:::雨垂れ:::


 夢見が悪い日は憂鬱に始まる。
 どんよりと曇った空の下で珍しく一人で遠出してみても、気が晴れることは無い。
 やがて雨が降り出してしまえば、貼り付いた前髪のように暗い気持ちが胸底へと付着したまま離れず、重苦しい塵が溜まっていくかのようだ。
 自分はどうしたのだろう、といつもこんな状態の日は思う。
 温かな日差しがないだけで心乏しくなるほど弱くは無い。だががむしゃらに駆け抜けて生きてきた日々を鮮明に思い出すたび、自分の夢は怨嗟の巣窟と成り果てるのだ。

 後悔なんてない。
 だが、もしも、とは考えてしまう。

 喪った人達を救えていたのなら、殺した人々を生かす道があったのならば。
 自分がもっと愚かな選択をしてさっさと自滅していれば――。

 雨粒に頬を濡らしながら見上げた空模様は、はばたく翼を許さないかのように激しさを増していく。
 これが断罪であるのだと天がせせら笑うかのよう。
 罰を与えるのならばこの身であればいいというのに、死さえも許さぬ采配は子を奪い取るという形で幾度となく制裁を加えてきた。
 繰り返される、罪の清算。
 この命一つ終わってしまえば、その無様な輪廻も断ち切れるというのに、生きながらにして死ねと終わらぬ監獄は何処までも続いていく。

 壊れぬものがあればよいのに。
 それがありえぬ世だというのならば、最初から縁など結ばなければ、周りの全てが自分以外という一括りで保たれれば嘆きさえも知らぬままでいられるというのに。


 きっとそうして生きていけるのだと信じていた。


 不意に俯いていた頭へと降り注いでいた冷たい雫が途切れた。
 見上げなくとも分かる。
 最早見慣れてしまった袴と足元が視界の隅を掠めた。

 そいつは何も言わない。
 勝手に入られることを嫌いながらも、それが嫌じゃないという矛盾を抱えながら、一歩前で立ち止まる。
 無理やり近付くことも、自分の気持ちを話すことも、分かって欲しいと願うこともしないまま、じっと佇んで待っている。
 そのくせ寂しがりな目をして困ったように笑うのだ。
 欲しくて欲しくて堪らないと考えていながら、躊躇をしてしまう馬鹿な男なのだ。

「……雨に濡れて散歩なんて粋だな?」

 話しかける言葉も何処か控え目で、気高く自意識の強い男の常の様子を知っているからこそ何だか不思議に映る。
 そいつの意外な謙虚が、歯痒い時もあればくすぐったい時もあった。
 だが嫌いではないのだろう。
 縁と言えるほど深いものでもないけれど、天が与えた期があったからこそ出会うはずのなかった者との出会いがあったのかもしれない。
 これもまたいつかは罰と化し、己でも信じがたいほどの大きな痛みをこの身に残すだろう。

 それでも、そいつは壊れてやるものかと世界を嘲笑いながら天を駆ける覚悟をしていたから。

「情けなど無用ぞ、伊達……」
「俺が遠出したかった気分なんだ。付き合えよ」

 差し出された傘を断って歩き出した隣で、そいつは台詞とは裏腹に嬉しそうな顔をする。
 もう一度頭上にかざされたが、もう何も言う気は起こらない。
 濡れそぼっていた肩を掴まれて仄かに温かな体温が伝わる。

 何も言わないそいつは言わないままで、不器用な気遣いを寄せてくるから、反発心が生まれる前にじわりと内側へと沁み込んでしまうのだ。
 それはまるで、水の眷属といわれる竜の如く――。



 - END -


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雨だからこそ天に昇る竜と、雨の中で翼を休められない鷲。
(2009/6/13)


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