取引


 今年も台風が猛威を揮い、元就は厳島の境内の改修工事に乗り出していた。
 いい加減、補修と補強で耐え凌ぐばかりではなく、腐蝕や劣化している箇所を建て直さなければならないと思ってはいるのだが、何せ海の上の社殿である。普通の神社のように大工を派遣させるだけでは儘ならず、木材の運び出し一つとってもなかなかの労力が必要である。
 毎年この時期になるとお抱えの職人達から提出される工事費には、顔には出さないものの正直頭を抱えっ放しである。
 幾ら肥沃で広大な中国の地であれど、それを支えるには様々な収益と出費の比例が高くなるのは致し方ない。
 戦続きである毛利は、城の修繕や兵士達を養う軍事費の割合は決して削れるものではない。抱える家臣団の数も半端ではなく、払う碌の量を変に弄ってしまうと不平不満が出る。かといって内政を疎かにしては、資本たる年貢すら少なくなる。無理に摂取しようとも元がなければ意味がない。
 乱世であるから他国を奪えば済む話のように思えるが、出兵にかかる見積もりを見るだけで溜息が漏れてしまう。戦をするにも金が要るのである。
 隣国の四国などは海賊稼業をしているため戦というより宝の強奪を繰り返しているらしく、それを商人に流して金にしているのだろう。
 ただ、堅実な元就から見れば、折角のそれをくだらないからくりに注ぎ込むという意図が全く理解できなかった。
 溜め込んでいるならばさっさと瀬戸内を越えて毟り取ってこようと考えたのだが、風の噂では長曾我部は火の車らしい。
 率直に阿呆かと思ってしまい、攻め出る気力も削がれた。
 商人達に金を借りようにも、信長が布いた楽市楽座のおかげで領内の主だった者達は皆出払っていたし、返す見通しが付かないこの状況では渋るに決まっているだろう。
 世間では恐れられている毛利だが、一皮向けばこの有様だ。
 元就は唸りながら何度も計算してみるが、部下達に提出させた報告書に書かれている内容と同じにしかならずに、暫くするとぱたりと筆を置いてしまった。

(本願寺に行くのは絶対に嫌だ……金……ん、金?)

 伏せていた顔をばっと上げて、控えていた小姓に出かける旨を伝えると足早に元就は執務室を出て行った。
 毛利領内の経済を支える大事な要所として石見銀山がある。
 今年は採掘量が減っていて、枯れるのではないかと懸念されているという報告が入っていたのだが郡山城を離れられなかった元就は、自分自身ではまだ視察に向かっていなかった。
 金はないが、銀はある。
 何とかそれで今回は賄えないだろうかと、あわよくばという希望を抱いて元就は馬を走らせた。



 * * *



「……貴様、何故いる」
「Good Morning, 朝から美人を拝めてLuckyだぜ」

 銀山に辿り着いた元就を迎えたのは、監督主に任じている者ではなく奥州の独眼竜であった。
 眉を顰めて嫌な顔をするものの政宗は気にした様子もなく、平服である元就の手をさっさと取上げてその甲へと口付けた。
 会う度にさせられる妙な挨拶には最早慣れてしまっていたが、相手がわざわざ奥州から朝の散歩に来るわけもないから元就は無視してもう一度詰め寄った。
 政宗は手を放さないまま肩を竦める。

「朝から仕事熱心だな。再会を喜んでくれるなんざ期待はしてねえけど」
「このような場所に独眼竜がいるなど訝しまぬ者がおるか」

 胡乱気に見つめても動じた様子もない政宗に溜息が思わず零れた。
 まともに取り合っても疲れるだけだ。
 元就は気持ちを切り替え、近くで困ったように佇んでいた従者に様子を聞いてくるよう命じた。
 此処からでも十分作業場が見えたから、自身は暫く観察することにする。
 その間も触れたままとなっている相手の手に気付き、元就は睨み上げようとした。
 だが逆に強く引かれ、驚く間もなく政宗の腕の中へと閉じ込められる。しまった、と元就は一瞬緊張を覚えたが、ふわりと柔らかな手付きで抱き締められてしまい違った意味で瞠目する。
 梅雨入りをした湿度の高さから互いにじっとりと汗ばんでいるため、常ならば香に紛れて気にならない政宗の体臭が微かに感じられる。向こうにも伝わっているのだろうと思うと、かっと頬に熱が集まった。
 朝霧に濡れている元就の髪に口を寄せていた政宗は、そんな元就の様子を楽しげに見下ろしていた。
 笑われたのが頭の感触から伝わり、何だか悔しくて元就は振り払おうと首を捻る。だが政宗は口の端をますますつり上げる。

