一足お先に春をお届けいたします。


 筆が紙面を掠めていく音だけが室内を支配していた。
 背中を借りながらうとうととまどろんでいた元親は、不意に止まった音にも気付かず寝息をたてる。
 呆れ混じりの溜息を吐き出し、筆を置く。
 墨が乾くまでの間にすることもなく、背に感じる呼吸の調子が何となしに気になった。
 勝手に元親が来訪するのは珍しくも何とも無い。だがいつもだったら即座に邪険に扱う元就が、こうして無言のまま背中を預けてやるのは労いの意味も込めてのことだ。

 書き終わった書状を見下ろす。
 雪に阻まれた始めた北国はどんなものなのか、想像することしかできない身が歯痒い。深々と積もり来る無音の世界は如何程なるものなのか、きっと赴いたこともない自分には分からないままだろう。
 そんな現状を言葉少なで、かつ美しい表現で記された文を、元親は届けてくれた。
 いつもの気まぐれで悪友に会いに向かわなければ、送ることすら諦めて書かれずにいただろう奥州からの手紙を。

 元就は手元にあったその文を、差し込む陽光に透かしてみた。
 折り畳まれている紙面の間にうっすらと浮かぶのは、色鮮やかな楓の葉。彼の地に訪れた秋の終わり、そして冬の始まりを伝えてくる季節の風物詩。
 雪が完全に積もってしまう前に届けたいという願いと、そして返事が欲しいと暗に望む彼の者らしい意図が見えてしまい、元就は思わず呆れた笑みを零した。
 控え目なのか健気なのか我儘なのか――分からないからこそ愛しく思えてしまうのかもしれない。
 本人にそう言えば、子供扱いされている気分だとまた複雑そうに吐き捨てるのだろうが。

「……ああ、そうか」
「んん? 毛利、書き終わったのか?」

 思い当たった節にぽつりと声を漏らすと、身じろいだ元親が寝ぼけ眼を擦った。
 そんな男の頭を叩き、盛大に目覚めさせてやると元就は立ち上がった。

 奥州がどういった場所か、元就は知らない。
 ――けれど政宗がどんな奴であるのかは、きっと十分過ぎるほど知っている。こんなにも容易に彼の声を思い出せるのだから。

「長曾我部、さっさとこれを独眼竜に届けて参れ」
「それが人にものを頼む態度かよ! ったく、俺って本当に付き合いがいい奴だよなぁ」

 そういう元親であったが顔が笑っている。
 怪訝そうに眉を顰めた元就からしたためた文を丁寧に受け取り、大きな手でのその手を引いた。

「ほら、行こうぜ? 楓一枚の代価にはちょいとばかし高値だがな!」

 思わぬ提案に瞠目したものの元就は小さく微笑んだ。
 握られた手は振り払われないまま運ばれ、そうして――。



 - END -


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政宗の悪友で元就の相棒な元親は、しがらみがなければこんな感じで面倒見が良いイメージ。
楓…「遠慮」「自制」
(2009/6/15)


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