これ以上は望めなかった


 ようやく捕まえたと思ったのに。

 その瞳に映らないことがもどかしくて、絶対に此方を向かせてやると決意した。何度罵声を浴びようとも一度だって諦めたことはなかった。
 お前が放っておけなくて。本当に一人で構わないのならば、どうしてそんなに苦しい顔をするのだと問い掛けたかった。
 孤独というものが如何に堪えるのか、知っている。
 周りにどれほどの仲間がいても、自分は寂しくないと言い聞かせても、身体の内側がぽかりと空いてしまう感覚は消せようが無い。
 だからお前を見た時、言葉を交わした時、俺はきっとお前といつか分かり合えるはずだと天啓にも似た匂いを感じ取った。
 高みに佇むが故の孤立を、お前はどうしようもないほど知っていたから。
 俺はその時、お前の中の孤独を埋めたいという気になっていながらも――本当は俺の寂しさをお前に払って欲しかったのだと、今さらながら知ってしまったけれども。
 きっと、そんな俺の利己的な願いがお前には悟られていたのかもしれない。
 触れても怒られることがなくなって、他愛も無い話をするようになって、受け入れてくれていることがただ嬉しかっただけで。それはお前の事を考えてじゃなくて、単に俺が押し付けがましくあっただけだったのか。
 そうでもしないとお前の壁の内側にはいけないと思い込んでいた俺は、愚かだったのだろうか。

 捕まえたと思ったのに。
 ――お前は最後の最後で俺を拒絶した。

「……すまねぇ」
「……いや」

 抱き込んでいた身体は突っ撥ねられた体勢のままだったから、俺は腕の力を抜いて放してやった。
 仰け反っていたお前はそのまま床に手を付き、顔を背けたまま小さくかぶりをふった。けれど俺は先程の蒼白となり強張った表情を忘れられず、小さく震えているお前の拳をただ力なく見下ろすだけだった。

 此処が俺の踏み込むことのできる境界線。

 抱き締めても鬱陶しがられるだけで振り払われたことはもう随分昔のことで、美しい横顔へと手を伸ばしても訝しまれるだけだった。だから自然とそういう雰囲気になったのも、在り得ない話ではなかった。
 顔が近付いた分、期待はあった。
 けれど俺が口付けようとする気配を察したお前は、最初の触れ合いの拒絶以上に抵抗した。
 映りたくて仕方なかったあの目には意外なことに、嫌悪よりも怯えの色が灯されていて、俺は夢心地から正気に戻されたような気分に陥った。

 泣くのかと、思った。
 お前が泣く所なんて一度も見たことが無いのに、そう、思えた。

 俺はそれだけで分かっちまった。
 俺じゃない誰かを、そいつを、お前は大切にしたいんだよな。お前を想う俺と、おんなじように。

 少し落ち着いたのかお前は立ち上がり、室内に漂う温い空気を入れ替えるように戸を勢いよく開いた。
 昼間の光が、少し薄暗かった座敷に差し込まれていく。
 片目を細めた俺は、逆光を背に受けながら立つお前を見上げた。

「今日は、もう帰るがよい。……我は」

 一度言葉を噤んだお前が今どんな顔をしているのか気になったが、俺には知る権利なんてないのだろう。
 境界線の向こうに誰もいないのならば、俺が一番に本当のお前を捕まえに行くつもりだったのに。
 お前には、もう――。

「我は貴様が訪れることを、いつも少しだけ、期待してしまっている。だから……」
「いいんだ、もう言わなくていい」

 どう言えばいいのか、親しい相手がずっといなかっただろうお前が今何を言いたいのかそれくらい分かるつもりだ。
 遮った俺に勘違いしたのかお前が少しばかり肩を強張らせたから、俺は立ち上がってその痩身を精一杯抱き締めてやった。
 そうしないと、俺の方が悲しくて堪らなかった。

「あんたにそう思われているなら俺は十分だぜ。ごめん、もう平気だから、な?」

 傷付いたのは俺もお前も同じ。
 だけど思いがけないほど、お前は俺との関係を大事にしてくれていたのだと分かったから、俺は十分すぎるほど幸せ者だ。
 ――唇に触れられたのならば多分、世界一だって海に叫べただろうけれど。
 一番じゃなくても、お前は自分の中に入れてしまったものは無下にできない損な性格だって分かっている。諦めるなんて俺の主義に反するが、だからといって綺麗な形を壊してまで宝を得ようなんて気はない。
 代償に喪うものは、ようやく最近花開くようになったお前の心だから。
 孤独を埋めるのは決して愛しいものだけじゃない。
 少なくとも今だけは、お前は俺と同じ場所に立ってくれているというのが分かるから。

「なあ、そいつがさ、あんたを泣かせるようなことがあったら俺に言えよ? いつでも引っ叩くなり、謝らせるなりしてやるからよぉ」
「ふふ、そうだな。頼りにさせてもらおうか」

 小さく笑ってくれた気配に、泣きたくなるくらい嬉しくて。
 無意識の内に左側の肩口へとそっと頭を寄せる仕草が愛しく思えると同時に、嗚呼どうして俺ではなかったのだろうと少しだけ哀しい。こんな時、きっとそいつは俺が晒せない左目で、お前の微笑みを見つめているのだろうと思うと口の端をきつく噛み締めてしまった。
 けれど恋心をしまい込んだ俺には、背中に回した腕をそっと強めることしかできなかった。

 一番好きな人にはなれなくても。
 多分、俺は、お前の初めての絆を紡げた。
 ――それはあいつにも真似できない、俺だけのもの。これからも変わらない唯一だから。



 - END -


...............................................................................................................
近くにいられるからこそ辛い元親の心情。
(2009/6/02)


←←←Back