「でもそんなアンタが堪らないぜ」
「っ!」

 振り向いたと同時に隻眼の男の顔が間近へと迫っており、元就は反射的に瞼を閉じて顔を背けようとした。
 だが好機を逃すわけもなく、後ろ手で阻止した政宗は遠慮なく己の唇を元就のそれへと落とした。
 湿った皮膚にぬるりと触れられ身体を退こうとするが、六爪を操る掌に項を抑え込まれては身動きが取れない。空いている手でどうにか押し退けようとしても、逆の手で片手を取られている状態では政宗はびくともしない。
 元就が抵抗している間にも、侵食しようとする舌は轟き続ける。
 息苦しさから鼻で呼吸をしようとするものの、先程嗅いだ政宗の匂いを思い出してしまいそれも出来ない。
 そうこうしているうちに身体は空気を求め、自然と頑なに閉じていた唇を震えて小さく解かれてしまう。
 呼吸は出来たが、同時に相手の舌がするりと入り込んできて元就は瞼を勢いよく開けた。
 獲物を狙うような必死な政宗の一つ目と視線が交わった。
 瞬きすら忘れて凝視してしまったため注意が向かなかった口内はすっかり蹂躙され、噛み締めようにも既に顎に力が入らなくなった。

「んっ……」

 息も絶え絶えになった元就に気を良くしたのか、政宗はようやく解放した。
 そのままずるりと崩れそうになる細い身体を抱き留めて、機嫌よく鼻歌を歌いながら震える背中を軽く撫でる。
 強引に口吸いをするくせに、あくまで触れる手付きは柔らかい。
 一体何のためにこんなことをするのかさっぱり分からないが、足繁く自分の元へ通ってくる政宗は時折少し過剰な接触を楽しむ節がある。甲への口付けが挨拶だと言われたからこれもその延長なのだろうかと考えるが、違うように思える。
 啄ばむだけだった接吻もいつの間にか濃厚なものを交わすようになり、流石に止めろと言いたかったが、彼の触れ方は変わらずに優しくて何だか自分だけが勝手に意識していると考えてしまい本気で抵抗できた試しがなかった。
 呆れながら嘆息を吐き出すと、政宗はにやりと笑う。

「何だ腰砕けちまったかよ?」
「貴様は馬鹿か。もう放せっ!」

 視察に来たというのに一体何を朝っぱらからしているのだと、元就はやや憤慨気味に捲くし立てながら歩き出そうとした。

「こっから見なくていいのか」
「煩い独眼竜。さっさと国に――いや、そうだった。貴様の目的をまだ訊いておらぬではないか」

 問い掛けをさっさと切り捨てようとしたが、はたと先程のやり取りを思い出して元就は振り返る。
 近くの旅籠で従者は待たせているのだろうか。政宗は一人だった。無論何処ぞの大名だなんて分かりようもない旅装束ではあるが、腰に下げている六刀と眼帯を見れば伊達政宗その人であることが明白である。
 この西国であれば風貌はあまり伝わっていないから、この格好でもふらつけるのだろうが、元就のような地位にいる者であれば一目で分かる。
 明確な敵対者ではないもののいつ戦うか分からぬ者同士だ。
 元就がその気になればすぐにでも捕らえられるのだが、政宗は気にした風もなかった。
 信用されているのか軽く見られているのか、どちらにしろ政宗が無用心であることは変わりない。
 それを指摘すると政宗は可笑しげに目を細めた。

「触れても怒らねぇアンタに言われても困るよ」

 図星を指された気分に陥り、元就は二の句も紡げず黙った。
 そういえば頬の火照りは冷めているだろうか。
 従者がそろそろ戻ってくるかもしれない。いつも通りに装わねば、政宗に何かされたと勘違い――いや実際されてはいるのだが別に実害はないため、妙に騒ぎ立てられても鬱陶しい。
 そんな元就を尻目に、政宗は銀山へと目を逸らした。

「石見は採掘量が多いと聞いたんでな。見に行くっつたら小十郎にはしこたま説教されたぜ」
「それでわざわざ西国まで? 確か銀山なら上杉の所にも……」
「アンタに遭える折角の口実だ。此処じゃないと意味が無い」

