言葉無き睦み
毛利殿は、と幸村は一度言葉を区切って僅かに逡巡した。
宴の終わった場の空気はある意味で物悲しい。騒がしさから一変した静寂からそう思うばかりではなく、明日には皆再び命を取り合う戦場に帰らねばならぬという別れがあるからだ。
酒や肴が散乱としている大広間の惨状は、片付けをするだろう女達の頭を痛めるような状態だった。屍累々という風にあちらこちらで鼾が立ち上り、好き勝手に寝入ってしまっている。早々に別室へと帰っていった者は正解だろう。
酔いどれだらけの宴会の中、元より酒を自粛している元就と食い気の方が勝っていた幸村だけは潰れずに同じ姿勢のまま起きていた。
主賓たる元親と政宗は何やら論争を起こして過熱したらしく、最後は呑み比べで勝負したため伸びていた。常ならば側にいる佐助も身分差に自重し、大広間に入ることを辞している。
故に幸村は今元就と二人きりだった。
だからこそ、誰かがいればきっと訊けないだろう疑問をつい口にしてしまった。
元就は気まずげに視線を逸らした相手を訝しみ、少しだけ眉を寄せる。手元の作業は止めないまま、じっと幸村の続きの言葉を待った。
緊張しながらも幸村は彼の手元から目を離せず、どうしようかと散々迷う。
気長な性質ではない元就ではあるが、この場の寂々とした雰囲気があるからか相手が幸村なのかは分からないものの決して苛立った様子は無い。寧ろ穏やかにも思える。
その証拠に、滑らかに動く元就の手付きはあくまで優しげだ。本人は否定するかもしれないが幸村にはそう感じる。
大切な人を慈しむ、柔らかな仕草。
冷血だと誰しも非難する元就が見せる温かな片鱗に、幸村は幾度となく胸を高鳴らせた。この人はこんな顔もできるのかと最初は驚き、いつからか自分にも向けられればなどと浅ましいことを考えるようになった。
だがそれは元々、他の誰でもないたった一人のもの。
幸村が見たことのなかった一面を知る前からきっと、酷く一途に想いならがもその気持ちを否定したくて遠回りを続けてきただろう男のためのもの。
第三者からの介入により知り得た自分などよりも、ずっと前から遠くで元就を見ていた彼へと向けられていたのだ。
元就と彼が出会わなければ、今ここで刃も交えず語り合うことなぞ在り得なかっただろうことくらい馬鹿な自分にも分かっている。
だからこそ幸村は自分自身の気持ちなんて二の次にしたまま、別れの時を待つばかりの何ともいえないこの時間の中で凪いだ眼差しで見ることができるのだ。
毛利殿は、と幸村は再び口を開いた。
――その方を慕っておられるのですね。
静かに呟いた幸村の声音は、寝息に満ちた夜の空気を震わせた。
戦場では雄叫びを張り上げられるというのに妙に小さい声量。それが本当に元就の耳へと届いたのかどうかは定かではなかった。
けれど元就は冷水で濡らした手拭いを絞り直しながら、微かに苦笑を浮かべたのだった。
そしてまた、膝元へと乗せた茶色の頭へと手拭いをゆっくり乗せてやる。青褪めていた横顔は介抱されて随分と落ち着いているらしく、子供を宥めるように元就が胸元を一定の間隔で叩けば、安心したように顔が綻んだように見えた。
ただそれだけ。
意味ありげな言葉も視線も、交わしているところなんて一切見たことはなかったけれど――それだけで彼らが互いを大事に想っているか分かってしまう。
柄にもなく切なさを覚え、自分も酔い潰れるほど呑めばどうだったろうかと幸村は考えてみたが、そんな想像も馬鹿馬鹿しいとすぐさま打ち消すのだった。
今度、正々堂々と宣言してみよう。
結果的に玉砕しようとも、その方がよほど自分らしい告白の仕方だから。
そんなことを思いながら、今は二人きりのこの空間に浸った。
- END -
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幸村から見た伊達就。しんみりと片思い。
(2009/6/07)
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