映る蜃気楼
狂ってしまった自分達を映すには、政宗の眼光は真っ直ぐ過ぎた。
誇りも枷も全てを理解しながら、決して矮小なものではない夢を抱き、道が無くとも拓くことのできる逞しさを彼は内包している。
若いからこその伸びやかな強さなのかもしれないが、暗く沈んだ闇を――自分と似ている薄暗い闇だ――抱いているくせに、政宗が見据えている世界は何と違うことだろう。
出会った時から、彼とは相容れぬとは感じてはいた。
似た者同士で根底に根付いているものも同じだというのに、元親とは違った意味で、共にはいられないと思わせた。
曇天に覆われた世界を鮮烈な稲光で照らし上げる、そんな刹那の輝きで何人をも惹く存在。
一瞬でも構わない。自分らしくいられるのならば――。
そんな覚悟を、政宗は持っているのだろうから。
彼のような輝きを、自分は持てやしない。
憤りと苛立ちと、哀しみを織り交ぜたような複雑な表情で、政宗は見下ろしてくる。
彼は何を思っているだろう。厳島で出会った時の自分との、比べるまでも無い腑抜けように落胆しているのだろうか。
けれど、どうすれば良かったのだ。
もう元親しかいないのに。
彼の瞳が自分だけを映してくれるというのなら、そこに確かに己が存在しているのだと安心できた。そしてこの光を失った眼には、元親しか映しようが無い。全て零から始めるしかなくて、そこには元親だけが笑っている。
狂気のような行為は、それでも自分を悪夢から遠ざけてくれた。
好いているあの美しい笑顔が見られるのであれば、人形のように成すがままでも構わない。
奪わないで欲しかった。
この手の中に納められた誓約だけが、彼を縛り付けている細い糸なのだから。
必死に握った紙片を政宗は睨みつけ、それから視線を晒された肌へと動かした。
痣の色は既に青く残ってしまっている。最後に残された情事の跡は、日に当たらない生活を続けていたせいか、重ねてつけられているためか、薄っすらと今でも刻まれている。
聡い竜には、これだけで何が起こっているか察することができたのだろう。
そのまま引き倒され、両手を拘束された。
見上げた隻眼に息を呑む。
――元親が、そこにいた。
怒気を孕んだ隠しようも無い嫉妬心。こんなことしかできない自分への腹立たしさ。
それから、愛しい人を想う確かな情欲の色――。
気性の似ている二人は、自分を捕らえる瞳まで同じなのだろうか。
噛み付くように口付けを落とされた。抗うことを制されることに慣れていたため、抵抗する気は擡げてはこなかった。
他人に触られているというのに、相手が元親に見えてしまえば嫌悪感など込み上げない。
呼吸すら攫われるように舌を舐め取られ、胸元に手を差し込まれた。この身に刻まれた痕を辿るような愛撫に、痛みと慣らされた快楽が交互に湧き上がる。
声を抑えることは許されていない。だから、感じるままに啼いた。
いつも元親が、そうすると笑ってくれるから。
政宗は、始終哀しそうに自分の顔を覗き込んできた。自らも汗ばみ、呼吸が荒くなっているというのに、彼はただ愛撫を続けるだけだった。
優しい手付きに、何故と思う。
自分の物にしたいのだと言った元親は、全身に刻み込むように痛みを伴う行為を、抗わなくなった今でも続けている。
政宗はそうではないのだろうか。だったら、どうしてこんなことをするのだろう。
元親。
分からない。
お前じゃないのに、お前を思い出す。お前よりも優しいのに、お前よりも哀しい。
ただ一つ、望んでいることは。
元親に帰ってきて欲しい。――たったそれだけ。
気付けば、政宗は一層泣き出しそうに隻眼を歪めていた。
知らずの内に名を呼んでいたのだろう。今はこの場にいない、この身の所有者を。
拘束していた手を放し、政宗は起き上がった。乱れた単を掛けて、それから落ちていた紙を拾い上げた。
取り返そうにも身体がうまく動かない。伸ばした腕は床へと落ちて、鈍い痛みを伴うだけだった。
苦い顔を浮かべた政宗は、読み終わった誓約書を折り畳んだ。破かれなくて安堵していると、彼は落ちた手に紙片を握らせた。
微かに瞠目すると、政宗は何とも言えない表情で俯く。
気落ちしたような姿は十代の少年らしかった。どうしようもないものを抱えて、それでも大人にならなくてはいけないと精一杯に自分を大きく見せようとしている姿は――自分が、何処かに捨ててきてしまったものを思い出させた。
どうして変わってしまったのだと、政宗は言っていた。
その答えを自分は持っていない。何が以前と違うのかさえ、分からない。
こんなにも清廉とした生き物が、自分達の何に憧れていたのだろうか。寧ろ自分達の方が、この独眼となってさえ天を飛ぼうとする竜を仰ぎ見ていたはずだ。
元親も、自分も、所詮は地に堕ちた者同士。ほの暗い地獄へと連れ添って身を投げるしかない。
太陽のように笑う元親は、もしかしたらその空へと再び浮かべるのかもしれない。自分がいなくなれば、或いはそうなるのかもしれない。
でも彼は自分を望むから。泥水の中を歩く自分を、この箱庭に繋いだから。
――今は、今だけは。
元親を、汚れた自分の傍にいさせて欲しかった。
相手の顔をぼんやりと見上げていると、劣情に圧されるのが怖いのか政宗は視線を逸らす。
そして掠れた声を漏らした。
「そんな制約はまやかしだ……あるべき姿を殺す鎖にしかならない。そんなものが無くったって、あんた達は――」
竜の瞳は何処まで見通しているのだろう。
全てを失ったあの時。自分を捕らえたのが政宗だとしたら、自分は彼に惹かれていたのかもしれない。
いやこの男のことだから、自分が惹かれたという自覚を持つ前に一線を敷くだろう。
彼は確かに時折幼くもあるが、酷く理知的な面を持っている。狂うことなんて、弱くなることなんてきっとできない。
そこまで考えて、止めた。
仮定ばかりしていても何もならない。自分は現に、もう元親の物なのだから。
政宗から受け取った言葉に、自然と笑みが込み上げた。
そんなこと分かっている。分かっていて、それに縋ることしかできない。
自嘲じみた笑い方をどう捉えたのか、政宗は唇を噛み締める。泣き出しそうな目をしていた。
不器用な奴等だ、と呟いた彼は拙く歪んだ表情を隠すように、踵を返して歩き出した。
天下を狙う竜の背は、何だか寂しそうに見える。
一人ぼっちにされることを嫌がる子供のような、元親の手の震えを不意に思い出した。
――嗚呼。
元親はまだ、帰らないのだろうか。
- END -
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肆章三話〜四話間の空白にあった話。
本編では最後の方にならないと元就の気持ちは分からないようになっていますが、政宗来訪時には既にこんな気持ち。元親だけではなく、元就も依存しています。
当て馬状態な伊達様には非常に申し訳ないです…;
(2007/04/03)
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