 やけに真剣な顔付きで見つめられてしまい、元就は口を噤んだ。
 伊達の治める奥州でも豊富な資源が掘られている。遠国であるが故に早々戦は仕掛けられないだろうと最初は眼中になかったが、政宗に絡まれるようになってからは伊達の情報も取り入れている。あの辺りでは確か銀も金も採掘できたはずだと思い当たり、此処まで来なくともよいだろうと純粋な疑問だったのだが――。
 何と言えば良いのか検討も付かず、仕方ないから元就は黙り込むことしか出来なかった。
 黙することもまた答えという言葉があるが、政宗はそんな元就の態度を都合よく捉えたらしく表情を不意に崩した。

「まあともかく、毛利の財政調べに来たとか銀山奪おうとかそういうために来たわけじゃねえよ。安心しな」

 悪戯が成功した子供のような顔で政宗は笑う。
 大人びた相貌から微かに覗く歳相応の雰囲気は嫌いじゃない。
 随分と毒されてしまったと自戒してみるが、抱き締められる腕が段々と心地良く感じている時点でもう撤回は出来ないのだろう。
 警戒心は完全に解かれないが、これ以上構うのも時間の無駄だと元就は相槌を返して再び銀山の方へと向かった。


 だいぶ日も上がり、報告と監査を交えての視察を終えて出てきた元就は、脱力を覚えていた。
 やはり帳尻が合わない。
 幸い採掘が不足しているわけではなかったが、加工や売買を考えていくと今回も修繕工事だけで終わりそうだ。改装するには暫く溜めておかねばならないだろう。が、金は不意に必要となるものである。今でさえ質素堅実を謳っていても、切り崩して戻らないという状況である。
 大きな台風や災害が起こってしまえば、それこそ復旧作業で使ってしまうだろう。
 比較的に穏やかであるこの時期に何とかしてしまわないと愛する厳島の社が崩れてしまう。そんな焦りに追いかけられ、元就は苛立ちながらも困り果てた。

「……まだいたのか貴様は」

 先程と同じ場所にまだ政宗がいて、元就はさらに疲労を感じた。

「アンタの事だからきりきり働かせてばかりだと思っていたんだが、効率よく交替してて切り盛りが巧いな。踏鞴も見ようかと思ってたが余所者がうろつくと目を付けられるし、どうせなら此処で待っていようかと」
「しっかり調べておるではないか」
「学んでいると言ってくれ」

 自国ではないくせにすっかり寛いでいる政宗にまたしも溜息を吐きたくなったが、ふと思い立ち元就は姿勢を正した。
 採掘量云々はともかくとして伊達領でも金銀が取れるのは事実だ。彼方此方の戦を渡り歩くくせに羽振りが良いから、それなりに財政は安定しているのだろう。何より奥州の発展には目覚しいものがあるから、記録上の石より実際はもっと豊かなはずだ。
 冬は閉ざされる土地であるから、これから夏に差し掛かるこの季節など活気付いているに違いない。
 別にわざわざ瀬戸内を渡らなくとも、伊達の当主は目の前にいる。
 これから搾取すれば良いのではないだろうか。

「独眼竜、見てゆく代わりに山を寄越せ」
「それじゃあ本末転倒じゃねぇかよ。何、もしかして銀が足りないのか?」

 滲む汗を拭いながら元就は口を噤む。
 割りに合わないのは分かっている。奥州の山を得ても離れ過ぎているから運用するにも一苦労だろうから、結局は解決にはならない。
 それに今欲しいのは資金である。
 政宗を人質に伊達からせしめるのも面倒だし、なるべくなら下手な後腐れがない方が効率的だ。下から上まで値踏みしてみても、所持金も大して持っていないのが明白である。
 やはり何処かに襲撃をかけなければいけないのだろうかと、山賊のような物騒な事を考えながら元就は頭を抱えた。
 ともかく一度休みに戻ろう。こうも蒸し暑いと考えも纏まらない。
 従者に命じて寄宿している屋敷へ戻ろうとすると、暫く元就を見ていた政宗が呼び止めた。

「山はやれねえけど、工面してやらないこともないぜ?」

 可笑しげに口元に弧を描かれ、気に障る。
 願ってもいない申し出であるが政宗の意味不明な行動に振り回されている元就としては、信用ならない言葉である。

「施しは受けぬ」
「そう邪険にするなよ。社の工事が滞っているらしいじゃねえか」

 石見にいる時点で厳島の様子は知られているかもしれないと覚悟していたが、こうも突き付けられると反発したくなる。しかし事実は事実なのだ。ぐっと文句を耐え、元就は政宗が何を考えているのか知るべく眼を合わせる。
 隻眼が一瞬だけ躊躇したように揺らいだが、すぐに閉ざされてしまう。再び開かれた時には真摯な色が奥へ隠され、いつもの皮肉気な笑みを政宗は貼り付かせた。

