** the Early Afternoon **
「わーかーぎーみー! 今日こそは逃がしませんぞ!」
「へっ、おいらに追いつけると思ってんのかよ!」
今日も屋敷に怒声が響き渡る。
軽い地鳴りが床を揺らし、梁の上から細かい埃を落としていく。
茶柱の立った湯飲みが波紋を描き、座布団の上の身体が一瞬だけ地から離れた。
「……またか」
幸い零さずに済んだ茶を、再び口に含みながら騎馬王丸は溜息を吐いた。
遠く異国の地ラクロアでの遊学を終えて帰国した彼は、見事に平定を手にした天宮の国を見た。
それは自分の息子でありながらも、敵対者であった者の家紋を振りかざすという、元気丸の行動が講を成したのだという何よりもの証拠だった。
まさに戦乱を治めるべくして生まれた男だと、口を揃えて言う者もいる。
力だけで掌握しようとした自分とは違う器が、元気丸にはあるのだと改めて思った。
それからしばらくして諸々の用事を済ませた騎馬王丸は、武里天丸が与えてくれた元気丸の屋敷に住んでいる。
子供が持つには広すぎた家だったが、騎馬王衆や虚武羅丸、元ダークアクシズの者たちと共にいるためちょうど良い位だ。
あの怒涛の月日が微塵も窺い知れない今日この頃、よく爆覇丸の説教の声が屋敷に響いていた。
最初は元気丸に仕えることを渋っていた騎馬王衆も、各地を巡るうちに元気丸を好むようになっていた。
元来、子供好きだった破餓音丸などは些細ないたずらにも笑顔でかわせる。
それが、何も無い時間ならばだが。
「そっちにいったぞ爆覇丸!」
「そこは気を付けろ! 昨日、罠が仕掛けてあった」
聞いているだけで少し泣きたくなる。
まるで鬼ごっこのような会話に、騎馬王丸は再び溜息を吐いた。
これほど騒がしい家にいることも珍しいものだ。
ふと騎馬王丸は、すでに過去となった天下統一を目指す自分の日常を思い出してみた。
戦、屍、矢の嵐。しんと静まった空間での一人将棋。
確かに自分は天宮を平和にしたかった。今更、自らの歩んだ道を否定することは無いが、あれはあれで寂しかったのかもしれない。
息子と将棋を指すことが夢だった。
温かな日差しの下で、元気の良い家庭の中で。
「見つけたぞ! 若、そんなところにいても無駄ですよ!」
「――って、あああ!」
喧騒が、やけに近くで聞こえていた。
機獣丸の半分悲鳴のような声のすぐ後に、どすんと何かが落ちたような音がする。
それからいくつか落ちてくる、瓦屋根。
「……何処に上っている」
平屋造りの屋敷の屋根はそう高くはない。
それでも痛いのであろう、元気丸は打った腰を何度も撫でている。
騎馬王丸の臨んでいたさして広くない中庭に、元気丸が降ってきていた。
「大丈夫ですかー?」
「あ、騎馬王丸様……」
ひょっこりと屋根から顔を出したのは、先程の悲鳴の主である機獣丸と猛禽丸だった。
どうやら元気丸は、屋根の上に隠れていたようだ。逃げようと思う際、緩んでいた瓦の流れに沿って落ちてしまったのだろう。
ばつ悪そうに頬をかく息子を眺めると、騎馬王丸は二人に向かって言った。
「今日は兵法の勉強だったな。お前たち、下がって良いぞ」
「え? 騎馬王丸が教えてくれるのか?」
無言で頷けば、元気丸は目をきらきらさせて縁側に飛び乗った。
騎馬王丸が教える兵法というのは、つまり将棋のことだ。元気丸はなかなか彼に勝つことはできなかったが、筋は良いとこの間褒められたばかりだ。
将棋に関しては随分と意欲的な元気丸に、二人はしょんぼり肩を落とした。
「だが何故、講義が嫌なんだ? 元々お前は学ぶことが好きだろう?」
屋根から下りてきた二人から、元気丸に視線を動かす。
するとやはりばつの悪そうな表情をしていた。申し訳ないとは思っているようだった。
「……だって」
俯き加減の幼い顔は、そうして歳相応の姿を見せる。
まだ元服も済ませていない子供が乱世の中、父親に復讐するために旅をしたのだ。
そうした経緯がある元気丸は、自らの感情を露呈することはあまりない。
それが悲しいことだと思いながらも、自分のせいなのだと騎馬王丸も心が痛んだ。
だからこそ元気丸の空白の時間を埋めてやりたいと思い、ついつい構い過ぎるのだと苦笑は禁じえなかった。
「どうした? 何か言い難いことなのか。爆覇丸が嫌いか?」
「違うっ!」
尋ねてみれば、元気丸はすぐさま顔を上げて否定した。
