幼き蛟は鷲を見た
1:出会い編
外に出たがらないいじけ虫の梵天丸ではあるが、活発な時宗丸に手を引かれて人気の少ない場所で遊ぶことがあった。
時宗丸は醜く飛び出した梵天丸の右目は、病と闘った証であると重々承知していたから決して陰口を叩くことは無い。梵天丸を兄のように見てながらも、将来の主君であると物心がつく年頃であるからきちんと判別をつけているのだろう。
きっと良い主従になる。
守役の小十郎は、弱々しいながらも時宗丸に笑顔を浮かべている梵天丸を寺の濡縁からにこにこと眺めていた。
「すまぬ、虎哉殿は不在であろうか」
聞き慣れない声に客人だろうかと小十郎が振り返ると、表の境内から平服を纏った若い男がひょいと覗き込んでいた。
装いからして武家の者なのだろうが、そのたおやかな容姿は東国では滅多に目にかかれぬ高貴な雰囲気を思わせる。
寺の裏手で子供達を遊ばせている間に留守を任せられている小十郎は頷いた。
いつもならば小坊主の一人でも居残っているのだが、今日は皆和尚と共に出かけている。といっても長くはないのであと半刻もあれば戻ってくるのだが。
その旨を伝えていると、客人に気付いた時宗丸が梵天丸を連れて小十郎の側までやってきた。
小十郎の足元に隠れるように顔を出す梵天丸に、相手の男は目を細める。
「では半刻ほど待たせてもらう。……そこの子が梵天丸殿か。輝宗殿から聞いておる」
「殿から? もしや貴方は今朝方西から来られたお客人ですか」
「うむ。しばしこの地にて世話になる」
少しだけ警戒していた小十郎だったが、話は聞いていたため佇まいを正し慌てて礼をする。
不思議そうに時宗丸がそれを見上げていたが、小十郎が頭を下げるのだから自分もそうした方がいいのだろうと思いぺこりと頭を垂れた。
残されてしまった梵天丸は、おろおろと二人を交互に見つめていたが、見知らぬ男から自分に注がれている視線が恐ろしくて溜まらずに小十郎の後ろへと完全に隠れてしまう。
「あっこら、梵天丸様! きちんと挨拶しなさい!」
首根っこを引っ張り上げようとする小十郎に精一杯抵抗しながら、梵天丸は首を横に振る。
何とも情け無い姿を見られてしまい、小十郎の方が恥ずかしくなってきてしまうのだが世話係の宿命だと少年は黙って受け入れるしかない。
そんなやり取りを眺めていた男は、不意に笑い声を零した。
梵天丸は思わず左目を見開いた。
切れ長の瞳は綺麗だったが何だか自分を睨んでいるような気がして怖かった。顔も男にしては白く整っており、何だか自分の母親のように凄味のある美しさがあったからどうしても尻込みしてしまった。
しかし耐え切れずに笑い始めた男は、そうしてみると随分印象が違うように見える。
そこまで考えた梵天丸は、少しばかり反省を覚えた。
外見だけでどうこう思われるなんて、自分が一番嫌いだというのにその尺で推し量ってしまったことに自己嫌悪さえも浮かぶ。
涙を滲ませた梵天丸に気付いた男は、眉を寄せて少し困ったように笑った。
「すまない。意気地の無い子だと聞いていたが、なかなか頑固ではないか。将来は立派な跡目になるだろう」
「……おまえ、は、これをなんとも思わないのか」
彼をどう呼べばいいのか分からないまま、梵天丸は思わず尋ねた。
自分と初対面の者は皆一様に顔を歪めるか、妙なおべっかを垂れるのだ。
けれど男は笑った。爛れた右側などまるで無いもののように話す。
それが不思議で、気付けば口に出していた。
「? 戦では邪魔になりそうだな。重くないか」
すると向こうも不思議そうに小首を傾げるのだから、可笑しい。
梵天丸はむずむずとしたものが込み上げてくるのを感じて、溜まらず噴き出した。
そんな御曹子の姿を見るのは珍しいもので、小十郎も時宗丸も驚いて顔を見合わせる。
梵天丸は久方ぶりに声を出して笑った。
* * *
「ってなことが昔あったような気がする」
「……」
褥の睦言には似合わぬ昔話に、元就は思わず布団の中へと潜り込みたい衝動に駆られた。
しかし竜の逞しい両腕でがっちりと抱かれていては身動きも取れず、今は眼球が無くなってしまった右目を眺めながら聞き続ける他なかった。
「昔のアンタはよく笑ってくれたよな。普段の涼しい顔はあんまり今と変わらないが」
「貴様は……暗かったな」
「うっ」
先に掘り出してきたのは政宗だが、元就も黙っているほど優しくはない。
お互いにあまり良いとはいえない頃の思い出である。
とはいえ、政宗はあの日の衝撃を忘れられなかった。
そして――再会した時の衝撃も。
「ずーっと聞きたかったんだが、アンタ一体何歳――」
つり上がった目にじろりと睨まれ、政宗はすごすごと言葉を切って布団に潜り込んだ。
話を切り上げられてご満悦な元就の手が頭を撫でた感触がする。
ああ、と政宗は布団の中で溜息を付いた。
ちびの時に会ってしまったものだから、いつまでたってもこんな風に子供扱いされるのか。すっかり大人になって、今では元就を全身で抱きとめられるというのに。
情事の後の気だるげな空気を吸いつつ、それでも撫でられることが嫌いじゃない自分がいるのだから、まあいっか、と政宗は口の端をつり上げながら眠りにつくのだった。
- END -
...............................................................................................................
とんでも設定ですみません。
進展編とかお別れ編とか色々あるのでそのうちに。
(2009/5/27)
←←←Back