「ここは一つTradeといこうじゃねえか、詭計智将さんよぉ?」
 取引と言われて思わず顔を顰めたが、奔走するにも飽いたところだ。確実な方法であれば手段を問うている時間など無い。
 今のところ政宗が本気でこの毛利に攻め込む気がないのは承知であるし、遠出までして遊学できるほどには向こうも余裕があるはずだ。難儀な条件は提示されないだろう。
 だがすぐにでも応と答えるのは癪だ。
 元就は渋い顔付きのまま、提案されたものの代価を尋ねた。

「今晩俺と付き合えよ」
「……は?」

 唖然として自分を見返してくる元就に苦笑しながら、政宗は手を伸ばす。些か乱暴な仕草で腕を掴まれたが、相手の意図が読めずに元就はじっと政宗を見上げるしかない。
 そうこうしている間に政宗との距離は縮まる。
 先程された行為への既視感に、元就は振り切ろうともがいたが既に遅かった。
 再び唇が重ねられる直前、政宗は嘲笑いながら囁いた。

「アンタを抱きたいって言ってんだよ」

 言葉の衝撃に打ち震える前に、述べようとした反論は全て竜の舌へと絡み取られた。
 殴ろうかと握り締めていた元就の拳だったが、やがては勢いを失ってのろのろと下げられていく。

 政宗の言っている事は正しい。
 何の酔狂かは不明だったが、たかが孕みもしない貧相な男の身体如き一晩くれてやるだけで現状を打開できるというのならば、このまま苦悩し続けて彷徨うより合理的と言える。
 だが屈辱は変わらない。金のために女のように扱われるなど何の冗談だと本気で思ったし、寝首を掻き切ってやりたいと苛立ちが込み上げた。
 ――しかし憔悴している思考には、この安易な取引が魅力的に映ってしまったのも確かな事。

 毛利を守るためだと言い聞かせ、のぼせ上がるような微熱を持った身体を抱き締められながら元就は口付けの合間にこくりと頷く。
 瞼をきつく瞑っていたため、それを見ていた政宗の表情がどんなものであったのか、彼は知らない。



 * * *



 付き人達を寄宿先へと返した元就は、一人で政宗のいる旅籠へと入っていった。
 改めて別室を借りたのだろうか。政宗の他には気配がしない。

「……貴様のお守りは」
「下がらせた。明朝まで誰も来ないぜ」

 のんびりと窓辺で煙管を吹かしながら出迎えた男は、受け答えのためにちらりと一瞥したが再び外へと顔を向ける。
 誘ったのは其方だというのに妙な態度が引っ掛かったが、これは取引だ。余計な探りをいれても仕方が無い。
 元就は部屋の中を見渡した。
 手入れの届いた良い室だと言えたが、隅に布団が畳まれていることに自然と眦が強張る。本当にそれだけのために呼ばれたのだと思うと、何故か落胆を覚えた。
 そんな風に感じてしまった自分自身に驚きを隠せず、元就は複雑な心中を押し隠すように政宗の背中から視線を逸らした。

「さてと、頃合だ。行くか」

 黄昏に染められていた町並みを眺めていた政宗は、煙管の灰を落として立ち上がった。
 夕暮れの空を背にした男のしなやかな掌が、俯いていた元就の前へと差し出される。
 訝しみながら顔を上げると、楽しげな政宗の口元が大きくつり上げられた。


 宿を出ると一層通りの暗さが際立って見える。
 政宗は自ら小さな灯火を携え、元就の手を引いた。
 空はまだ若干明るかったが足元は闇に浸かり始めていて、家路につく人々の姿はもうなかった。京のような華やかさがあれば宵もまた人通りがあったかもしれないが、鉱山の麓の町になど大した娯楽も無い。
 戸が閉められた狭い通りには野良猫の影すら見当たらなかった。

 そんな町中へ、わざわざ繰り出した政宗の神経が判らない。
 そもそも抱きたいといったのは向こうの方なのに、何故今こうして外へ出てきたのだろうか。
 疑問へ答えを出すのが追いつかないまま、元就は大人しく政宗に引かれるがまま歩いていく。
 文句や不満の一言でもいつもであれば出てくるのに、浮かんでは霧散して声にならない。今すぐ手を叩き落として帰れば、政宗の気迷いとて覚めるはずなのに。

