。
私は瞬時に視線を戻す。
ラクロアの空のようだ、と褒めてもらった私の瞳は大きく見開いた。
じゃあお前の目は海だ、と言い返してやったディードの青い眼が朦朧とした様子で私を見ていたのだ。
「デスサイズ――……ディード?」
闇の騎士として猛威を振るった名を、咄嗟に言い換える。
スティールドラゴンから切り放された彼は、すでに氷刃の騎士の姿なのだから。
「どうした? また泣いているのか? お前は、誇り高き親衛隊の翼の騎士だろう?」
いっそ優しすぎるほどの笑みを浮かべ、ディードはのろのろと片手を上げた。
記憶が混乱しているのだろう。焦点の合わない双眸を覗き込みながら、私は零れそうな涙をただ耐えた。
城の上で親衛隊を罵っていた彼。今、ここで昔のように親衛隊を称える彼。そのどちらもが鏡合わせのようにディードの中に存在し、彼自身の本心なのだろう。
無防備なその笑顔が、虚勢が全て剥がれ落ちてしまったことを証明している。
「ああ、姫はどちらにいるのだ? また一人で散歩に出かけられたのだろうか」
「……そうだ。きっとディードが迎えに来る事を、待っているぞ」
幼少の頃から姫をお守りしていたディードは、しょっちゅう彼女の我儘に付き合っていた。散歩の迎えも、いつだってディードの役目だった。
けれど文句は一つも聞いた事がない。真面目な彼のことだから愚痴もでないのだろうと思っていたが、今ならそれが違うと言える。
きっとディードは、彼女を見守れて嬉しかったのだろう。
ほんの一時二人きりになれる時間が、本当に大切だったのだろう。
「ディード、私は謝りたかった。後悔はしたくないが、こういう結末を望んでいたわけじゃないんだ」
もう無理だ。
私は、流れていく雫をぼんやりと見つめた。
隣に爆熱丸がいるというのに、止められそうもなかった。
「……姫、様……何処……?」
ぽつぽつと降りかかる私の涙を受け止めながら、ディードは再び意識を失っていく。
このままでは本当に死んでしまうだろう。
ラクロアの全てから否定された彼は、きっと何処にも帰ることなく消えていくことだろう。
精霊のようにンンに還ることもなく、仲間達のように熔かされ利用されることもなく、意味もなくこの次元の狭間で。
最後の暇乞いをするかのように、私はディードの名を呼び続けた。
「姫……リリ……」
愛しい人を捜し求めるように、彼は手を宙に彷徨わせる。
私は咄嗟にその手を取った。痛々しいその姿を見たくない一心だった。
なのにディードは、その手が誰のものなのかさえ判別が付かないらしく、私に向かって微笑んだ。
違うんだと叫びたかった。
これは姫の綺麗なお手ではない。友の犠牲の上に成り立っている、汚れた救世主の、お前を殺した手なのだと吐き捨てたかった。
「リリ……ごめんなさい……」
か細い声音で、ディードは何度もごめんなさいと繰り返した。
私は手を強く、強く握り締めた。
喉が引き攣る。嗚咽が込み上げて、彼の名前すら呼べなくなった。
そして、唐突に握っていた彼の手が重くなる。
「――好きになって、ごめんなさい――」
ディードは寂しそうに微笑んだまま、目を瞑って。
もう、二度と、動かなかった。
-END-
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もしもゼロが、落ちていったデスサイズを拾っていたらな話。
一応、デスサイズを倒してからリリ姫復活までの間を想定して。
やっぱりゼロはディードを斬ったことを気にしていると思うのです。
「Why did you desert?」=「どうして見捨てたの?」はゼロが自問している感じで。
(2005/09/16)
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