Hoist the flag



 身体中から血液が抜けていく感覚は、虚脱感にとても良く似ている。魂が抜け出るということは、こんな感じなのかもしれない。
 信親は口の端をつり上げ、目の前の蒼い男を見る。
 そう歳も変わらぬ奥州の覇者は、片目でじっと信親を見つめていた。殺気も敵意もそこにはない。静かに鋭い眼光が揺らめいている。
 霞む視界の中で、信親は父の背を思い返した。
 情が深く大らかな彼は、沢山の仲間に囲まれていた。それを信親はすぐ側でずっと見て育った。元親がどれだけ彼らに好かれているのか、一番理解していると自負しているくらいには。
 だから、分かってしまった。
 多くの人々に囲まれる元親が、時折寂しそうに瀬戸海を眺めていたことを。
 ――それは、独りは慣れているのだと言いながら元親の帰りを待っていた、元就の目と同じ色を灯していた。

 人は誰かたった一人にでも愛され、愛すことができれば幸せなのだと何処かで聞いたことがあるけれど。それだけで完結する世界は、とても哀しいものなのではないのだろうか。
 でなければ。
 囲い、囲われたあの二人は。
 どうしてあんなに寂しそうな目をするのだろうか。
 ――目の前の男にもそれは言えることで。

「伊達殿。四国を、どうするおつもりでしょうか」

 絶え絶えになる呼吸を抑えながら、信親は政宗の籠手を握る手に力を込めた。
 この戦は長曾我部から仕掛けられたものだ。自己防衛のために伊達は戦いだした。だからこの質問は的を射ていない。
 けれど政宗は知っているのだと、直感的に思えた。彼は元親の犯している罪も、その奥に隠している宝物の存在のことも承知の上でこの戦を受けたのだろう。
 何よりも彼の瞳が物語るのだ。求めて止まないものが、政宗にもあったのだと。
 ――父は戦場を脱した頃だろうか。彼の人の元へ、無事に辿り着ければ良いのだけれども。
 喧騒の中では情報の伝達もままならない。

「箱庭の柵を壊しに来た。そう言えば、分かるか」

 政宗は表情を変えずに答えた。
 やはり、という思いが信親の中に駆け巡った。
 政宗は知っているのだ、元親のことも元就のことも。
 信親は手をそっと放す。独眼竜の返答に一気に安堵が零れ、力が抜け落ちていく感覚がした。死ぬ気は全く無かった。ただ、もう立っている気力は残されてはいなかった。
 慌てたような政宗の顔が霞む視界の中に見える。
 大丈夫だと、感じた。きっと彼は誰も無闇に殺す気はないのだと、それだけで理解できたから。
 最後の力を振り絞るように、信親は戦闘の停止を叫んだ。
 これ以上仲間を失くさないために。政宗が成そうとしていることを、見届けるために。
 信親の記憶は、そこで途絶えた。



 次に目を覚ましたのは、天幕の中だった。
 顔を覗き込んでいたのは先程も相対していた政宗と、その傍らに立つ長身の従者だった。影のように寄り添う男はきっと、片倉小十郎なのだろうと思いながら、信親は身体を起こそうとした。
 激痛が全身を走りぬけ、それは叶わなかったが。

「無茶する奴だぜ。嫌いじゃねえがな」

 口元に弧を描いた政宗に笑いかけ、信親はどうにか首だけを動かした。
 腹には包帯が幾重にも巻かれているようだ。治療をしてくれている所を見ると、やはり政宗は自分達を殺す気がないのだと分かる。

「皆は無事でしょうか」
「No problem. この戦はまあ喧嘩みたいなもんだ。無駄に命取り合っても仕方ねぇだろうが」

 アンタは真面目な奴だな、と政宗が軽口を叩く。隣に立つ小十郎はそれを呆れたように睨んだが、飄々としている主を見て溜息一つ零しただけだった。
 それを見上げていた信親は、可笑しくてくすりと笑った。
 元親から政宗のことは聞かされてはいたが、小十郎とのやり取りはまるで元親と自分だ。確かに政宗は元親と似ていると実感する。
 笑われていることに気付いた政宗は、決まりの悪そうな顔をした。