 どうしてだろう。離しがたくて堪らない。
 ――こんなにも長く近くにいたのが初めてだったからだろうか。
 時折触れる肩先に、いちいち背中が震えた。
 人の気配が絶えたことを十分確認してから、不意に政宗は元就の手を取った。
 思わぬ触れ方に驚き声を上げそうになったが、こちら側からでは政宗がどんな顔をしているのか分からない。
 眼帯と長い前髪で隠された相貌は、灯篭の火にぼんやりと照らされて深い影に沈むばかり。ちらりと時折元就がそこにいるか確認するべくして視線を寄越すが、闇の中に浮かび上がる白い輪郭はやけに強張ってみえた。

「独眼竜、何処へ行こうというのだ」
「当てはねぇよ。散歩だからな」

 どんどん人気のない方向へと進んでいくことに僅かばかりの不安な込み上げた。当惑しながら聞いてみたものの、ぶっきら棒な返答は確かな答えを与えてはくれない。
 宵闇の景色など真っ暗で何も見えやしない。それとも潰れた眼を内包する竜には人と違った世界が、日輪の光さえ届かぬ夜の刻で垣間見る事が出来るのか。
 繋いだ掌が徐々に汗ばんでいく。どちらか分からぬ汗が交わり、火傷しているようにじくじくと熱を膿む。熱さを振り払おうと指先を身じろがせれば、逃がさぬようにと云わんばかりに政宗の胼胝だらけの皮膚がより強く絡められた。
 思わぬ強さにはっとして顔を上げると、相変わらず政宗は前を向いたままだった。

 そういえば昼夜問わず遭うたびに政宗は甲へと気障ったらしい仕草で触れてくるが、こうして手と手で繋ぎ合わせたことは一度たりともなかった。
 無理やりに口を吸う時に引き寄せられるのは肩や腕、抱き締められるのは腰や背中。
 半ば強引に事を運ぼうとするくせに、まるで神聖なものに触れるように掌を絡め取ることを怖れていた風でもあった。

「……何故、手を握る?」

 政宗は答えない。
 ただ、絡め合う指先に力がさらに篭められたことを感じた。片手で三本の刀を握り込む握力は凄まじく、元就の細い指の骨が軽く軋んだ。

 誰もいない町中をから整備の進んだ街道へと出てからぐるりと宿へ戻っていく道すがら、政宗が照らし出す灯りだけを頼りに進むのは決して苦ではなかった。放すまいと握り込まれた手が少しだけ痛んだが、熱病に侵された様に激しく脈打つ鼓動の音の方が煩くて、痛覚さえも麻痺したかのように気にならない。

 片時も離れずに触れたままの手首からは、絶え間なく政宗の鼓動も感じられる。
 それが自分と同じように平素よりも早く聞こえてきて、ようやく元就は気付いた。
 横顔から窺える口元は噛み締めるようにきつく結ばれたままで、いつもならばよく回るというのに元就が何か聞かねば一向に喋ろうともしない。
 怒っているようにも見えるそれに疑問を感じていたが、何てことはない。
 自分を振り回してばかりいたはずのこの男は今、緊張しているのだ。昼間よりも格段に口数が減っていたのもそのせいだ。
 ――いつも年下のくせに余裕ぶっているくせに。
 元就は不意にくすりと笑みを零してしまった。
 これから代価のために犯されることを分かっていながらも、不思議と心は凪いでいた。
 嫌いではないと思っていた。触れられても妙に身体が熱くなるだけで、その感覚を持て余すことに戸惑いを覚えてはいたが普段他人に感じるような嫌悪を微塵も浮かばなかった。むしろ簡単に許していたことを思えば、微かに期待さえも抱いていたのかもしれない。
 それはつまり、嫌いではないのを通り過ぎて既に惹かれていることに他ならないのではないか――。
 こんな時に気付いてしまうなんて、何て間の悪いことだ。
 自嘲気味に笑い声を漏らすと、政宗が訝しげに振り返った。