ぴしゃりと言いつけるような口調は、そんな感情を微塵も持っていないのだと逆に怒っているような気配さえする。
威勢良く言ったはいいが、そのまま元気丸は口を閉ざしてしまった。
小さな声で、「嫌いなわけがない」と繰り返し呟く。
機獣丸と猛禽丸は顔を見合わせて困っていた。
ようやく追いついた爆覇丸と破餓音丸もまた、元気丸の様子を窺っている。
「違うんだ。おいら、こいつらに本当に良くしてもらっている」
せつせつと語る小さな口に、熱が篭っている。
滅多に見せることは無い真摯なそれは、何者の奥底まで透るような言葉だ。
「だから……」
「――怒ってもらいたいのだな」
元気丸の言葉を引き継いで、騎馬王丸がそっと微笑む。
弾かれたように凝視してくる息子の頭に、無骨な手がゆっくりと乗せられた。
家族を知らない騎馬王丸は、同じような境遇の元気丸の気持ちがよく分かった。
そう、それは、構えなかった息子に甘えさせてやりたいと思う親心と同じ。
愛してくれる人たちが自分のために怒ってくれることを確認したいのだ。罵倒や皮肉ではなく、真っ直ぐなその気持ちを。
「だって、爆覇丸はいつも説教垂れてくれるし、破餓音丸は一緒に遊んでくれて、猛禽丸はうまいおにぎり作ってくれるし、機獣丸は俺見つけるのがうまいし」
だから、嫌いなわけないじゃないか。
小さな小さな声だった。
それでもその場にいる者には十分届いた。
「ほら、将棋盤を持ってこい。皆もくつろぐがいいぞ」
息子の頭を撫でてやり、最後にもう一度叩いてやった騎馬王丸は、そう促した。
元気良く返事をした元気丸が、とたとたと廊下を駆けていく。
残った騎馬王衆は顔を見合わせて笑い、縁側の側にある開けっ放しの部屋へと入った。
「若君は構って欲しかったのですね」
「そのようだ。お前たち、ずいぶんと好かれたな」
「いえいえ。こちらとて何やら歳離れた弟を持った気分です」
談笑しながら、新しいお茶が六人分淹れられた。
しばらくすると軽い足音が戻ってきた。
騎馬王丸の部屋にある盤を、元気丸が両手いっぱいに抱えていた。
座布団を縁側に敷き、二人は互いに向き合った。その様子を、騎馬王衆が微笑ましげに見守っている。
「では始めようか」
よろしくお願いしますと礼をして、本日の授業である兵法の模擬線が始まった。
勝負はなかなかの線をいっていた。
今一歩のところで騎馬王丸に王手をかけられる。そのたびに悔しそうに眉を歪めているのは、元気丸よりも寧ろ騎馬王衆の方だった。
ぐっと握り拳を作り、固唾を飲み込んで見ている。元気丸が負けるたびに、全員が揃えて本当に悔しそうに溜息を漏らすのだからすごい。
そして十局目を迎えるそのときだった。
「ん? どうやら虚武羅丸が帰ってきたようだな」
気配に気付いた騎馬王丸が、一手を打ったすぐ後に呟いた。
宙を仰ぎ辺りを見回してしまうのは、昔の名残だった。
現在のあの忍は、息子の直属の部下である。平和になった天宮では、城を落とすことも敵を暗殺する必要も無く、虚武羅丸は元気丸の護衛の他に伝令の任も受けている。
だから玄関からちゃんと帰って来い、と元気丸は彼にいっているそうだ。
思い浮かんだその光景に自然と笑みが零れたが、元気丸は気付かなかった。
今にも待ちきれないように、玄関先へと飛び込んでいったからだ。
おかえりと言える喜びを噛み締めているのだろう。それでいて、彼が一番大切にしている人だから尚更。
「あーあ。若って結局、虚武羅丸が一番だな」
破餓音丸はそう言ったがちっとも残念そうには聞こえなかった。それは他の三人もまた同様だった。
くすりとそれぞれが温かく笑い、駆けて行った小さな背中を見送っていった。
「騎馬王丸様、寂しくはないですか」
そう問われても。騎馬王丸はただただ幸せそうな表情を浮かべるだけで。
最後の茶を一飲みした。
「おかえりー、大丈夫だったか?」
嬉しそうな子供の声が、午後の空気を震わせた。
-END-
---------------------------------------------------------
大好きな天宮組。すっかり父親な騎馬様とじいやな騎馬王衆が書きたかったです。
きっと皆、元気丸を中心に仲良く過ごしていることでしょう。
特に主従は傍から見ても絆ががっちりできてます。
(2004/12/29)
←←←Back