「アンタに会わせておきたい奴がいる。俺が何故四国まで進軍したのか、嫡子のアンタには教えておかなくちゃ筋が通らねぇからな」

 そう言い残して天幕を出て行った政宗を見送ると、小十郎がこっそりと耳打ちしてきた。
 政宗は信親を気に入ったらしい、と彼は苦笑していた。


 毛利隆元以下、毛利の者達が生きていたことに信親は涙を浮かべるほど嬉しくなった。
 絶望だけを映して暗い顔ばかりをしていた元就。
 彼が自分を通して、家族らの面影を追っていたことには前から気付いていた。けれど信親は本物にはなれなかった。それが歯痒かったが、元就が探していた人々は全て死に絶えたわけではないと分かり、心底から安堵感が込み上げた。
 それと同時に――父への思いが湧き上がる。
 元就に帰る場所があると知ったら、狂気の渦に飲み込まれかけている元親は何をするか分からない。信親に向けた嫉妬心のように、また元就を無意味に傷つけてしまうかもしれない。
 そして、元就がいなくなってしまうことにどれほど嘆くだろう。
 息も出来ないくらいに泣き叫ぶだろうか。また寂しい瞳で、何処か遠くを見るのだろうか。

 元親にはただ、諦めるな、と言い聞かせた。
 元就と分かり合える道も、愛し合える道も、信親から見れば確かに存在していた。
 元親が思うほど、元就は彼のことを見ていないわけではない。怖がって、自分の中で完結させている元親が愚かだと思えるほど、元就の瞳はもう囚われているのだ。
 たとえ今は別れが訪れても、生きている限りは巡り会える。そう信じることを止めないのが元親という男のはずなのだ。
 だから諦めては欲しくなかった。
 まだ彼には様々なものが残されているのだから。

「約束しましたからね、父上……」

 皆でまた、海に出るって。
 長曾我部の御旗はまだ折れてなどいないのだから。




 + + + + + +




 土佐まで進軍した伊達軍は、長曾我部の居城でようやく足を止めた。
 ここまで来るのに開戦は一度もされてはいない。逃げる元親をただ追うために、政宗は四国を走り続けた。
 途中の関門は全て信親が通すように命じ、父のためにここまで来た政宗の軍を城で休ませる。
 ここから岬までは少数で行くように、信親は政宗に願った。承諾した政宗は、毛利の者達を連れて岬へと向かうことになっている。
 無論、重体の身である信親は城に残るように言われた。危篤状態ではないものの、もうここは戦場ではない。仮にも長曾我部の次期当主である。きちんとした治療を受けるべきだった。

 けれども信親は、最後まで見届ける義務があると、そう感じていた。
 元親の共犯者になることを選んだあの時点で、自分には責務が生まれたのだ。
 蒼穹の間で寄り添い合っていた二人がどうなるのか、知らないままではいられない。

 ――いてはいけないのだから。

 決意をして寝台から立ち上げると、慌てたように小十郎が制止を叫ぶ。
 だが信親は退かなかった。
 西海の鬼の息子という名に恥じない堂々とした佇まいで、真っ直ぐと両足を大地へと立たせる。

「行かせて下さい。じゃないと長曾我部の総力を挙げて、城にいる皆さんに奇襲をかけますよ」

 脂汗を掻きながら、それでもにっこりと笑んだ信親に小十郎は目を瞠る。
 ――後々、それを聞いた政宗は思わず大声で笑ったらしい。大物になるぞ、と楽しげな様子だったそうだ。



 - END -





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伍章2話〜3話間に信親が何を思っていたか、という幕間話でした。
政宗と信親は歳が近くて何気に馬が合いそうな気がします(とするとアニキ何歳??)
何だか薄っすら信親→元就なのは深層心理の問題でしょうか;
本編はこの辺りが滅茶苦茶暗いので、なるべく明るめな感じで書けて……いますでしょうかね……。
(2007/04/03)


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