「伊達、我の貧相な肢体なぞ抱いても柔くはないぞ。女の代わりに興味があるだけであらば悪いことは言わぬ、止めておけ」

 初めて名を呼ばれて少し驚いた様子で瞠目した政宗だったが、紡がれた言葉に予想外なほど向きになって反論した。
 夜の静寂に政宗の声が響く。

「んな戯言いつ言った!? 俺はアンタを抱きたいって確かにそう告げたはずだ!」
「伊達?」

 癇癪を起こした子供のように声を荒げた政宗は、慌てて声を抑えてそっぽを向く。口内でもごもごと何事かを呟いていたが、元就に届いたのは痛々しい悔しさが滲んだ一言だけだった。

「ちくしょう……」

 その声は涙で掠れていたように聞こえた。



 握った手を掬い上げてそのまま元就を横抱きにすると、二人で並んで歩いていたのが嘘のような速度で政宗は宿までの道を直走った。
 持ち上げられたことに吃驚する暇もなく、元就は政宗の部屋へと押し込まれた。
 投げ出された身体は、宿の仲居が敷いていったのだろう畳まれていたはずの布団の上へと倒れこむ。身を起こそうとしたものの間髪入れずに政宗に覆い被され、腕を抑え付けられてしまえば身動きが取れなくなった。
 抵抗を示す間もなく、吐息を奪うような口付けが重ねられた。昼間のような甘さは微塵も感じられない。歯に食い破られた唇から血が滲み、舐め取られた舌も無理やり刺激を促すように噛まれる。
 上から体重をかけながら、その間に節の太い指先が元就の肌の上を無遠慮に這い回っていく。徐々に強張りが弛緩してきたことを見計らいようやく口を放すと、呼吸に喘ぐ元就を無視して政宗は開けた襦袢から覗く白い胸元へと舌を這わせた。

 形式に拘る男ではあったが、こうして獣じみた面も持ち合わせているのかと元就は場違いな感想を抱いた。
 貪欲に求めようとする様は余裕がないこと表われか。
 普段触れてきていたこの男のやり口は、ああ見えてとても優しかったのだと気付く。好き勝手にしている風でありながら気遣われていた。今だって――取引を盾に弄れば良いものの、政宗は一切喋らないまま行為を続けている。
 ただ時折、呼びかけられた。

 毛利ではなく元就、と。

 甘露のように舌で転がされる己の名を耳にしながら、元就は乱れていく呼吸の中で切なげに目を細める。
 常よりもさらに押し殺されたような低い声音に身震いしたが、政宗はそれに気付かず胸の尖りを舐め取り、忍ばせていた手を下肢へと深く潜らせていく。
 性急な行為ではあるのに、女を知らぬはずのない政宗にしてはそれが妙にたどたどしく感じられる。欲しいと躍起になっていながらもどことなく躊躇しているような、或いはこのありえない現実が少しでも長引いて欲しいという懇願のような――。

「頼む。今だけは、今だけでいいから俺のことだけを考えていてくれ」

 ぼんやりとしていた元就を焦燥を孕んだ目で見上げた政宗が、行為に中で吐き出した台詞は結局それだけだった。
 灯篭の火の揺らめきが生み出した幻だったのかもしれないが、熱に急かされたその片目は潤んでいたと元就には思えた。



 * * *



 あれからすぐのことだった。名義のない大判の詰まった箱が送られてきて、毛利の家中は驚愕の声を上げた。
 元就だけは一人騒ぐことなく、すぐさま国政に回すよう命じる。
 これで嵐が訪れる前に工事も滞りなく進められるだろう。難事はとりあえず過ぎ去った。

 自室に戻った元就は筆を取る。
 奥州の鉱山は如何しただろうかと紙に書き付け出し、それから元就は意地が悪い笑みを浮かべて続きを記してゆく。
 ――金銀の出が良くなり国庫が潤ったのならば我が方のおかげだろう。その礼節を弁えるつもりがあらば、安芸まで参るがよい。
 そうやって暗に口説きに来いと示唆する手紙を読んだ政宗は卒倒するだろうか。
 そして、想いは同じだと気付いてくれるだろうか。
 元就は文をしたため、自分に呆れたような溜息を吐き出した。

「手緩い取引よの……これならば山を強請れば、ほいほいとくれてやりそうなものだがな」

 くつくつと笑いながら、それでも再びあの恋情には消極的な仔竜に会えることを願っているのは自覚している。
 政宗は一度でいいと決めていたのかもしれないが、一度で治まらなかったのは元就の方だとそろそろ気付かせなければならないだろう。



 - END -


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いつもよりも筆頭がやる気になっている話を書きたかったです。あと金山銀山絡みも。
伊達政宗といえば大判。中国といえば石見。そんな感じ。
(2009/6/04〜6/25)


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