朝が来る



 たとえるならばまるで蜜月の褥。
 柔らかく甘い空気が、その部屋には満ち溢れていた。
 最初は一人だった室内は三日月の晩から二人となり、一つ分だった布団は接した状態で二つ分になった。
 その中で、部屋の主と運び込まれた怪我人が向かい合って眠っている。
 片方は、潰れた右目を隠すように右向きになって。
 片方は、それを見守るかのように左向きになって。
 安らかな寝息だけが深々と更ける闇夜の中で、ゆっくりと繰り返されていた。

 それから幾許か時が過ぎ、やがて朝が来る。
 薄闇の中、左の布団から静かに人の上半身が起き上がった。少し乱れた御髪をかき上げ、彼は白んでいく障子の向こう側を見やった。
 隣の男を起こさぬよう、彼は身体を持ち上げようとするが、不意に奇妙な感覚を覚える。
 そっと視線を下ろして見れば、大きな男の手が自分の手を握っていた。
 通った他人の体温は、昔ならばとても嫌だった。
 荒々しく身勝手に自分の内へと侵入してくるような気がして、押し付けられた温かみなど欲しくはなかった。
 けれど、この男のものは何度感じても逃げ出したい気分にはならなかった。
 それはきっと、初めて抱き締められた時に浮かんだ安堵感からだろうか。
 彼にはまだ良く分からない。

 名残惜しみながらもそっと手を外し、部屋から抜け出す。行く先は、すぐそこの縁側。
 東向きの日当たりの良いこの場所を、今も夢の中である男は大層気に入っている。
 彼はそう説明した男の表情を見て、何だかとても嬉しくなった。
 日輪を愛している彼もまた、その場所が気に入ったのだ。だから、同じものを好きだと言ってくれたような気して、嬉しかったのかもしれない。
 勿論、男に告げたりはしないけれど。
 同時に男のそんな顔を見て胸が痛むのは、自分の中に住んでいるもう一人の隻眼のせいだろうか。
 太陽のような、日差しのような、真っ直ぐな佇まいは自分にはなかったもので。
 出会ってからずっと、彼の中には相手の言葉が反響していた。
 思い出すとその相手に攻められた日の事も蘇り、慌てて彼は首を振って足を進めた。
 彼が外に出ると、肌寒い空気が微かに身を震わせた。思えば、寝ている間にいつも男は手を握ってきている。呼吸をありありと感じるほどの距離にいるため、寝ている時に寒いと感じたことはなかった。
 ――温かい。生きている。
 それを男は確認して欲しいのか、布団はいつまでも離されないまま。意識も取り戻したというのに、別室へと彼を置かないのもそのためなのだろうか。
 彼は昇っていく太陽の光に目を細めながら、手を合わせる。
 ここからは丘が見えた。
 男と二人で作った小さな墓がある、なだらかな丘が。
 日輪を拝むことと共に、最近では男と二人であの丘に静かに黙祷することが日課となった。

 忘れないで悼むこと。
 男が教えてくれた、亡くした者へ贈れるせめてもの償い。

 今まで見捨ててきたもの、失わなければいけなかったもの、忘れてしまいたかったもの――。
 それらを抱えて生きるのだと、男は彼に言った。
 あの、切ないくらいの温かさと共に。
 甘えや依存は全て今まで切り捨ててきたのに、男の隣で感じている優しい温度の居心地は離れがたく思う。
 ずっと知らなかった。
 こんな感情が、自分の中にあっただなんて。
 祈りを終えて部屋の中へ戻れば、自身が最も忌み嫌っているのだろう右目を晒した男が静かに眠っている。
 本当は隠したくなどないのだろうその顔は、爛れた痕があるが端整なものだと思う。外見的な醜さなど、内から輝く光には勝てない。竜という名の気高き魂の光には。
 そんな物を抱えているくせに、挨拶くらいして欲しい、と愚痴った案外幼くもある男を思い出す。
 彼は、小さな笑みを自然と零していた。

「――……おはよう」

 彼は知らない。
 男もまた、ずっと知らなかった感情を持て余していることを。
 そんな二人を、徐々に朝陽が照らし上げていく――。



 - END -





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壱〜弐の時間にあった話で、弐章の3話目に出てくるあるエピソードの元就サイド…です。
素で同じ部屋に寝泊りしているくせに進展していない二人。
だけど何だか甘めですな…;
(2006/12/15)


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